現在に続く混迷の先に――〈中東戦争〉の歴史

20世紀中葉から1978年まで長く続き、今なお火種のくすぶる〈中東戦争〉。イスラエル・パレスチナをめぐるこのゴタゴタについて、今回はできるかぎりわかりやすくご紹介します。一般に〈第一次中東戦争〉から先が語られることが多いですが、そもそも〈中東〉ってどんな土地?前史からていねいにさらっていきます。宗教戦争?利権?領土問題?代理戦争?さまざまな要素がからみあい、混迷をきわめた中東情勢。この戦争は歴史になにを示したのでしょうか。それは「人間の決断が平和をもたらす」ということだったかもしれません。〈中東戦争〉の歴史をごいっしょに。

〈中東戦争〉以前の中東とは

〈中東戦争〉以前の中東とは

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近代にはじまり、現在にまで尾を引く中東戦争。
でもその「前史」はどうだったのでしょう?ふつうに語ると見落とされがちな、中東地域の歴史をかんたんにおさらいしていきましょう。
紀元前までさかのぼって論じることのできる、この問題。
キリスト教とのいさかいの発端〈十字軍〉ってどうだったの?その後統治したあの帝国が崩壊したとき、中東情勢は急転直下をむかえるのです。

世界3大宗教の聖地

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のすべての聖地がこの〈エルサレム〉にあります。
そりゃそうです、みんな神様は同じなのですから。

まず紀元前1280年ごろに、モーゼがユダヤの民をエジプトから脱出させ、ユダヤ教が誕生。
しかし紀元前6世紀ごろに国が滅亡して以降、第二次世界大戦後にいたるまで「国がない民族」の受難の歴史がはじまります。
次に出てきたのがキリスト教。
ユダヤ教元来の神は「父なる神」と呼び「神の子」イエス・キリストへの崇敬をはじめました。
戒律をはじめ教えはユダヤ教をベースとしつつ、独自の発展をはじめます。
しかしその後、キリスト教の教えの中心は西洋に移ることに。

イスラム教が誕生したのは、610年。
最後の預言者・ムハンマドが唯一神アッラー(ユダヤ教とキリスト教の「父なる神」と同一とされています)から受けたお告げに人びとが集い、一大共同体を成しました。
その後彼らは〈イスラム帝国〉を建国します。
イスラム帝国の政府の勢力内に、聖地・イスラエルはありました。
こんなこともあって、イスラム教を奉じる国家の勢力圏内に置かれることになるのです。

十字軍、そしてオスマン・トルコ帝国の統治

その後、11世紀から13世紀にかけて行われた、キリスト教の聖地奪還計画〈十字軍〉のときにエルサレムをおさめていたのはイスラム諸国でしたが、その中でも重要な立ち位置を占めていたのは英雄・サラディンの作ったエジプトに拠点を置く〈アイユーブ朝〉。
サラディンは、スンニ派・シーア派でバラバラだったイスラム諸国をまとめたスゴい人です。

彼の後、半独立の地方政権が生まれます。
基本的にアラブ民族は、部族単位で共同体が運営される政治文化でした。

16世紀アラブの地に〈オスマン・トルコ帝国〉が登場します。
コンスタンティノープルから地中海、アラブ諸国を統治下に置いたオスマン・トルコ帝国は多民族・多宗教国家。
ゆるやかな統治の中、アラブ諸国は隆盛を迎えました。

しかし産業革命に遅れを取るなどして、西洋に対して厳しい立場に置かれます。
第一次世界大戦後、弱体化していたオスマン・トルコ帝国は解体。
これがアラブ諸国にとって大きな転機でした。

勃発、〈パレスチナ問題〉

勃発、〈パレスチナ問題〉

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第二次世界大戦後に勃発した中東戦争は、4度に渡ってくりひろげられ、そのあいまにも戦闘が頻発するなど苛烈を極めました。
その大元の原因とは?シオニズムを標榜するユダヤ人勢力が大きくなるにつれて、ことは厄介になってきます。
〈パレスチナ〉、聖書に記されたいにしえの呼び名は〈カナン〉すなわち「約束の地」――神から与えられた約束の地をめぐって、数々の思惑がくりひろげられます。

欧米諸国、始動

第一次世界大戦で、アラブ一帯を治めていたオスマン・トルコ帝国が滅亡。
そこに登場したのは、イギリスです。
アメリカ台頭以前はイギリスが「世界の警察」として機能していました。

第一次世界大戦中に行われた、いわゆる〈三枚舌外交〉により、イギリスに加え、フランスやロシアもやってきて、中東地域を分割することを決定しました。
その内容とは「ユダヤ人の国を作っていいよ」「アラブ人の国を作っていいよ」と双方に都合のいい約束をするという、あきらかにのちの火種を作る内容でした。

しかし戦後、欧米3ヶ国、そしてアラブ諸国やユダヤ人のあいだで摩擦が生じます。
結局イギリスはオスマン・トルコ帝国のいなくなったこの地域を〈イギリス委任統治領パレスチナ〉として植民地化しました。
この地にユダヤ人が大量に移民をはじめたことから、お話ははじまります。

〈シオニズム〉――ユダヤ人国家をもう一度

国家を持たないド根性民族・ユダヤ人――彼らは望みを棄てていませんでした。
なぜなら聖書で神は、かならずエルサレムの地に国を復活させることができると約束してくれたからです。

〈シオニズム〉とは、旧約聖書に出てくる〈シオン〉という町にちなんだ名前。
19世紀末から20世紀、古来から絶えないユダヤ人迫害はふたたびはじまろうとしていました。
ユダヤ人国家を作ろう、もう誰にも自分たちを迫害させない……歴史のなかで、ユダヤ人たちの悲願がここに頂点を極めたのです。

ここで大きな役割を果たした作品があります。
世界でもっとも影響力のある本の1つ『アンネの日記』。
一少女の気丈な隠れ家生活とその最期は「こんなことをされて、ユダヤ人って本当にかわいそう!」欧米諸国のみならず、世界中の哀憐を引きました。
ヒトラーのホロコースト政策への反動のようにして、ユダヤ人に対する同情は集まっていきました。

中東戦争、勃発

中東戦争、勃発

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アラブ人VSユダヤ人?ユダヤ教VSイスラム教?その正体はいまいちピンときません。
利権なのか、宗教戦争なのか、領土問題なのか……「そのすべて」と答えることは可能です。
ここまでの歴史を見ても、なかなかに複雑な中東の環境。
この章では現代に勃発した中東戦争の大きな原因を解説しましょう。

聖地〈エルサレム〉へのこだわり

「大元がおんなじ神様なら、仲良くできないものなの?」と素朴なギモンが日本人ならわいてくるもの。
しかし神様がこの世を作ったとされてから先、人間の歴史はドロドロのゴタゴタでした。

この地を長らく大切に治めてきたイスラム教徒にとって、十字軍を送り出したキリスト教徒はまぎれもなく「野蛮な侵略者」でした。
20世紀に入ってからは勝手に領土分割された怨みもあります。
それに乗じてやってきた、ユダヤ人。
国「エルサレムは自分たちのもの!」と言い張って、アラブの民を追い出そうとします。
さらに言えば、歴史を通じてキリスト教徒とユダヤ教徒は敵対関係でした。
ことあるごとにホロコースト、ポグロムなど、いわれないユダヤ人虐殺が行われてきたのです。

エルサレムは聖書に定められた聖地。
ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教でも大元の教典が同じなのですから、その起源たるこの都市は大切なものなのです。
守ろうとすることは、ときに戦うことを意味します。
これは聖地奪還戦でもあったのです。

欧米諸国の動き

第二次世界大戦後、「約束の地」めざしてユダヤ人の移民は活発化。
もとからいたアラブ人たちと摩擦が高まります。
この地を統治していたイギリスは、抱えきれなくなって国際連盟にこのパレスチナ問題を持ちこみました。

アラブ人とユダヤ人の対立……「じゃ、2つに分割しちゃえばいいじゃん」よその国のことだと思って……こんな乱暴な決議が可決されたのは、1947年のことでした。
ユダヤ人は念願の国家〈イスラエル〉の建国を果たします。
これにもちろん、もとから住んでいたアラブ人が怒らないはずはありませんでした。

この4度に渡る〈中東戦争〉が勃発したそのとき、時代は冷戦まっただなか。
もちろん構図は〈西側VS東側〉の趣きを呈します。
アメリカ、イギリス、フランスがイスラエルに援助を、そしてソ連がアラブ諸国に武器を輸出していました。
さながら代理戦争のおもむきもていしていたのです。

四度に渡る戦争とその内容

四度に渡る戦争とその内容

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4度に渡ってくりひろげられた、中東戦争。
基本が同じ、ユダヤ人に対抗して〈アラブ連盟〉を組む作戦です。
しかしイスラエルは強い!欧米諸国からの援助を受け、一枚岩の彼ら。
足並みの乱れるアラブ諸国、しかし団結でもってことに当たる彼らには奥の手がありました。
この戦争で大きな役割をつねに果たしてきたのは、エジプト。
この国がある転換をしたことで、中東戦争は大きく動くのですが――

〈イスラエル〉建国と戦争のはじまり

1948年、イスラエルが建国されます。
と同時にそれは戦争のはじまりでした。
アラブ諸国は「国土を不当に奪われた」と、アラブ人の国であるパレスチナ側に立ちます。
イスラエル独立宣言がなされた翌日には、アラブ諸国がいっせいにイスラエルへ侵攻しました。

軍の強化に成功したイスラエルは勝利を重ねます。
しかし〈第一次中東戦争〉での和平協定で成立した地図の上では、なんとユダヤ人がユダヤ教の聖地〈嘆きの壁〉に入れないという事態が発生。
対するアラブ諸国もかんたんには引き下がりません。

1951年に発生した〈二次中東戦争〉では、エジプトのナセル大統領がある決断をします。
アフリカ大陸とヨーロッパ大陸をつなぐ〈スエズ運河〉国有化です。
世界はビックリ仰天。
とくに石油運搬ルートとして使っていたイギリス・アメリカは大反発しました。
ここで彼らが考えついたのが「イスラエルを支援してエジプトに戦争をしかけよう」……戦争は泥沼におちいっていきます。

イスラエル不敗神話の崩壊とオイルショック

〈第二次中東戦争〉は結局、戦闘で負けたものの国際世論を味方につけ「英雄」となったナセル率いるエジプトの勝利。
しかし〈第三次中東戦争〉においてイスラエルは1967年、強国となったエジプトに超短期決戦を仕掛けます。
〈六日間戦争〉と呼ばれたこの電撃戦で、イスラエルは完勝を続けました。
もはやこうなると、報復に次ぐ報復でした。

完敗したアラブ諸国。
足並みも揃わない状況へ陥ります。
これに対して奥の手を繰り出します。
原油の生産削減をする「石油戦略」です。
資源がなければなんにもできません。

これが〈オイルショック〉。
これは欧米諸国や日本にも影響をおよぼしました。
トイレットペーパー買い占め騒動が起こったのもこのときです。
そしてついに〈第四次中東戦争〉が勃発します。

〈キャンプ・デービッド合意〉

〈キャンプ・デービッド合意〉

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中東戦争が転換点を迎えます。
「和平せず、承認せず、交渉せず」で結束してきた〈アラブ連盟〉。
しかしある国がまわれ右、大声で和平を叫びだしたのです。
強硬姿勢を示したナセル政権を継承した1人の男が、すべてを収束にむかわせました。
――彼は言います、「ちっぽけな領土よりも、平和のほうがずっと大切だ。
もう戦争はやめよう」と。

和平交渉と中東戦争の収束

1970年、死去したナセル大統領に代わって政権を継承した、サダト大統領。
彼は最初、コチコチの反イスラエル主義者でした。
イスラエルを攻撃すればするほど、多くのアラブ人と同様、平和と理想が近づくと考えていたのです。

〈第三次中東戦争〉での権威失墜を快復すべくイスラエルに攻撃をしかけ、それの成功により国民的英雄になった、サダト大統領。
しかしあるとき彼は悟りました。
「このままでは永久に不毛な戦争が続く」。
歴史を動かした、認識の転換でした。

エジプトはアメリカに急接近。
イスラエルに対して和平の交渉を申し出ます。
1978年、アメリカのカーター大統領の別荘〈キャンプ・デービッド〉で、憎みあっていたエジプトとイスラエルの国家元首はようやく握手したのです。

そして現在、中東は

対イスラエルで結束していた、アラブ諸国。
大国・エジプトが離反したことによってアラブ諸国はエジプトに猛反発します。
イスラエル承認をしたサダト大統領はノーベル平和賞を受賞したものの、のちにサダト大統領は暗殺されます。

パレスチナの難民キャンプを拠点にテロが頻発した1970~1980年代、それに現在も中東ではニュースで騒がれるイスラム原理主義、過激派集団〈イスラム国〉をはじめ、不穏の火種がくすぶっています。

それでもサダト大統領の行動に学べるように、許しと平和の道を選ぶことは人間に可能でしょう。
そう信じて今後の歴史を見守り、行動するしていくことが大切でしょう。

平和は可能だと信じて

大切な聖地を守ろうとする心、対立する心を持ちながらも、共存していた過去。
中東は現在も混迷をきわめていますが、いつか平和は可能だと信じるしかありません。
それには当事者たち、国際社会のわたしたちが認識の転換をして、平和を実現するという心が大切です。
それをサダト大統領は教えてくれました。
そもそも聖地をめぐって戦争をするなんて、神様が泣いているかもしれません。
長く時間はかかるかもしれませんが、国際社会の一員としてわたしたちも平和を願っていきましょう。
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