母も妻も師も殺めた、ローマ史を代表する暴君ネロ

国には名君もいれば平凡な主もいますし、もちろん中にはとんでもない暴君が出現します。それが長く続くことはほぼないのですが、その当時に生まれてしまった人々にとっては迷惑千万な話ですよね。ローマ史に現れた皇帝ネロは、まず暴君というイメージで語られるかと思います。では、彼はどのように暴君だったのでしょうか。血塗られた道を歩んだネロの人生彼を取り巻く状況、そして、わずかに名君の片鱗を見せた瞬間もお伝えしたいと思います。

先祖はアウグストゥスにアントニウス!

先祖はアウグストゥスにアントニウス!

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ローマ帝国5代皇帝ネロは、本名をネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスと言います。
長いですね。父はエジプト女王クレオパトラの夫となったアントニウスの孫に当たる人物であり、母はローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの曾孫に当たります。
ネロは、血筋から言ってもかなりのサラブレッドになるわけですね。

そんな彼が典型的な暴君のイメージで後世に伝わっているのは、愛人を妻にするために母や妻を排除し、師を死に追いやり、キリスト教徒に激しい弾圧を加えたためです。
これは覆しようのない事実なのですが、実は即位後の5年ほどは「まれに見る善政」を行ったとも伝わっているんですよ。
また、史実にあるものの後世にあまり浸透していない事実もあります。
他にも、妻とした愛人が陰で糸を引いていたという説もあるんです。

それでは、ネロの生涯について見ていきたいと思います。

皇帝の養子となり、後継者となる

皇帝の養子となり、後継者となる

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ネロは幼くして父を亡くしており、母である小アグリッピーナは実の兄である時の皇帝カリグラによって追放処分を受け、ネロ自身は叔母の元で育ちました。そして11歳のとき、母が皇帝クラウディウスの妃の座を得たためネロは皇帝の養子となり、母の策略によって皇帝の後継者の地位を得たのです。
本来なら歴史の波に埋もれていくはずの存在が、一気に歴史の表舞台に立つ権利を手にしたのでした。

そしてネロ18歳のとき、クラウディウスが亡くなり、彼は皇帝の座に就いたのです。

聡明だった青年皇帝と母の干渉

聡明だった青年皇帝と母の干渉

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ネロの治世初期は「稀に見る善政」と称されましたが、それは、彼の家庭教師兼補佐役として、当代きっての哲学者セネカがいたからです。
若き皇帝は師の言うことをよく聞き、それによって治世は安定していたわけですね。しかし、ネロを皇帝の養子から後継者にまで押し上げたのは、母の小アグリッピーナでした。
そして、彼女は息子の政治に口を出してきたのです。

もちろん、これがネロにとって面白いわけがありません。
加えて、ネロと正妻のオクタウィアの仲が冷えたため彼が解放奴隷の女性を寵愛すると、小アグリッピーナが介入して別れさせられそうになったりしました。

また、オクタウィアに不満があったネロは、彼女と離婚し、ポッパエアという別の女性との結婚を望みます。
しかしこれも母の反対によっていったん頓挫してしまいました。

母の干渉に我慢ができなくなったネロは、ついに行動に出ます。

それは、母の殺害という暴挙でした。

暴君、本領発揮

暴君、本領発揮

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気に入らない母がいなくなり、ネロは思う存分わがままに振る舞い始めます。まず、母に反対されたポッパエアとの結婚を実現します。
実は彼女は人妻でありその夫はネロの親友だったのですが、これは左遷。
そして、正妻オクタウィアと離婚し、彼女には不倫の罪を着せて処刑してしまったのです。

その上、師だったセネカには謀反の疑いをかけて自死を命じました。

そんな中、64年のこと。
ローマを大火災が襲います。
鎮火までに6日7晩かかるほどの大火でした。

元々ローマには木造家屋が多く、これまでに何度も大火は起きていたのですが、いつしか人々の間にはこんな噂が流れ始めます。

ネロが自分の思い通りの都をつくるため、街に火を放ったのだ、と…。
そして、ローマが燃える様子を眺めて喜んでいたと。

これはあくまで俗説や噂の域を出ないのですが、こうした話が広がるにつれ、ネロはそれをもみ消そうと必死になります。

そして彼が目を付けたのは、近年立ってきたキリスト教徒でした。

ネロは彼らこそが大火の犯人だとし、彼らを片っ端からつかまえて処刑してしまったんですよ。
これが、ローマ帝国による最初のキリスト教弾圧になります。

ネロの伯父・狂気の皇帝カリグラ

ここで、ネロの伯父カリグラと母の小アグリッピーナ、ネロの2番目の妻ポッパエアについて少し触れておきたいと思います。
ネロの悪行を語る上で、3人の存在は常に付いてまわるイメージなんですよ。カリグラはネロに似ています。

若くして皇帝となり、最初の間は善政を行っていたのですが、一度病に倒れた後に豹変します。
気分次第で人を殺し、浪費の限りを尽くし、セックスに溺れ近親相姦まで行っていたというのです。
そして、その相手がネロの母でありカリグラ自身の妹である小アグリッピーナだというのですから、とんでもないと言わざるを得ませんよね。

そんな人物ですから、末路は悲惨なものでした。
カエサルのように、何人かの将校によって滅多刺しにされて殺されたのです。

野望に満ちた母・小アグリッピーナ

ネロの人生に大きく関与したのが、母である小アグリッピーナでした。カリグラの妹だった彼女は、兄と近親相姦関係だったとも言われています。
ただ、兄の暗殺を企てたとして追放され、このとき幼いネロと離されてしまいました。

その後、皇帝クラウディウスの後妻に収まり、自分の息子ネロを皇帝にしようと画策し、見事それを成し遂げます。

ただ、彼女の大きすぎる野心がネロとの間に亀裂を生じさせました。
息子に干渉しすぎるあまり疎まれ、宮殿から追放されてしまいます。

そして、彼女は息子の計略によって暗殺されることとなったのでした。

彼女の乗った船がネロの命令で沈められたのです。
しかし泳ぎの上手な彼女は岸にたどり着き、自分が生きていることをネロに伝えようと使者を送りますが、その使者が短剣を持っていたために、ネロは母が自分を暗殺しようとしたとして殺害を命じたのでした。

殺される寸前、小アグリッピーナは自分の腹(もしくは股)を指して「ここからネロが生まれたのだから、ここを刺すがいい」と言ったそうです。

どこまでも強く野心的な女性でした。

どこか母に似た女性・ポッパエア

ネロが熱烈に愛した2番目の妻ポッパエアは、前述の通りネロの親友の妻でした。
ネロは親友を左遷して彼女を手に入れたとも言われていますが、何より彼女自身がネロに近づくためにその親友を夫としたのだともいう説があるんです。
つまりは、ネロの母・小アグリッピーナと同様、野心に満ちた女性だったんですね。そして、ネロが行った数々の悪行(母殺し、師セネカの追放と殺害、キリスト教徒の迫害)には、すべて彼女の意向が働いていたという見方もあるんですよ。
だとすれば彼女こそが諸悪の根源ともなりかねないわけですが、ネロも妻の意向を退けなかったということで、共犯的な夫婦とも言えるのではないかと思います。

このように、ネロの人生には伯父・母・妻という存在が大きな影響を与えていたわけです。
また、血族間の結婚や離婚を繰り返すローマ帝国の複雑な事情も見え隠れしているんですね。

黄金色に輝く宮殿「ドムス・アウレア」

黄金色に輝く宮殿「ドムス・アウレア」

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ローマ大火の後、ネロは都市の再建に乗り出します。
また、それだけではなく、被災者へのケアも行いました。
火災が起きたときも陣頭指揮を執っていたといいますから、彼も完全に暴君というわけではなかったようです。
また、これが、彼が最後に見せた聡明さの欠片でもありました。
それだけではなく、このときは各地の反乱も鎮圧に成功し、外交も上手くいっており、治世としては安定していたというのですから、暴君ネロの時代とはちょっと思えませんよね。さて、ネロは都市再建の一環として、ドムス・アウレア(黄金宮殿)の建設を始めました。

これがまたすごい宮殿で、各部屋に金箔が貼られて金色に輝き、やりすぎと言ってもいいほどに装飾しまくられていたそうなんですよ。
大理石やモザイクが使われて荘厳華麗をきわめ、天井から花びらや香水が降ってきたとも言われています。
そこには、37mもの大きさのネロ像があったとか…。

この宮殿は104年に火災で燃えてしまいましたが、宮殿跡が地下遺構として残されています。
ここを「グロッタ」と呼ぶのですが、そのグロッタから見つかった人や動物、植物を使った装飾文様は「グロテスク」と呼ばれるようになりました。
グロテスクと言っても、ここでは、気持ちの悪いものを意味するのではなく、奇妙さや不思議さの意味合いの方が強いです。

ネロ、数々の奇行に走る

ネロ、数々の奇行に走る

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ローマ大火の際には皇帝らしさを見せたネロですが、やはり皇帝らしからぬ行動の方が目立ちました。男であろうと女であろうと、美しければ誰でも連れ去って自分の側に置いたといいます。
まるで伯父カリグラのような淫蕩さも持っていたのかもしれません。

また、歌手の真似事をし、数千人を集めてリサイタルまで開きました。
当時の歌手はとても身分が低かったため、側近たちは眉をひそめましたが、ネロはまったく意に介しませんでした。
肝心の歌声はというと…退屈すぎてみんな逃げ出してしまうほどだったそうです。
後に皇帝となるウェスパシアヌスは、ネロが歌っている最中に居眠りをしたために絶交されてしまったんですよ。

それだけでなく、4年に一度開かれるスポーツの祭典「オリンピア祭(オリンピックの原型)」に対抗して、5年に一度の「ネロ祭」を開きました。
その上自分も出場して優勝したというのですから、どこまで自己満足をやり尽くしたのか…というところですね。

こんなことばかりしていたので、人々はだんだんとネロに愛想を尽かしていったのでした。

「国家の敵」となったネロの最期

「国家の敵」となったネロの最期

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ローマ帝国においては、決まった資格を持った議員から成る元老院が統治機関として大きな力を持っていました。
外交や財政などの決定権も元老院が握っていたんです。そんな大きな力を持つ元老院の面々は、奇行の止まないネロに困り果て、やがて見捨てる決断を下したのでした。

ローマ大火から4年後の68年、ネロは元老院によって「国家の敵」とされてしまいます。
加えて、直前に反乱を起こして敗走していたガルバという将軍を皇帝に擁立したんです。

もはや、ネロは皇帝の座を追われた罪人でした。

宮殿から逃げ出したネロは郊外の別荘に潜伏しますが、追っ手はすぐにその場所をかぎつけてやって来ました。
逃げることもかなわぬと悟ったネロは、自分の喉を剣で突き、自殺を図ったのです。
しかし死にきれず、奴隷にとどめを刺させたとも言われています。
30年の生涯でした。

意外にも惜しまれた暴君

意外にも惜しまれた暴君

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ネロの死後、意外なことに、墓には市民からの花や供え物がたくさん寄せられました。
ネロの慰霊祭が催されると、人々は喜んだそうです。
しかも彼は神格化までされ、美術品の中には神となったネロが描かれていたりするんですよ。暴君だと言われたり、奇行に愛想を尽かされたりしたとは言っても、市民はどこか彼を皇帝として慕っていたということですよね。
ローマ大火の折に彼が見せた迅速な対応と被災者のケアなどが、市民の心に残っていたのかもしれません。

暴君のイメージだけではないネロを知ろう

こうして、カエサルの後を継いだアウグストゥスによって建国されたローマ帝国は、最初の一区切りを迎えることになりました。
ネロの後、軍と密接な関係を持つ有力者が皇帝に即位するケースが増え、ローマは内戦に突入するのです。ネロは暴君として歴史に残ることとなりましたが、完全にそうとも言い切れないことは、市民が彼の墓に花を手向け続けたことが示しています。
皇帝の権力や財力を手に入れてしまったがために、己の欲望をコントロールしきれなくなってしまったことが、彼の悲劇だったのかもしれません。
元々は頭の良い人物だったのですから、もう少し、上に立つ人物としての帝王学をしっかり学べれば良かったのでしょうね。

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