神様の教えのもとでたくましく――〈サウジアラビア〉の歴史

中東の大国・サウジアラビア――この国のイメージはやっぱり「石油」でしょうか。すごくリッチなお国というぼんやりとした雰囲気も。アラビア半島80%の面積を国土として保有し、北隣にクウェート、イラク、ヨルダン、イスラエルという「火薬庫」に囲まれる国家ですが、中身をのぞくと実は、アラーの神様を大切にする、イスラム教による政教一致のふしぎの国。サウジアラビアを語るに欠かせないイスラム教についてもおさえながら、アラブの大国の歴史をごいっしょに。

〈サウジアラビア〉以前の中東

〈サウジアラビア〉以前の中東

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まず、日本人に馴染みのすくない〈イスラム教〉と中東の略史からおさらいして、この記事をはじめます。
もともとが沙漠の遊牧民が多く、部族社会で構成されるアラブ社会。
このアラビア半島の地はシルクロードの中継貿易として栄えましたが、その過程で貧富の格差が拡大。
厳しい気候と生活。
人びとの心の支えは〈イスラム教〉でした。

〈イスラム教〉今昔

さかのぼれば7世紀に最後の預言者ムハンマドによって成立した〈イスラム教〉。
現代でこそ、旧時代的な部分があることにより西洋社会から批判が出ていますが、当時は先進的な制度を持つ「政教一致」制度でした。

〈アッラー〉の神様はとっても親切。
一度コーランをパラ読みしたことのある筆者ですが、まるで法律書のように人びとの権利や生活、人生のあらゆる分岐点に至ったときのサポートが書かれています。

ムハンマドの勢力拡大にともない、アラブ社会に〈イスラム帝国〉が成立しましたが、その後、後継者や教えをめぐって〈スンニ派〉と〈シーア派〉に分立します。
このあたりまでは、歴史の教科書やテレビの特集でもおなじみですね。

〈ムハンマド〉以後のアラビア半島

その後、中東はどうなったのでしょうか?ムハンマドが築いたイスラム帝国が発展した〈ウマイヤ朝〉は西はスペイン(イベリア半島)から東は中央アジアまでを治める大帝国に発展します。
と同時に古代ギリシャのアリストテレス哲学をはじめとして、すぐれた哲学を自分たちの世界に盛りこみ、文化的にも成熟していきます。

その後、ウマイヤ朝は国内のシーア派による反乱で滅び、いくつかの王朝や国が勃興しては滅んでいきます。
しかしこの地方を最終的に治めたのはあの〈オスマン・トルコ帝国〉でした。

16世紀にはアラビア半島を支配下に置いた、オスマン・トルコ帝国。
多民族国家として地中海から北アフリカ、一時期は東ヨーロッパまでおさめる大国のもと、アラブ世界もオスマン・トルコ帝国色に染まっていきます。
そんな中この半島に18世紀、1つの国が誕生するのです。

〈サウード家〉の誕生と最初の王国

〈サウード家〉の誕生と最初の王国

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イスラム教にもさまざまな教えや実践方法があります。
が、人のあいだであつかわれるうちにだんだん教えが緩んでいくのは、歴史のならわし。
「そんなことではいかん!」と宗教改革が起こります。
そこで起こったのが〈ワッハーブ派〉。
ワッハーブ派の主張は「本来の信仰に戻るべき」という復古主義でした。
コーランとムハンマドの行動にならって、本来の信仰へ――そんな運動を後押ししたのが〈サウード家〉、現在のサウジアラビア王国の祖となる豪族です。

〈ワッハーブ派〉の今につづく信念

復古主義〈ワッハーブ派〉。
「コーランと預言者ムハンマドの言行(スンナ)に立ち返ろう」という宗教改革です。
この原理主義的な傾向については、現在のサウジアラビアに続くものがあるので見ていきましょう。

宗派としてはスンニ派に属します。
改革運動を開始した人物〈ワッハーブ〉という人の名をとって〈ワッハーブ派〉と呼ばれるようになりました。
アッラーの教えであるコーラン、そして預言者ムハンマドの行い「のみ」に従い、他は本来の教えからの逸脱とする考えです。
この教えはもちろん当初迫害されます。

そこに登場したのが〈サウード家〉という一部族。
ワッハーブ派を強く信仰するようになったこの部族長は、宗教面をワッハーブに担当してもらい、自分は政治と軍事面を担当。
人びとを信仰で惹きつけ、勢力を拡大していくのです。
この信仰は現在のサウジアラビアという国のベースにもなっています。

オスマン・トルコ帝国の力

それに目くじらを立てたのが、中央アジア一帯を勢力下に置いていた強国・オスマン・トルコ帝国。
諸宗教・教派に寛容な政策をとっていたオスマン・トルコ帝国は「そんな原理主義的勢力が強くなったら、国家のバランスが崩れる」と危機感を覚えます。
多様性を重んじるオスマン・トルコ帝国内で、厳しく一神教戒律を守るワッハーブ派は異端の1つでした。

1818年、〈第一次サウード王国〉はトルコの侵攻にあって滅亡。
しかし王族はのがれ、サウジアラビア中部のリヤドに拠点を移して〈第二次サウード王国〉を建国します。

一方、19世紀にはイスラム世界を統治していた、オスマン・トルコ帝国自体が弱体化。
ルネサンスやフランス革命、産業革命を経験し、成熟したヨーロッパに押されていきます。
お隣・ロシアにジリジリと押されて〈クリミア戦争〉が起こったのも19世紀、1853年のことでした。

初代国王〈イブン・サウード〉の辣腕と石油の発見

初代国王〈イブン・サウード〉の辣腕と石油の発見

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サウジアラビア王国建国の背景には、宗教的バックボーンと英雄の姿がありました。
復古主義〈ワッハーブ派〉を強く信仰する、サウード家の当主〈イブン・サウード〉、のちのサウジアラビア初代国王です。
〈サウジアラビア〉とは〈サウード家の国〉の意味。
ゴッドファーザーのもとで台頭するサウジアラビアに1938年、大事件が起こります。
サウジアラビアの東部州ダンマームで、石油が採掘されたのです。
油田の開発はサウジアラビアの歴史を変えました。

わずか22歳の当主、生涯を賭けた使命

アラビア半島の一豪族にすぎなかった〈サウード家〉。
一時、オスマン・トルコ帝国の追撃もあってサウード家は弱体化し、クウェートにまで亡命します。
国家を再建するも内紛によって〈第二次サウード王国〉は滅亡してしまいました。

そこから巻き返してきたのが、わずか22歳で当主の座についた〈イブン・サウード〉という青年でした。
1902年、わずか40人の兵力で要衝・リヤドを奪還。
ここはサウジアラビア王国の首都となります。

第一次世界大戦ではのちに戦勝国となるイギリスに接近し、力を得ます。
大戦後、オスマン・トルコ帝国は滅亡。
諸地域は解体されます。
その混乱の中でイブン・サウードはアラビア半島諸国を軍事力で勢力下に置きました。
アラビア半島の8割を占める国土をこのとき獲得したのです。
1932年には〈サウジアラビア王国〉を名乗り、イブン・サウードは初代国王となりました。

石油、発見――サウジアラビアは一躍「お金持ち」へ

1938年、サウジアラビアで一大事件が起こります。
油田の発見です。
サウジアラビア東部州に発見された〈ダンマン油田〉は、沙漠という土地の貧しさゆえに、経済的な苦しさにあえいでいたサウジアラビア王国に光を投げかけました。

第二次世界大戦中に開発が中断されましたが、1946年には採油作業が開始。
世界一の石油産出国として、経済大国としてサウジアラビアはスタートを切ります。
また、国際的地位も向上。
世界情勢を語るにおいて欠かせない存在となりました。

石油という最強ともいえる資源を手に、サウジアラビアは驚異的な経済発展を遂げました。
世界中に石油を輸出、現在も国家の財源の8割を石油に頼っています。
そのリッチさはちょっと信じがたいもの。
現在では住宅、教育、福祉などがすべて無料で提供されています。

〈中東戦争〉の混迷へ

〈中東戦争〉の混迷へ

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世界が転回した、第二次世界大戦。
そして引き続いて勃発した冷戦――第二次世界大戦の混迷のあとにできた〈イスラエル〉という国が、中東地域の火薬庫となります。
強引に作られたユダヤ人の国は、アラブ諸国の反発を買います。
1948年から1973年まで、4次に渡る〈中東戦争〉の勃発です。
イスラエルとはヨルダン王国を挟んでごく近い距離にあるサウジアラビアも、アラブ諸国としてイスラエルと戦争を開始します。
泥沼の戦争がエジプトの一大統領とイスラエル首相との和睦で一段落つくまで、サウジアラビアも大きな役割を果たしました。

〈中東戦争〉の勃発

世界中を巻きこんだ第二次世界大戦。
サウジアラビアは終戦ギリギリの1945年まで中立を保ち、連合国が勝つと確信してから連合国として参戦します。
しかしその後、アラブ諸国には苦難が待ち受けていました。

詳細は筆者あきこのむの記事『現在に続く混迷の先に――〈中東戦争〉の歴史』に書きましたが、ユダヤ人によるイスラエル建国をめぐって「強引で不当だ」と周辺のアラブ諸国は大激怒。
イスラエルVSアラブ諸国の戦争が勃発します。
4次に渡る〈中東戦争〉です。
このときサウジアラビアはエジプトと並んで大きな役割を果たしました。

このころ建国の巨人・イブン・サウードが崩御。
彼の次男が第2代国王として即位します。
しかし経済政策にも外交問題にもけつまずき、高まる不満の中退位。
新しく即位したのは父・イブン・サウードの信頼もあつかった第3代国王・ファイサル。
国内の近代化を推進し、実質的な憲法となる「基本統治法」のベースや、女学校の設立も実行しました。
また彼は親米路線を推し進めます。

〈石油政策〉で世界が大パニック!

第4次中東戦争。
第3次までイスラエル軍が優勢だったこの戦争で、第3代サウジアラビア国王ファイサルが奥の手を繰り出します。
つまり石油の価格を4倍に跳ね上げたのです。

世界中に石油の輸出を事実上ストップ。
イスラエルが戦闘機などを動かそうにも、動かせない状況を作り出したわけです。
この思いきった政策はイスラエルを窮地に立たせました。
が、世界は大混乱!日本でもトイレットペーパー買い占め騒動などが起こりました。

しかしこの中東戦争は最終的に、エジプト主導の〈キャンプ・デービッド合意〉により平和裏におさまることに成功します。
難局を乗り切ったファイサル国王でしたが、近代化改革の中途で王子の1人を射殺、それを根に持った王族に暗殺されてしまいます。
その後世代交代を経て、現在のサルマン国王は7代目です。

21世紀のサウジアラビア

21世紀のサウジアラビア

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さて現在のサウジアラビアはどのようになっているのでしょう?そこにはイスラム教の教えやアラーの神、そしてムハンマドの行いを深く尊ぶ姿勢が貫かれています。
一方で厳しい戒律を実践するがゆえに、イスラム過激派の「あの人」が生まれる母体になったりも……。
21世紀のサウジアラビア王国を見ていきましょう。
イスラム教の教えにもとづく政治と生活、その意図とは何なのでしょうか?

サウジアラビア人〈オサマ・ビンラディン〉の登場

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件。
その首謀者〈オサマ・ビンラディン〉が生まれたのは、サウジアラビアです。
その背景には、中東戦争以後も混乱を続ける中東情勢が絡んでいました。

サウジアラビアにはイスラム教の聖地・メッカとメディナがあります。
この地に入国するには原則、イスラム教徒である必要がありますが、1990年の〈湾岸危機〉にともなって政府はアメリカ軍の駐留を許可します。
しかし大事な聖域のある場所に、イスラムの教えを守ることのない他人が踏み入ってくるのを心苦しく思う人も多かったのです。

原理主義の中でも、軍事力や武力で障害を排除したり状況を変えようとする人びとが出てきます。
〈イスラム過激派〉です。
オサマ・ビンラディンは情勢を憂えるあまりテロリズムに走ります。
しかし彼のしたことは断じて許されることではありません。
原理主義から発展する過激派の問題は、イスラム教徒たちにとっても深刻につらい問題でしょう。

税金がない?アラーの神様のやさしさ

サウジアラビアは政教一致。
イスラムの教えと政治・生活が一体化しています。
イスラム教というと〈IS(イスラム国)〉などイスラム過激派を連想して「おっかない……」となりがち。
しかし実際にコーランを読むとアラーの神様のやさしさが見えてきます。

たとえば〈ザカート(喜捨)〉。
お金のある人は収入の2.5%程度を貧しい人、生活苦の人に分け与えるべし、という「制度」がコーランの教義に存在します。
これをそのまま国内の法律として適用して、福祉制度などに税金として応用しています。

また国際的に問題となっている女性差別。
基本的には弱い立場の女性を守り、男性の欲望から遠ざけるという趣旨の教えです。
男性から「守る」ためにレストランまで女性専用席が設けられています。
徹底されていますね。
それでもイスラム世界で女性がないがしろにされることは多いのは事実。
長い時間をかけて考えるべき問題です。

神様の教えとともに生きる、たくましい国

石油、イスラム教……なんだかぼやーっとしたイメージしかなかった、サウジアラビア。
実は一部族がしたたかに勢力を拡大し、さらには石油採掘という天の恵みもあって発展してきたのですね。
特定の信仰を持つことが少ない日本において、神を信じるということ自体ふしぎな感じを覚えるかもしれません。
が、サウジアラビアの人びとはアッラーの神様を大切にしながら、厳しい気候や戦争を生きのびてきました。
しかしイスラムの教えやコーランというのは実によくできたシステムです。
それを活かしての国家運営、なんだか興味深いですね。
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