1950年代から1960年代にかけて流行した現代美術「ポップアート」とは?

長い歴史の中で生み出されてきた数々の芸術作品の中で「既成の芸術概念を否定、新しい作品を生み出す」美術とされる「前衛美術」。そうした美術のに分類される「ポップアート」は1950年代から流行、その後は有名アーティストの存在もあって1960年代まで美術界に大きな影響を与える存在となります。それではその「ポップアート」はどのような歴史をたどったのでしょうか。今回は「ポップアート」と前後に起こった美術運動も含めて見てみましょう。

ポップアート以前の美術運動

1920年代から巻き起こる「シュルレアリスム」

1920年代から巻き起こる「シュルレアリスム」

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シュルレアリスムは1920年代に「ダダイズム(1910年代からヨーロッパ,アメリカで発生した反文明,反合理的芸術運動)」と呼ばれる美術運動が分かれて始まった運動。
芸術運動としては1924年にフランスの詩人アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発して以降に始まったとされています。

表現方法としてはオーストリアの精神医学者ジークムント・フロイトの「精神分析」、イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画(けいじじょうかいが)作品の影響下にあるもので現実を無視したような世界を絵画、文学で描き自分の「無意識」の部分を表現。
日本では「超現実主義」と訳されることも。

この表現方法に属する有名画家としてはマックス・エルンスト(ドイツ)、サルバドール・ダリ(スペイン)、ルネ・マグリット(ベルギー)など。
技法としては新聞紙や雑誌といった素体を切り貼りして作品を生み出す「コラージュ」、硬貨など凸凹のある素材の上に紙を敷き上から描画材(鉛筆など)でこする「フロッタージュ」、紙と紙の間に絵の具を挟んで無意識の絵が出来上がる「デカルコマニー」などが存在。
いずれも身近なものを使って製作できるものですね。

1940年代のニューヨークで発生「抽象表現主義」

1940年代のニューヨークで発生「抽象表現主義」

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シュルレアリスムの後に巻き起こった芸術運動が「抽象表現主義」と呼ばれるものでした。
こちらは第2次世界大戦後の1940年代アメリカ・ニューヨークで発生・発展した芸術運動で、それまでフランス・パリが中心となっていた西洋アートワールドの中心地がニューヨークへ移り変わった運動でもあります。

この言葉が最初に現れたのは1919年のドイツ前衛芸術誌『デア・ストラウム』紙上で、その後1929年に美術史家アルフレド・バルがロシアの画家ワシリー・カンディンスキーの作品についてこの言葉を使用。
本格的に使用されるのは1946年にアメリカの美術批評家ロバート・コーツから。

この主義の代表的な存在となっているのがアメリカのジャクソン・ポロック。
キャンバスに絵具をしたたらせる「ドリッピング」によって、絵を描く工程自体が強調された「アクション・ペインティング」を始め、抽象表現主義の時代には大人気の画法に。
作品だけではなく「作品を生み出すことに注目」するのはたいへん斬新と言えますし、絵画を見る際の視点も増えますね。

ポップアートの始まり

イギリスから始まったポップアート

イギリスから始まったポップアート

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大きな美術運動の後、ポップアートが生まれたのは長きにわたった「第2次世界大戦」の終戦後のこと。
長い戦争が終わった世界では大量の生産製品に囲まれた生活が始まり、人々はそれらを次々に消費する生活を送るようになっていました。

そうした社会が形成される中で「ポップアート」が始まったのはイギリス。
イギリス(スコットランド)の彫刻家エドゥアルド・パオロッツィは雑誌の切り抜きなどを用いて生み出した「コラージュ」を作り、1952年からはロンドンで若い美術家らが集まる「インディペンデント・グループ」を結成して大衆文化、テクノロジーの研究を行うように。
このような流れで1956年に美術評論家ローレンス・アロウェイが商業デザインなどを「ポピュラーなアート」としたことから「ポップアート」の言葉が誕生。

この年にはロンドンで『これが明日だ』展が開催されると、ここでリチャード・ハミルトンが『一体なにが今日の家庭をこれほどまでに変化させ、魅力的にしているか』を発表。
これは家電品、裸の男女などの写真を切り抜いて貼り付けた「コラージュ」作品で、ここからハミルトンは「ポップ」(大衆文化)を「大衆向き、短期間で消える、使い捨て、金がかからない」などと定義。

このハミルトンの作品以降にイギリスのポップアートは広がりを見せていき、1961年にデイヴィッド・ホックニーら若い美術家が出展した『ヤング・コンテンポラリーズ』展が開催されるとイギリスにおけるポップアートは全盛期を迎えることになります。

アメリカでもポップアートが栄える

アメリカでもポップアートが栄える

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イギリスにおいてポップアートが全盛を迎えたころ、アメリカで「ポップアート」は批判的に見られていました。
イギリスの人々にとっては輝いた、先進的な文化とされたアメリカ大衆文化はアメリカ人にとっては「ありふれたもの」であったためでした。
当時のアメリカは「抽象表現主義」の時代にあり、「ポップアート」のようなものは「キッチュ(ドイツ語で「安っぽい」などを意味する言葉)」であるとして批判的な立場を取ることに。
彼らにとっては「ありふれた」ものを美術にすることは許せなかったのでしょう。

こうした流れで登場したのがジャスパー・ジョーンズとロバート・ラウシェンバーグの2人。
2人は廃物、既製品のがらくたなどの物体を利用した作品を製作しはじめ、抽象表現主義に対抗するように。
特にジョーンズが生み出した『旗』はアメリカ国旗をモチーフとした作品として有名になり、彼らのような勢力は「ネオ・ダダ」と呼ばれるように。

こうした作品はのちに抽象表現主義のアーティスト、抽象表現主義に飽き始めた人々の注目を集めるようになり、抽象表現主義は影響力を失い始めることに。
その後1960年代に入ると代表的なアーティストが登場するようになっていきます。
人々もこれまでの美術から変化を望んでいたのですね。

代表的な作家

有名人をモチーフにした「アンディ・ウォーホル」

1928年にペンシルベニア州ピッツバーグでスロバキア移民の家庭に誕生したアンディ・ウォーホルは、ピッツバーグにあるカーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)で広告芸術を学んだ後にニューヨークへ。
1952年に「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞するなど商業デザイナー・イラストレーターとして成功を収めることに。

1960年から「ファインアート」製作を始めると、1961年 (33歳)からは彼の代表作となる『32個のキャンベル・スープ缶』や『80枚の2ドル紙幣』(1962)などをモチーフにした作品を製作。
これらの作品には「シルクスクリーン(インクが通過する穴、通過しない場所を作って版画版を製版、印刷する表現技法)」を用いており、その後もこの技法を用いた作品を量産。
エルヴィス・プレスリーやマリリン・モンロー、毛沢東説いた世界的な有名人をモチーフにした作品が生み出されることに。

彼は作品以外では映画製作、音楽プロデュースも行うようになり、1967年にはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』をプロデュース。
芸術以外の分野でも才能を見せたマルチな人物であったのです。

その他に活躍したポップアーティスト

1923年にアメリカ・ニューヨークに生まれたロイ・リキテンスタインは、新聞連載漫画の 1 コマを印刷インクのドットまで含めキャンバスに拡大したアートで有名な人物。
1940年にオハイオ州立大学美術学部に入学したのち、兵役期間を含んで1949年に修士号を取得。
卒業後も大学にとどまり講師を務め1951年にニューヨークのカール・バック画廊で初の個展を開催。
この頃は製図工などをしながら最新の抽象表現主義風の作品を制作していました。

作品のヒントを見つけたのは1960年代に入った頃、自分の子どもに「ミッキーマウス」の漫画を描いた時。
このときに漫画が持つ表現力の高さに気づき、そこから漫画を拡大したような彼の「代名詞」と言えるアートが生まれることに。
名作は「何気ない日常」の場面から生み出したのですね。

看板画家として活動していたジェームズ・ローゼンクイストは画家時代に培った技術を生かした作品を製作し、爆撃機の名前を取った1965年発表の「F111」はベトナム戦争を批判する彼の代表作に。
このほかでは彫刻作品『LOVE』が代表作となっているロバート・インディアナもポップアート作家に入ります。

ポップアートの衰退・その後の美術運動

衰退・1980年代の「シミュレーショニズム」

衰退・1980年代の「シミュレーショニズム」

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最盛期を迎えた「ポップアート」が衰退を迎えるのは1960年代の終わり。
この頃になると装飾的・説明的な部分を削ぎ落とした彫刻や絵画を生み出す「ミニマル・アート」、土などの自然素材を用いて砂漠や平原などに作品を生み出す「ランド・アート」が流行。
ポップアートの流行は衰えフォークロア(古くから伝わる風習・伝統など)、ヒッピー(既成の価値観に縛られた人間生活を否定、野生生活への回帰を提唱する人々)、ドラッグなど「現実逃避」の方向に流れていき、末期はドラッグによる幻覚を表現した「サイケデリックアート」などに変化。
大衆文化とは離れたものになってきましたね。

その後1980年代のニューヨークを中心に広まった「シミュレーショニズム」は近代芸術の唯一性(アウラ。
芸術作品のコピー大量生産が可能になった中で、オリジナル作品が「現在」にのみ存在することを根拠とする権威)に反対の立場を取った芸術運動。
この流れは大衆芸術のイメージを「カットアップ(テキストをランダムに切り刻み新たなものを作る)」や「サンプリング(過去の作品の一部を切り取って再構築する)」、「リミックス(複数の作品を編集して新たな作品にする)」の手法を用いて「アプロプリエーション(盗用)」することを特徴としており、そこから「シミュレーション・アート」などと呼ばれることも。

この流れで有名となっているアーティストは写真家ウォーカー・エバンスの写真をそのまま複写、自作として発表したシェリー・レヴィーン、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館にあるトピアリー(常緑樹や低木を刈り込んで作成する造形物)彫刻『パピー』を生んだジェフ・クーンズなどが存在。
そのまま複写することなどは「著作権」に引っかかりそうで「作品」として発表してよいかは難しいところですが、そうした中でも作品を生もうとするのも「アーティスト」ですね。

旧ソ連から生まれた「ソッツ・アート」

ポップアートが衰退しようとしていた頃、旧ソ連では新しい流れが始まっていました。
その頃のソ連では「社会主義リアリズム(社会主義を称賛、革命国家が勝利に突き進む現状を描いたもの。
人民に革命意識を持たせ、教育する目的を持っていた)」が公式美術とされ認められていましたが、中には「プロバガンダ(特定の主義・思想を宣伝すること)」に満足しない人々もいたのです。
そうした流れの中で「ポップアート」を掛け合わせた作品が作られるようになり、1972年になるとアーティストであるヴィターリ・コマール、アレックス・メラミッドによって「ソッツ・アート」として運動が始まることに。

この作品群ではソ連体制・社会を批判する内容の作品が作られ、そこには独裁政権を敷いたウラジーミル・レーニンやヨシフ・スターリンの姿が登場。
こうした作品群は当時のソ連国内では公開することを許されず、作品を生み出したアーティストたちは「アンダーグラウンド」で活動することに。
作品が公開されるのはソ連末期以後に。
これらは「ポップアート」とは明らかに方向性が違いますし、こうした作品を描くこと自体が「命がけ」と言ってもいいでしょうね。

短い間に大きな影響力

ポップアートが流行したのは1950年代から1960年代と短い間でしたが、その時代に残された作品は約50年が経過した現代に見ても新鮮で、現代でも美術館の展覧会でポップアートが取り上げられることも。
こうして見ると短い間でも大きな影響力があったことがわかりますね。
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