そんな理由で独立?繁栄の都市〈シンガポールの歴史〉

シンガポール――東南アジアのど真ん中の位置する小さな国。といっても〈都市国家〉つまり1つの都市が国家をなしている、現代ではめずらしい国です。経済に強い国というイメージもありながら、〈明るい北朝鮮〉とも呼ばれるシンガポール。なんだかふしぎの国のイメージがありますが、どんな歴史があるのかみなさん、ご存知ですか?独立にはびっくりの理由が。それまではさまざまな国に侵略・統治された歳月を送っていました。シンガポールが経済大国になった理由とは?今回はシンガポールの歴史をご紹介しましょう。

〈寄港地〉シンガプーラの誕生

〈寄港地〉シンガプーラの誕生

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歴史を知るにはまず地理から。
シンガポールは赤道直下の常夏の島です。
マレー半島の先っちょにあるひし形の島が、シンガポール島。
その他には60のものすごく小さな島たちで〈シンガポール〉は形成されています。
さてその〈シンガポール〉の原型が最初に記録に登場するのは、3世紀のこと。
東南アジアの多くの国々とおなじように、素朴な生活が営まれていました。

はじまりは海賊から!?小さな港〈テマセック〉

3世紀、中国の文献に出てくるのは〈テマセック〉という漁村。
これがのちの経済大国・シンガポールの大元です。
その後、貿易拠点として栄えたシンガポールですが、この頃から交易船の寄港地として船が頻繁に出入りしていました。

さてこの〈テマセック〉にどんな人びとが住んでいたかというとそれは、海賊!海賊というと「パイレーツ・オブ・カリビアン」みたいに、商船などを襲い荷物を奪い、逆らうやつは皆殺し……と、そんなイメージ。
しかしこの地方の海賊は、一味違っていました。

シンガポールの近くにある、巨大な〈マラッカ海峡〉。
ここは数多くの交易船が通行し、絶好の「獲物」が集う場所でした。
彼らにとっては漁業をやるよりもずっと、実入りがよかったのです。
海賊というと権力に逆らい、敵対する人びとという印象。
ですがマラッカ海峡の海賊はときの権力者と協力することもあり、14世紀には〈マラッカ王国〉の誕生に貢献しました。
ちなみにこのマラッカ海峡、今も海賊が横行して国際問題になっています。

〈ライオンの町〉シンガプーラ

シンガポールといったら、〈マーライオン〉を思い浮かべる方も多いのでは?シンガポールの古い名である〈シンガプーラ〉とは「ライオンの町」という意味。
この名前になったのは、14世紀。
諸説ありますが、スマトラからやってきてこの地に繁栄をもたらした領主〈サン・ニラ・ウタマ〉が、この土地の名前を〈シンガプーラ〉と変えた、というのが通説です。

13世紀から15世紀に渡って、この地は〈マジャパヒト王国〉の勢力下にありました。
最盛期にはインドネシア諸島をまるっと影響下に置いたこの王国はしかし、〈シュリーヴィジャヤ王国〉との戦や内戦でじょじょに弱っていきます。

その後14世紀、海賊と協力関係を作った、〈シュリーヴィジャヤ王国〉最後の王子が先頭に立って〈マラッカ王国〉が誕生し、マジャパヒト王国は衰退して〈シンガプーラ〉の地を統治することとなりました。

大航海時代、ポルトガル登場

大航海時代、ポルトガル登場

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16世紀、華の大航海時代です。
スペイン、ポルトガルを皮切りにヨーロッパ諸国は資源と領土を求めて大海へ乗り出します。
アジアの大半の国の歴史にもれず、シンガポールも西洋の侵略者による受難の時期を迎えました。
シンガプーラは侵略され〈ポルトガル領マラッカ〉となり、その後オランダ領として認められます。
その先に待っていた風景とは。

ポルトガルの侵略、そして……

中国・明の朝貢国として国際的バックボーンを得、東南アジア最大の市場としても栄えていた〈マラッカ王国〉。
しかしある日突然苦難はやってきます。
すなわち1511年、大航海時代まっただなかのポルトガル人が上陸したのです。

はるかかなたから彼らが危険をおかしてやってきた理由、それは〈植民地〉そして〈香辛料〉でした。
圧倒的武力を持ったシンガプーラの人びとに、なすすべはほとんどありません。

異教徒は排除すべき敵であった、西洋人。
各地で現地民の虐殺と殺戮を繰り返します。
シンガプーラもそれに漏れることがありませんでした。
西洋人が上陸したその瞬間から、シンガプーラは植民地化と奴隷状況へと進むこととなったのです。

歴史は退行へ……〈シンガプーラ〉の滅亡

しかしポルトガルも斜陽の時代へ。
スペイン・ハプスブルクに王座を乗っ取られます。
そのような中で覇権をのばしてきたのが、のちに日本と長く交易をすることにもなる、貿易大国・オランダでした。

〈マラッカ王国〉の王族の生き残りは、あらたな国を作ってポルトガルに対抗します。
〈ジョホール王国〉です。
ジョホール王国は逆境の中であがき、オランダと協力関係を結んで、ポルトガルを追い出しにかかります。
ポルトガル対ジョホール王国とオランダ共同戦線――オランダは勝利。
小さな港・シンガプーラはオランダ領となりました。

しかし荒廃した〈シンガプーラ〉は300年に渡り、歴史から姿を消してしまいます。
あとに残ったのは、漁民と海賊が暮らす小さな小さな漁村だけ……次に表に出てくるのは、19世紀のことです。

イギリス植民地・一大交易港〈シンガポール〉へ

イギリス植民地・一大交易港〈シンガポール〉へ

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シンガポールの歴史の大転換期が、1人の男によってもたらされます。
名前はトーマス・ラッフルズ。
わずか人口150人の寂れたちっちゃな漁村にたどりついた彼は、その地理的有利さに確信します。
「この港は絶対に繁栄する……!」世界の4分の1を制覇した国・イギリス。
日の沈まない大英帝国の領土に、シンガポールは組みこまれることとなります。

世界をつなぐ港・シンガポールを作った男

アジアの貿易を一手に引き受ける、国家直営の出先機関〈東インド会社〉。
各国が東インド会社を設立しましたが、その中でも発展したのは、現地での裁量が比較的自由に発揮して運営ができた〈オランダ東インド会社〉そして〈イギリス東インド会社〉でした。

トーマス・ラッフルズがここへ上陸したのは、1819年。
〈イギリス東インド会社〉で大活躍し、ナイト(騎士)の称号まで与えられ、エリートコースを歩んでいたラッフルズ。
そんな彼はマレー半島の先っちょのちっぽけな村に上陸し、貿易船の多くが通行するこのシンガポール島の地政学的重要さに気づきます。

オランダの植民地だったシンガプーラ。
ナポレオン戦争を経て弱体化していたのもあり、オランダそして〈ジョホール王国〉から正式に割譲を受けました。
ラッフルズは都市計画化をはじめます。
その際、この島はあたらしく英語風の名前を与えられました。
〈シンガポール〉の誕生です。

無関税の自由港、苛烈な植民地支配……

ラッフルズのもとで計画され、都市として繁栄していくシンガポール。
関税をとらない「無関税の自由港」として発展します。
出入りの制限がゆるいこの島に人は集い、150人の村の人口は一気に1万人にまで増加しました。

しかし時代は帝国主義。
アヘン戦争の原因にもなった、茶・絹織物・そしてアヘンを清・イギリス・インドがそれぞれ交易する〈三角貿易〉の貿易港ともなりました。
また、マレーシア半島などでとれた天然ゴムや錫(すず)の積み出し港としても機能します。

そんな中、現地人たちは奴隷状況に置かれていました。
一方で発展していったのが〈華僑〉。
中国からシンガポールへ進出してきた中国人たちは、シンガポールの地で一大コミュニティを形成しました。
独立の気運、反英活動家も起こりますが、イギリスはそれを徹底弾圧していきます……。

太平洋戦争――日本の上陸と占領

1942年、日本軍がシンガポールに上陸します。
資源を求めて構想された〈大東亜共栄圏〉実現のため、満州から東南アジアまで勢力をのばした日本は、重要な港であり資源豊富なシンガポールにまで到達します。
敵国・イギリスと激戦を繰り広げた果てに、日本はついにシンガポール――日本名〈昭南島〉を手に入れます。
そこでは一体、なにが起こったのでしょう。
そしてシンガポールの人びとはあの時代をどう考えているのでしょうか。

シンガポール、日本領〈昭南島〉へ

シンガポールは、たいせつな港であり要衝。
植民地支配の上で重要な拠点として、イギリスは15万人の兵を動員して、シンガポールを要塞化していました。
1942年、日本軍が上陸。
36000人の日本兵に対するイギリス軍はその数、85000人。

結果は、なんと10日間の戦闘の末に日本の勝利。
8万人もの将兵が捕虜として投降します。
〈イギリス軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏〉と、その後イギリス首相・チャーチルは記しました。

その後大きな戦禍にシンガポールは見舞われることもなかったために、日本から多くの人びとがシンガポールへと出稼ぎや移民にやってきました。
しかし終戦後の1947年、わずか5年後には、シンガポールからすべての日本人が引き揚げることとなります。

「Forgive, but never forget.」

「赦す、しかし決して忘れない」この言葉はシンガポールが太平洋戦争を振り返る上で、非常に大切な言葉です。

シンガポールの日本軍による統治は、苛烈なものでした。
というのも、そのころは〈日中戦争〉のまっただなか。
そしてこのシンガポールでは、中国の系譜を継ぐ〈華僑〉が多くいました。
華僑は抗日ゲリラや反日分子として脅威とされたのです。

シンガポールが陥落した1942年の2月から3月にかけて、シンガポール在住の華僑を日本軍は粛清しにかかります。
反日かそうでないかに関わらず、数千人の華僑が無差別に殺されました。
この事件は戦後、戦争犯罪として裁かれています。
この事件を受けて1967年、シンガポールには〈血債の塔〉が建設されます。
ここには日本占領時に犠牲になったシンガポールの民たちが慰霊されています。

独立――〈シンガポール共和国〉へ

独立――〈シンガポール共和国〉へ

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1945年、日本は無条件降伏します。
それにともない、戦勝国であるイギリスは「やっぱりシンガポールはうちのもの」と主張します。
しかし時代は変わりました。
独立の気運が高まるマレーシア半島、そしてシンガポール。
〈マレーシア連邦〉として生まれ変わったシンガポールでしたが、意外きわまりない理由で都市国家となりました。
都市国家〈シンガポール共和国〉誕生の秘密とは、一体?

イギリスの影響を脱出、〈マレーシア連邦〉へ

敗戦にともなって撤退した日本軍。
しかしすぐイギリスが乗りこんできます。
ふたたび植民地支配へ、独立の道は封じられてしまいます。

しかし長年、弾圧と搾取を受けてきた現地の人びとは大反発。
「植民地支配って、カッコ悪い」という国際世論もイギリスに不利となります。
また第二次世界大戦後でへとへとのイギリスは、遠くはなれたマレーシア半島へ手を伸ばす力も残っていませんでした。
1963年にイギリス自治領としてマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州などと合同で〈マレーシア連邦〉を構成。
独立へのスタートを切りました。

シンガポールはイギリスの軛を脱し、夢の独立を果たしましたが、マレー人と中国系住民のあいだで利害関係から抗争が頻発……このことが〈シンガポール〉という国を作る本当の理由となりました。

喧嘩の末に!?〈シンガポール共和国〉誕生

「そんなに喧嘩するなら、もう独立しちゃったら?」関係悪化を続けるマレー人系政党とシンガポール系政党。
関係融和はムリと判断した双方の党首は決断します。
「マレーシアとここまできちゃったんだし、シンガポールは都市国家になったらいいと思うよ」

こうして、追い出されるような形でできたのが、1963年、都市国家〈シンガポール共和国〉です。
お隣の国・マレーシアとは現在でもマスタードな関係性。
2061年まで水をマレーシアから購入するという契約が成立していますが、それまでに水問題をどうするか……それが現代シンガポールが抱える大きな問題の1つになっています。

しかし世界銀行の発表によると、ビジネス展開に適した国第1位を9年連続でキープするなど、経済方面でかなりの手腕を発揮するシンガポール。
ASEANの中でも大きな存在感を示しています。

シンガポール、意外や意外な歴史

歴史としては近世まで、あるていど「お決まり」なコースをたどってきた……と、思いきや、かなり意外な歴史だったのではないでしょうか?19世紀、トーマス・ラッフルズという1人の男の決断で繁栄を得た、シンガポール。
そして独立まで「まさか」の展開。
なによりも、日本ではあまり知られていない、太平洋戦争での戦争犯罪……知らないことばかりだったのでは?「赦す、しかし決して忘れない」――シンガポールの人びとのその心を、私たちも見習いつつ、ともに歴史を歩んでいければと願います。
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