白熱のバトルが展開される「自動車レース」が歩んできた歴史とは?

現在世界各地で開催され、白熱のバトルが展開される「自動車レース」。車の性能やそれを操縦するレーサーの腕が試されるこのスポーツはヨーロッパ、アメリカを中心に大きな人気を誇り、長い歴史を誇る「F1グランプリ」などは世界的な知名度を誇る巨大スポーツイベントとして知られています。それではそんな「自動車レース」はどのような歴史を歩んできたのでしょうか。

起源は1880年代から

起源は1880年代から

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自動車レースの起源とされているのは、1887年4月28日にフランス・パリ~ベルサイユ間で行われたものとされています。
このレースでは資産家アルベール・ド・ディオン伯爵とともに「ド・ディオン・ブートン蒸気自動車」を開発した技術者ジョルジュ・ブートンがヌイイ橋からブローニュの森(パリ)までの約2キロメートルを走行し優勝。

それから7年後の1894年7月22日には「パリ・ルーアン(フランス西部・セーヌ=マリティーム県の都市)トライアル」が開催され、これは「126Kmを12時間半以内に走行する」ことを条件に順位を競うもの。
現在では速さを競う面もあるモータースポーツですが、ここでは「安全で操縦し易く走行経費が少ない、壊れにくい車」が優勝することになっており、コースの途中で昼食会が開かれるという内容。
激しいレースが展開される現代のレースからは想像できないほど「のんびり」したものですね。

この大会では事前登録時に102名もの公募が集まり、参加した車の種類も蒸気自動車、人力利用自動車などバラエティに富んだもの。
最終的にスタートしたのは21台でそのうち完走は17台、優勝した蒸気自動車は平均時速18.8kmで優勝。
これが世界で初の「モータースポーツ・イベント」となります。

世界で始まるレース

世界で始まるレース

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1894年に「パリ・ルーアントライアル」が開催されると、フランスでは「フランス自動車クラブ (ACF) 」が誕生。
この翌年1895年6月にはパリ・ボルドー間を往復する総走行距離1,178キロメートルの長距離レースが実施され、22台が出走。
レースは48時間48分後に「パナール(フランスの自動車メーカー)・ルバソール」がゴールにやってきますが、車は「4人乗り」という競技規則に反していたため優勝ならず(2人乗りになっていた)。
このとき車を操縦していたエミユ・ルバソールは約50時間睡眠をとらずに走り続けており、7年前ののんびりしたレースから大きくレーススタイルは変わっていますね。

その翌年1895年11月28日には遠く離れたアメリカ・イリノイ州のシカゴからスタートする走行距離54.36マイル(約87.48k)のレースを実施。
自動車エンジニアのフランク・デュリエが10時間23分で優勝しましたが、レースは吹雪に見舞われる大荒れの展開になり、ほとんどの参加者が脱落することに。
いつの季節でもレースは厳しいものでしょうが、冬に向かっている11月末頃の吹雪はより過酷ですね。

その後1897年にはフランス・ニースで3月後半から「スピードウィーク」と呼ばれる世界初の定期的モータースポーツ・イベントが開始。
短距離で高速性能を競う「スプリントレース」、静止状態から加速し直線タイムを競う「ドラッグレース」、山や丘陵の上り坂コースを走る「ヒルクライム」などの競技がここで行われました。

初の「国別対抗レース」が開催

初の「国別対抗レース」が開催

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少しずつ自動車レースの形ができあがってきたころ、1900年から1905年にかけて「ゴードン・ベネット・カップ」と呼ばれる国別対抗レースが開催。
パリ在住の大富豪ジェイムズ・ゴードン・ベネット・ジュニア発案により創設されたレースの第1回はフランス・パリからリヨン間568kmで速さを競うもので、地元フランスのフェルナン・シャロンが平均約62km/hで優勝。
フランス勢はその後1901年、1904年、1905年でも優勝し、計4回優勝を記録。

このレースでイギリスチームが第3回(1902年)から正式採用した緑は「ブリティッシュグリーン」と呼ばれるようになり、1902年大会ではイギリスチームが優勝。
これ以降イギリスのモータースポーツでは「ナショナルカラー」とされるようになり、ロータス、ジャガーといったF1チームでもこの色が採用されています。

またフランスでは1901年にポー(フランス南西部)で開催された「グランプリ・デュ・パレ・ドール」、「グランプリ・ド・ポー」において初めてクラス分けした形でのレースが行われ、初めて「グランプリ」の名前も使用。
1906年に「フランス自動車クラブ」独自主催で行われた「フランスグランプリ」は国際規模のグランプリレース最古の歴史を持ち、後にF1のレースとして開催。

その他1907年には「北京・パリ大陸横断レース」で14994kmを横断するレース、翌1908年にはニューヨーク・パリ間レースが開催。
後者では途中日本の横浜、敦賀(つるが。
福井県)を経由しており、これが日本で初めてモータースポーツレースが行われた瞬間に。
日本でのレースははるか昔から始まっていたのですね。

レース専用サーキットの誕生へ

レース専用サーキットの誕生へ

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フランスを中心に発展を続けたモータースポーツですが、レースには危険がつきもの。
当時のレースは市街地で行われるものが多く、1903年5月の「パリ・マドリードレース」ではルノー社の共同創設者マルセル・ルノーが事故を起こし亡くなり、このときに観客も巻き込む大事故に。
事故を重く見たフランス政府は「公道レースの禁止」を発表。
ドライバーと観客両方が犠牲になってしまっては「禁止するしかない」ということでしょう。

こうした中でレース開催場は公道からサーキットへ移り、モータースポーツ専用コースとして最初に創業したイギリス・サリーの「ブルックランズ」では1907年6月のオープン以降に耐久レース、モーターサイクルなどさまざまなレースを開催。
このサーキットにはアメリカから視察団が訪れることもあり、後に彼らは「インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(アメリカ・インディアナ州)」を1909年に完成させます。

こうして建設された専用サーキットの存在はレースの興行的成功、そこから生まれる自動車性能や安全性向上の好循環を生み、世界各地でサーキット建設が行われることに。
レース界にとって大きな進歩ですね。

進む技術開発・第2次世界大戦中

進む技術開発・第2次世界大戦中

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専用サーキットの建設などモータースポーツの基盤が整ってくると、有名レースが多く開催されるようになります。
1904年に設立された「国際自動車公認クラブ協会 (AIACR。
国際自動車連盟 (FIA)の前身) 」は1923年にイタリア・モンツァの「アウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ」で「ヨーロッパグランプリ」を開催、この時期にはドイツの「メルセデス」が「メルセデス・ベンツ・W25」で317.460km/h(1934年)、「アウトウニオン(アウディの前身)」が「アウトウニオン・Pワーゲン」で401.9km/h(1937年)を記録するなど自動車メーカーによる技術開発も進んでいきました。

その後第2次世界大戦勃発によりヨーロッパでグランプリ開催が中止されますが、1940年の「サンパウログランプリ(ブラジルのインテルラゴス・サーキットで開催)」、1941年の「リオデジャネイロ・グランプリ」や「アルゼンチン・ブエノスアイレスグランプリ」など南米では1942年までレースを開催。
戦争中の人々にとって大きな楽しみであったでしょうね。

世界最高峰レース「F1」誕生

世界最高峰レース「F1」誕生

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第2次世界大戦中の中断期間を経てレースが再開されたのは1945年9月9日にフランス・パリの「ブローニュの森」で開催されたパリ杯。
そこから1946年にはフランスのサン=クルー、スイスのジュネーヴ市街地などでグランプリが開催され、1947年には「国際自動車公認クラブ協会(AIACR)」を前身とした「国際自動車連盟 (FIA) 」が設立。

そして1950年にはモータースポーツの最高峰とされる「フォーミュラ1(F1)」が始まり、5月13日にイギリスの「シルバーストン・サーキット」で開幕。
ここで初めて年間成績を競う「世界選手権方式」のレースが展開されることになり、9月3日のイタリア・グランプリまで全7戦の結果イタリアのジュゼッペ・ファリーナが初の年間王者に。
FIAでは1973年に「世界ラリー選手権(WRC)」を発足、ヨーロッパを中心に南米などを回るラリー競技の最高峰として人気となっています。

伝統的な「世界3大レース」

伝統的な「世界3大レース」

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世界最速のレース「インディ500」

アメリカ・インディアナ州のインディアナポリスにある「インディアナポリス・モーター・スピードウェイ」で毎年5月に開催されるモータースポーツ・イベント。
1911年に初開催されて以降アメリカ、世界のモータースポーツを代表するビッグイベントとして有名に。

この「インディ500」の特徴は圧倒的な速さ。
1周2.5マイル(約4.023km)のオーバルトラック(楕円形の中にストレート、傾斜角(バンク)がついたコーナーで構成されるサーキット)を200周、走行距離500マイル(804.672km)で争われるこのレースは平均速度が約362km/h(予選)から約354km/h(決勝)、最高速度は380km/hに。
コース構造や周回数の関係から単純比較はできませんが、その速度はF1屈指の高速サーキット「モンツァ・サーキット」の平均速度約240km/h(予選)を大きく上回る数字。
恐ろしいほど速いことは数字から想像することができますね。

日本においては2017年の101回大会でかつて「F1」にも参戦した佐藤琢磨(さとうたくま)選手が、日本人選手として初優勝を成し遂げたことでも話題になりました。
こうした伝統レースで日本人選手が表彰台の頂点に立つことは大偉業なのです。

魔物が潜む過酷なレース「ル・マン24時間」

ル・マン 24時間レースは、フランスのル・マン近郊の「サルト・サーキット」で行われる耐久レース。
現在はFIAによる「世界耐久選手権(WEC)」のスケジュールに組み込まれており、「フランス西部自動車クラブ(ACO)」の主催。
1923年に初開催されて以降はフランス自動車工業界のストライキの影響による1936年、第2次世界大戦が絡む1940年から1948年にかけての間をのぞき毎年開催。

レースはその名前の通り24時間の間レースを続けるというもので、ドライバーはもちろんマシンにも大きな負担がかかるレース。
それだけにレース中のアクシデントはつきもので、2016年には悲願の初優勝を目指していたトヨタ車が残り3周に迫ったところで故障により優勝を逃したことも。
2017年大会に3台体制で臨みますが2台はリタイア、最高は8位の結果。
このレースでは「魔物が棲んでいる」という言葉が有名となっていますが、トヨタの例を見ると本当にいるように見えますし、これが「世界3大レース」の怖さとも言えますね。

F1伝統のレース「モナコ・グランプリ」

伝統的な「世界3大レース」の3つ目はF1グランプリで開催される「モナコ・グランプリ」。
1925年に「モナコ自動車クラブ(ACM)」が「国際自動車連盟(FIA)」の前身「国際自動車公認クラブ(AIACR)」に登録申請を行ったところから歴史が始まりますが、「市街地レースは難しい」と一度は却下。
その後モナコ大公・ルイ2世や高級ホテル・カジノを経営する「ソシエテ・デ・バン・ド・メール」社を巻き込んで1929年から開催され、第2次世界大戦前後の中断(1938年~1947年、1949年)などを除き毎年開催されています。

コースは現在までモナコの中心的都市・モンテカルロに設けられた「市街地コース」を舞台に開催されていますが、コースは一般の市街地であることから道幅が狭く、ガードレールに視界を遮られることも多い難コース。
F1でも屈指の「テクニカルサーキット」として有名で、モナコでの1勝は「他レースの3勝に値する」という言葉が存在するほど。
ここで優勝したレーサーは「モナコ・マイスター(マイスターはドイツ語で名人、達人の意味)」と呼ばれ、通算41勝、ドライバーズチャンピオンに3度輝いたアイルトン・セナ(1960~1994)はこの地で最多の6勝を記録しています。

モナコ・グランプリにはスケジュール面でも特徴があり、木曜日から始まったあと金曜日を挟んで土曜日に公式予選を実施する流れ(通常のグランプリは金曜日から日曜日にかけて開催)。
これは「キリスト昇天祭の祝日(復活したイエス・キリストが天にあげられたことを記念するキリスト教の祝日)」となる5月の2週目・3週目の木曜日に合わせて組まれているためで、こうしたところからも「特別なグランプリ」であることがわかりますね。

日本でも見られる自動車レース

世界中で開催されるモータースポーツのイベントですが、日本においても「F1日本グランプリ」や「スーパー・フォーミュラ(2013年~)」、「SUPER GT(2005年~)」などでレースを見ることができます。
日本では海外に比べると自動車レースなどの「モータースポーツ」が根付かないとの声もありますが、こうしたレースを見ながら興味を持つ人が増えてくれば良いですね。
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