【イギリスの世界遺産一覧】王室伝統のスポットから手つかずの自然まで。イギリスに残る世界遺産紹介!

1972年に採択された「世界遺産条約」に基づいて登録される「ユネスコ世界遺産」。現在世界167ヶ国で1073件が登録されている「世界遺産」は文化・自然・複合の3種類が存在しており、それらすべてが長い歴史で育まれてきた文化を現代に伝える重要な役割を果たす貴重な遺産となっています。今回はそんな世界遺産から「イギリス」に残る世界遺産を見ていきましょう。

王室や産業革命と強く結びつく「文化遺産」

要塞機能を持った「エドワード1世の城郭と市壁」

要塞機能を持った「エドワード1世の城郭と市壁」

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イギリス・ウェールズの「グウィネズ地方」アンクルシー島、カナーヴォン、コンウィ、ハーレフにある4つの城から構成される世界遺産。
いずれもエドワード1世によって建てられたもので、4つの城全てに軍事要塞の機能があります。

「カナーヴォン城」は建設期間48年をかけて建設された城で「アイアンリング(鉄の鎖)」と呼ばれる城で最大・最強を誇った城。
エドワード1世の指示により居城としての快適さも考慮され、641個の要塞があることから「城の土地」の別名も。
強力な雰囲気の名前が付いた城の中でも最強と言われるわけですから、王にとっては心強い場所ですね。

ビューマリス城は1295年にエドワード1世がウェールズ遠征拠点として建てた城で、「アイアンリング(鉄の鎖)」で最後に建てられた城。
後世ヨーロッパの城で真似されることになる「二重環状城壁」構造を採用しており、外側は六角形、内側は正方形の二重城壁で囲まれたところが特徴。
城自体は建設資金の不足などにより1320年で建設中止になっていますが、未完であるところにも「ロマン」がありますね。

王朝の力を示す「ダラム城と大聖堂」

王朝の力を示す「ダラム城と大聖堂」

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イギリス北東部・ダラムにある「ダラム城」は11世紀にウィリアム1世によって建てられた城。
1066年に勃発した「ヘイスティングズの戦い」に勝利したウィリアム1世が開いた「ノルマン朝」の力を示すために建てられたと言われています。
城は「モット・アンド・ベーリー型」と呼ばれる10世紀から12世紀にヨーロッパで用いられた建築様式を採用しており、当時のイギリス最大であった大広間は高さ14m、長さ30mになるサイズ。
1840年からはダラム大学の学生寮となり、大広間は映画「ハリー・ポッター」シリーズの撮影地に使用されたことも。

ダラム大聖堂は1093年に建設されたノルマン様式の聖堂で「ゴシック建築の先駆け」とされるヨーロッパ屈指の建築物。
塔部分は325段もの階段を登った先にダラム市街の絶景が見え、現在はキリスト教信仰の中心地・観光スポットとして多くの人が訪れる名所に。

世界初の鋼鉄橋を持つ「アイアンブリッジ峡谷」

世界初の鋼鉄橋を持つ「アイアンブリッジ峡谷」

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ロンドン北西約200kmのセヴァーン川周辺にある峡谷で、川にかけられた全長60m・幅70m半円形の橋は「アイアンブリッジ」と呼ばれ、1779年に造られた世界初の鋼鉄橋。

中心地となる「コールブルックデイル」は18世紀後半から近代的な製鉄が行われた製造業の街。
石炭などの原料が豊富に採れること、セヴァーン川が広いため運搬が楽にできる土地柄を生かして発展していき、工場では大量の鉄生産が可能に。
こうした地理条件を的確に読み取ることは、産業の発展に不可欠なことですね。

当時使用された工場はアイアンブリッジ博物館として生まれ変わり、当時の発展の歴史を今に伝える役割を果たしています。

謎に包まれた巨石群「ストーンヘンジ」

謎に包まれた巨石群「ストーンヘンジ」

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イギリス南部ソールスベリー平原にある世界遺産。
ストーンヘンジとは「吊り下がった石」の意味。
世界で最も有名な先史時代の遺跡であり、建設時期は紀元前2500年から紀元前2000年の間とされています。

遺跡群は高さ約7mの組石「トリリトン」5組を中心に30個の立石「メンヒル」が配置される構造で、遺跡とその周辺は約30km離れた「エーヴベリーの遺跡群」とあわせて「ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群」として世界遺産に登録。
遺跡建築の目的については天文台などさまざまな説が存在しますがはっきりしたことは判明せず、造られた過程にも「250km離れたウェールズから運んできた」説が存在するなど「謎多き場所」でもあります。
観光時には興味をそそられる要素ですね。

歴史的修道院を含む「スタッドリー王立公園 」

歴史的修道院を含む「スタッドリー王立公園 」

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「スタッドリー王立公園」はイギリス・ノースヨークシャー州にある公園で、「ファウンテンズ修道院」の廃墟を含めて1986年に世界遺産登録。
1132年にベネディクト会修道士たちによって創設された「ファウンテンズ修道院」は、ヘンリー8世の「修道院解散令(1539年)」によって建造物群と一部土地がロンドンの取引所創立者の父リチャード・グレシャムに売られることに。

その後グレシャム家から財産を売却されたステフェン・プロクターが、1598年頃から1604年頃にかけて修道院の建築素材を一部再利用した「ファウンテンズ・ホール」と呼ばれる大邸宅を建設。
公園の中にこうした遺跡群が残される光景は歴史を感じますね。

温泉の英語名の由来説も「バース市街」

温泉の英語名の由来説も「バース市街」

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バースはロンドンの西140kmの場所にある保養地で、1世紀頃にローマ帝国の支配下・保養地として繁栄。
温泉をを意味する「Bath」の語源はここから来ているとも言われています。

バースはローマが撤退すると一時衰退しますが、18世紀にイギリス女王・アン女王がこの地を訪れるようになると温泉保養地として復活。
それ以降のバースは上流階級・富裕層の社交場として再び栄えるようになり、19世紀に再び衰えるまでにジョージ王朝時代の特徴を濃く残す建築物も誕生することに。

現在のバースにある「ローマ浴場跡博物館」は約2000年の大浴場を再現したスポットで、現在も温泉が湧き出る有名スポット。
人々が風呂を楽しむ様子が浮かびそうですね。

現代の国境にも影響「ローマ帝国の国境線」

現代の国境にも影響「ローマ帝国の国境線」

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「ローマ帝国の国境線」は「ハドリアヌスの長城」という名で1987年に登録された世界遺産で、2005年にドイツ・リーメスを追加登録。
2008年にスコットランド・アントニヌスの長城も含まれることに。

第14代ローマ皇帝ハドリアヌスの命でイングランド・スコットランド国境線近くに造られた「ハドリアヌスの長城」はケルト人の侵入に悩まされていた皇帝が10年をかけて建設。
現在でも両国の境界線に大きな影響を与え続けています。

アントニヌスの長城は「ハドリアヌスの長城」の代わりとして142年から144年の2年間で建設された全長60kmの長城。
「ハドリアヌス」に比べると規模は劣るものとされますが、「ハドリアヌス」が10年かかったことを考えると、相当急ピッチでの建設ですね。

イギリス世界遺産で最も有名「ウェストミンスター宮殿」

イギリス世界遺産で最も有名「ウェストミンスター宮殿」

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イギリスの世界遺産で最も有名とされる「ウエストミンスター宮殿」は世界で最も有名な国会議事堂。
11世紀半ば・エドワード王時代に建築され16世紀までは代々国王の宮殿として使用。
1529年にヘンリー8世が宮殿の能を「ホワイト・ホール」に移して以降は裁判所・国会議事堂として使用。
現在のゴシック様式の建物は19世紀に再建されたもので、全長約265m、1100部屋を超える大規模なものに。

隣接する「ウエストミンスター寺院」は11世紀に修道院として建設された「ゴシック建築」の寺院。
国王の戴冠式などの舞台になっており、国を代表する有名人が多数埋葬。
寺院と同じ敷地にある「聖マーガレット教会」は12世紀にベネディクト会派聖職者によって建設された教会で、1509年につけられたフランドル製ステンドグラスが有名。
イギリスの伝統感あふれる世界遺産ですね。

病気を治す力がある「カンタベリー大聖堂」

病気を治す力がある「カンタベリー大聖堂」

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イングランド南東部ケント州・カンタベリーにある「カンタベリー大聖堂」は11世紀に建設されたゴシック建築の大聖堂で、イギリスでも有名な巡礼地とされている場所。
12世紀に政教分離を巡ってヘンリー2世と対立した大司教トマス・ベケットの暗殺をきっかけに巡礼地に。
ベケットはその死後ローマ教皇から「聖人」とされ、大聖堂を訪れた重病人、瀕死の人が治癒したという奇跡が起こったことから多くの巡礼者が訪れるようになりました。
ベケットは死しても影響力絶大ですね。

大聖堂と同時代に建設された「聖オーガスティン修道院」はヘンリー8世による修道院解散法によって16世紀に取り壊され、現在はかつての姿を偲ばせる建物跡が残るのみ。
「聖マーティン教会」は現役教会としてはイングランド最古。
6世紀に建てられて以降にローマからやってきた聖アウグスティヌスは、この「聖マーティン教会」を中心に布教活動を行っていました。

天国と地獄を経験した「ロンドン塔」

11世紀に現在のイギリス王室を開いたウィリアム1世によって築かれた「ロンドン塔」は武器などの保管庫、礼拝所などとして使用され、「ホワイト・タワー」の別名を持つ場所。
1905年に南アフリカで発見された世界最大級のカット・ダイヤモンド「カリナン」の保管場所でもあります。

この塔は時代ごとにさまざまな扱われ方をしてきました。
歴代の王が住居とした塔は王立動物園や天文台、造幣所まで増設され、16世紀のヘンリー8世時代になるとロンドン塔は監獄に。

監獄に姿を変えた塔でヘンリー8世は男児を産まなかった最初の王妃・キャサリンを離縁、同じく男児を産まなかった2番目の王妃アン・ブーリンを幽閉、処刑してしまい、その後時代が1940年代に入った頃には「第2次世界大戦」の捕虜が幽閉されることも。
王室関係者が次々に処刑された場所と想像しただけで鳥肌が立ちそうですね。

新旧の街並みが残る「エディンバラ」

新旧の街並みが残る「エディンバラ」

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イギリス北東部・スコットランドにある国の首都・エディンバラでは旧市街・新市街の両方が世界遺産に登録されています。

旧市街は中世ヨーロッパ要塞都市の景観を残す場所になっており「スコットランド議会ビル」、15世紀にスコットランド国王夫妻の住居となった「ホリールード宮殿」、エディンバラ大学といったものが有名スポットに。
一方の新市街は18世紀以降の新古典主義建築が並ぶ「都市計画の傑作」と評されており、1765年から1850年頃の建設とされています。

こうした街並みの中で最も有名なスポットが「エディンバラ城」。
城で最も古い12世紀の建築物「セント・マーガレット教会堂」、王家の宝石類が展示されている「クラウン・ルーム」などが有名。
8月に行われる「ザ・ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー」はスコットランド軍楽隊と兵士がパレードするイベントで、国内では「夏の風物詩」になっています。

標準時の基準になっている「マリタイム・グリニッジ」

標準時の基準になっている「マリタイム・グリニッジ」

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「グレーター・ロンドン」の南東にある「グリニッジ」は『グリニッジ標準時』基準に登場することで有名な街。
街に残る「グリニッジ天文台」は王立公園「グリニッジ公園」内に建てられた天文台で、1675年にチャールズ2世の命を受けた建築家クリストファー・レンが設計。
ここでは1884年にアメリカ・ワシントンD.Cで開催された「国際子午線会議」においてグリニッジの東経0度都市、世界の本初子午線として定められた場所であり、1990年にイギリス東部・ケンブリッジに移転。
現在は博物館になり、1852年に作られた「シェパード・ゲート・クロック」は現在も稼働中。

このほかグリニッジには1703年にレンが設計したバロック様式の「旧王立海軍学校」、イギリス海軍の歴史が見られる「国立海洋博物館」が見どころに。
海との関係が深いことがわかりますね。

新石器時代遺跡の中心地「オークニー諸島」

新石器時代遺跡の中心地「オークニー諸島」

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北海と大西洋の境界に位置する「オークニー諸島」にある新石器時代遺跡の中心地。
新石器時代に属する4種の遺跡を対象としており、1999年に世界遺産登録されました。
遺跡群の中で最も有名となっているのが、集合住宅遺跡「スカラ・ブレイ」。
紀元前3100年から紀元前2500年頃まで使用されたと伝わる遺跡は料理や暖をとるための炉、ベッドなどの家具が残されており、寒いこの街での暮らしぶりがわかる内容。
彼らが生活するために編み出した知恵が残されているのですね。

このほかの遺跡「リング・オブ・ブロッカー」は紀元前2500年から2000年前に作られた遺跡で、直径104mのサークルが特徴。
紀元前3000年ごろに造られ最大の石は約6mになる「ストーンズ・オブ・ステネス」、新石器時代の「チェンバード・ケアン(埋葬用モニュメント)」である「メイズハウ」もあります。

産業革命時に製鉄業で繁栄「ブレナヴォン」

産業革命時に製鉄業で繁栄「ブレナヴォン」

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「ブレナヴォン」はウェールズ南東部にある街で、2000年に「ブレナヴォンの産業景観」として世界遺産に登録。
石炭と鉄鉱石が採れたことから18世紀から19世紀にかけて「産業革命」に欠かせない存在となり、最盛期には66万tの鉄を鋳造。
街の人口は多い時で2万人を超えていた時期もありましたが1900年に製鉄業の勢いが降下すると1980年に炭鉱も閉山。

当時の発展の様子は残された作業場群などから見ることができ、最新鋭の技術で造られた溶鉱炉跡を残す「ブレナヴォン製鉄所」、1980年に閉山した「ビッグ・ピット」炭鉱の一部を利用した国立石炭博物館が見どころ。
国立石炭博物館は鉱夫に扮して坑道見学できる博物館で、自身でも革命時代を体験できますね。

バミューダ諸島最古の街「セント・ジョージ」

バミューダ諸島最古の街「セント・ジョージ」

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セント・ジョージはバミューダ諸島・バミューダ島にある島で、「バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群」として登録されたのは2000年。
1503年にスペイン人ジョン・バミューダが発見したのが歴史の始まりで、1609年にバミューダ沖で難破したイギリス移民船乗員が切らし始めたことからイギリスの支配下に。
街は現在でも島最古の街であり、アメリカ大陸最古のイギリス支配下の場所に。

17世紀から18世紀にかけて造られた石灰岩の白い住宅群、17世紀から20世紀イギリス軍の軍事技術が窺い知れる要塞軍が見ものとなっており、1620年から1815年までバミューダ議会が置かれていた「オールド・ステイト・ハウス」も残っています。

清潔と安全性を両立した街「ソルテア」

清潔と安全性を両立した街「ソルテア」

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イギリス北部・ヨークシャーのウェストヨークシャー州にある「ソルテア」は、実業者タイタス・ソルトによって1853年につくられた街。
当時は「産業革命」真っただ中の時代で、ソルトは彼の工場があったブラッドフォードで伝染病の蔓延、大気汚染の問題を抱えていたことからここへ工場移転を決意しました。

工場を移転したソルトは工場だけでなく周辺環境の整備にも着手、労働者の住宅や病院、公園など清潔と安全性を両立した街づくりを実現することに。
働いて生産性を上げるためには「充実した生活が不可欠」であることをソルトは知っていたのですね。

ソルトが造りあげた「理想的な街」は現在でも当時の姿を残しており、村の中心として1986年まで稼働した「ソルツ・ミル」はアートギャラリーやカフェ、レストランとして生まれ変わり活躍中。
ソルトの思いは現在も生きていますね。

産業と生活を両立させた街「ニュー・ラナーク」

産業と生活を両立させた街「ニュー・ラナーク」

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イギリス北部「スコットランド・サウス・ラナークシャー」の都市ラナークから約 2.2 km のクライド川沿いに残る「ニュー・ラナーク」。
1786年にデヴィッド・デイルが川の活力を利用する綿紡績工場、工場労働者用の住宅を建設したことが起源となっており、彼の娘婿ロバート・オーウェンが家や学校などの労働環境の整備に力を入れるなどして事業的に成功。
土地の特徴をうまくつかんだデイル、利益以外の面にも目を向けたオーウェンの強い関係が導いた成功ですね。

その後の工場は1968年まで操業、1975年には村の取り壊しを防ぐため「ニュー・ラナーク保全トラスト」が創設。
現在は村の建築物の大半が修復され、スコットランドの観光名所になっています。

世界初の近代工場「ダーウェント峡谷の工場群」

世界初の近代工場「ダーウェント峡谷の工場群」

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イギリス中部のダーウェント川流域にある「ダーウェント峡谷の工場群」。
工場群は産業革命初期に建てられたもので、1771年に設立された「クロムフォード・ミル」は水力紡績機により同じ品質の製品を大量生産する方法を確立した「世界初の近代工場」として有名に。
現在ではこうした方法は当たり前になっていますね。

またこの地域では労働者用の住居も数多く建設。
これは立地条件の悪い川沿いに多く工場が建てられたことから「労働者の雇用に配慮する」目的で建設されたもの。
現在で言う「社員住宅」のようなものですね。

現在は工場群のうち「クロムフォード」「ベルパー」「ミルフォード (Milford)」「ダーリー・アベイ」「ジョン・ランブ」が登録対象になっており、国内において歴史的価値を持つ保護対象建築物「リスティッド・ビルディングス」に含まれる建造物が 867 件。

世界最大の植物園「キュー王立植物園」

世界最大の植物園「キュー王立植物園」

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ロンドン南西部リッチモンド地区・テムズ河畔に広がる約120万haの広大な敷地に造られた「キュー王立植物園」。
18世紀にテュークスベリー・ケープル卿が熱帯植物を集めて作った庭が起源となっており、1759年には当時のイギリス王・ジョージ3世の母オーガスタが宮廷の庭園として庭師ウィリアム・アイトンに整備を命令。
後に建築家ウィリアム・チェンバーズ設計が設計した建築物も建設され、1761年に建築された中国のパゴダ(仏塔)は現在も残されています。

整備された後もジョージ3世はウィリアム・エイトンやジョゼフ・バンクスに庭園の整備を命令、1781年には隣接するハウスを買い上げ王室の子ども達を育てる施設に(現在キュー宮殿として保存)。
植物園としては1840年から開放され、現在は4万種以上の植物がみられる世界最大の植物園に。

美術館などの名所が揃う「海商都市リヴァプール」

美術館などの名所が揃う「海商都市リヴァプール」

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2004年に登録された「海商都市リヴァプール」は、イギリス北西部マージ―サイド州にある街。
18世紀以降に海商都市として発展した歴史を持つ街で、19世紀にはロンドンに次ぐ「帝国第2の都市」になるほど。

世界遺産として登録されているのは6か所。
ピア・ヘッドは19世紀から20世紀にかけての繁栄ぶりを伝える場所で、「スリー・グレイシズ」(美を司る3女神)と呼ばれる建物が見もの。
2011年には新しい「リヴァプール博物館」が開館し新たなスポットに。

アルバート・ドックはピア・ヘッド南に位置するスポットで、美術館「テート・リバプール」やこの地出身のビートルズを紹介する「ビートルズ・ストーリー」などが存在。
1846年に開かれた「アルバート・ドック倉庫」は世界初の完全耐火倉庫で、国内において歴史的価値を持つ保護対象建築物「リスティッド・ビルディングス」の「グレード1」に指定。

このほか世界最大級のレンガ建造物「スタンリー・ドック・タバコ倉庫」を持つ「スタンリー・ドック保存地域」、リヴァプール商業活動の中心地「キャッスル・ストリート保存地域」、市営建造物群の集まる「ウィリアム・ブラウン・ストリート保存地域」もあり、この地が発展した歴史はしっかり残されていますね。

19世紀に銅生産で発展「コーンウォール」

19世紀に銅生産で発展「コーンウォール」

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イギリス南西部・コーンウォール州からデヴォン州西部に残る鉱山景観を対象として登録された「コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観」。
この地方の産業は1500年代頃から鈴の採掘のための鉱山開発から始まり、18世紀から19世紀にかけては銅や鈴の生産を主産業として繁栄。
19世紀には世界で供給される銅の半分以上を産出するほどの規模に成長しました。

しかし1860年会いに銅の暴落が発生すると産業は伸び悩み、プールのサウス・クロフティ鉱山が1998年に閉山されると産業は完全に衰退。
現在は牛や馬がいる草原になっており、そこには当時使われた煙突、レンガ造りの廃墟が点在。
かつて発展した場所が現在は草原になっているとは、発展した時代が遠い昔のように見えますね。

現役のイギリス最長運河「ポントカサステ水路橋と運河」

現役のイギリス最長運河「ポントカサステ水路橋と運河」

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ウェールズ・レクサム郡にある「トレヴァー村」と「フロンカサステ」の間にかかる水道橋および運河。
1805年に完成した水道橋は長さ 307 m 、幅 3.4 mと深さ 1.60 m を誇り、イギリスで最も長く高い運河となっています。

設計を担当した人物は土木技術者であるトーマス・テルフォードとウィリアム・ジェソップ。
2人は一流の土木技師、運河建築技師とされた人物で設計・建築に約10年をかけて建設。
彼らの熟練の技によって完成した橋なのですね。

現在水道橋は毎年10,000艘(そう)以上の運河船「ナローボート」が航行、25,000人以上の歩行者が渡っており、2009年に世界遺産登録。
イギリス国内の歴史的価値を証有して保護対象となっている「リスティッド・ビルディング(グレードI)」に指定されています。

別名は鋼鉄の怪物「フォース橋 」

別名は鋼鉄の怪物「フォース橋 」

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スコットランド・エディンバラ郊外・フォース川河口付近にかかる「フォース橋」は、全長2530mを誇る世界最長の「カンチレバートラス橋(三角形を基本単位として構成される橋)」。

この橋は当初スコットランド・テイ湾に架かる「テイ橋」を設計したトーマス・バウチが担当していましたが、彼が設計したテイ橋は設計の甘さがあったことから1879年に強風で崩壊、死者を出す大惨事に。
これが原因で「フォース橋」の工事は中止になってしまいます。

設計を引き継いだジョン・ファウラーとベンジャミン・ベイカーは「テイ橋」の失敗を踏まえて設計を続行、その結果「カンチレバー(片持ち梁)」を採用した強風に強い橋が完成することに。
支間長は549mで、この数字は1919年に完成したカナダ・セントローレンス川に「ケベック橋」が完成するまで世界一の長さ。
その姿から「鋼鉄の怪物」「鋼の恐竜」と呼ばれ、現在も現役の橋として活躍中です。

手つかずの自然や巨人伝説が残る「自然遺産」

巨人の影響が強く残る遺産

巨人の影響が強く残る遺産

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「ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸」は火山活動で生まれた4万もの石柱群が連なる世界遺産で、海岸一帯を埋め尽くした正六角形の石柱の距離は全長8km。

ここにはある伝説が存在しており「ケルト神話」に登場するアイルランド伝説の巨人フィン・マックールがスコットランドの巨人・ベナンドナーと戦いに行くためにコーズウェーを作ったとされています。
最初の発見は1692年にデリー(ロンドンデリー)司教によるもので、その1年後にトリニティ・カレッジ(アイルランド最古の国立大学)のフェロー(研究職)を務めていたリチャード・バルクリーによる「王立協会の報告書」で世に知れ渡ることに。

知れ渡って以降はアイルランド・ダブリンの芸術家スザンナ・ドルリーの水彩画、1765年には「フランス百科全書第12巻」で見出し語となり、19世紀以降は路面電車「ジャイアンツ・コーズウェー鉄道」開通により観光名所として発展。
現在は「巨人のブーツ」や「巨人のハープ」などの名所、海鳥の滞在場所に。
現在でも「巨人」の影響力は大きいですね。

かつてポリネシア人が生活「ヘンダーソン島」

南太平洋「ピトケアン諸島」にある無人島。
面積約37平方キロメートルの島はかつて「ポリネシア人(太平洋・ポリネシアに住む人)」が生活していた場所とされていますが社会は消滅。
1606年にスペイン人航海士ペドロ・フェルナンデス・デ・キロスが発見し、1819年にイギリス東インド会社・ヘラクレス号のジェームズ・ヘンダーソン船長が上陸した際に「ヘンダーソン島」と命名。
その後同じ年に島に上陸した捕鯨船エリザベス号のヘンリー・キング船長は「エリザベス島」と命名しますが、現在は先のヘンダーソンの名前が一般的に。

再発見からわずか1年後にはマルケサス諸島付近で沈没したアメリカの捕鯨船員が助けを待つ間に島に漂着、このときに島の洞窟で人骨を発見。
他にも1957年にはアメリカの青年がペットのチンパンジーと共に島で漂着生活を送ったこともあり、どこかミステリアスな雰囲気を感じる伝説ですね。

手つかずの自然に固有種が生息「ゴフ島とイナクセシブル島」

手つかずの自然に固有種が生息「ゴフ島とイナクセシブル島」

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「ゴフ島とイナクセシブル島」は南大西洋に浮かぶ島で、島がイギリス領であることからイギリスの世界遺産として登録されています。

南大西洋にある火山島「ゴフ島」は、1505年頃にポルトガル人のゴンサロ・アルバレスによって発見されたのち1731年にイギリス船リッチモンド号のチャールズ・ゴフ船長が再発見。
ゴフ島と呼ばれるのはその後になります。
現在クジラやアザラシ捕獲のために来る船はありますが、常に島にいるのは気象観測所の職員のみ。

一方の「イナクセシブル島」は「トリスタンダクーニャ諸島」にある小島で、島の名前は「近寄りがたい島」を意味。
こちらも人が来ることはほとんどなく、トリスタンダクーニャ島の人々や科学者が来る以外は無人島状態。
そのおかげか固有種である「マメクロクイナ」など海鳥約3000羽以上が生息。
手つかずの自然が生物たちには心地良いのですね。

多様な化石が発見「ドーセットと東デヴォンの海岸」

多様な化石が発見「ドーセットと東デヴォンの海岸」

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ジュラシック・コーストは、イングランド南部・イギリス海峡に面した海岸で、ドーセット州からデヴォン州東部まで延びる海岸線一帯。

最も古いもので2億5,000万年前となる地層が露出した場所で、地質時代の三畳紀(約2億5,100万年前~約1億9,960万年前)からジュラ紀(約1億9,960万年前~約1億4,550万年前)、白亜紀(約1億4,500万年前から6,600万年前)に形成された地層が見られるのは世界でここのみ。
断崖は西から東に向かうにつれて新しい岩石が形成されており、アンモナイト、イクチオサウルスなどの化石が発見。

このほかでは国際的地質調査の対象となる特徴的な地形が存在しており、「ダードル・ドア」は有名な「天然橋(てんねんきょう。
累層(るいそう。
同一環境で堆積した一連の地層)の一種であり、岩石がアーチ形状をして下部が開いている)」として人気。
マニア必見の場所になりそうですね。

文化・自然療法の勝ちを持つ「複合遺産」

ヨーロッパ最大規模の絶壁残る無人島「セント・キルダ」

ヨーロッパ最大規模の絶壁残る無人島「セント・キルダ」

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セント・キルダは北大西洋、ノース・ウイスト島の64km西北西にあるイギリス領孤立群島。
約6,000万年前の火山活動によって形成された場所で、ここに残る火山跡は世界で最も古いもの。
氷河期の氷河によって断崖絶壁が作られ、高さはヨーロッパ最大規模。

かつては住民が最大の島「ヒルタ島」で自給自足の生活をしながら暮らしていましたが、1930年までに全住民がスコットランド本土に移住。
現在防衛担当者以外の人が住むことはない場所となっており、科学者や作業員が訪れる以外は無人島状態。
現在島に生息する「ニシツノメドリ」のうち約20%はこの島で繁殖しているとされ、それだけ彼らには居心地の良い場所なのでしょうね。

島は1986年に全域が世界遺産登録され、歴史的建築保護を目的とする団体「ナショナル・トラスト」にも指定。
かつて住民が住んでいた住居跡などは資料館となっています

負の歴史も重要な遺産

イギリスの世界遺産には国の歴史で欠かせない「産業革命」の後を残遺産や大自然、残酷な歴史が隠された遺産とさまざまあります。
世界遺産ということで美しいものをイメージすることもあるかと思いますが、負の歴史が隠された遺産も長い歴史を現代に伝える上では重要なものですね。
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