ウィーン観光ならここ!ウィーン近郊にある自然と歴史が溶け合った観光スポット

ケルト人がこの地に住みついて以来、ローマ帝国時代にはヴィンドボーナと呼ばれた要塞都市ウィーン。神聖ローマ帝国時代にはオストマルク(東の砦)の中心都市となり、バーベンベルク家の支配のもと宮廷都市として発展しました。ハプスブルク家がウィーンを拠点にしてからは、ハプスブルク帝国の帝都。その歴史はウィーンという都市のあちこちに残っていますが、今回はウィーンの近郊を散策してみることにしましょう。かつて壁に囲まれていた旧市街とは別の歴史があり、別の風景がありますよ。

プラーターの大観覧車は万国博覧会のときに造られました

プラーターの大観覧車は万国博覧会のときに造られました

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プラーターといえば大観覧車が有名ですが、これは1873年のウィーン万国博覧会のときに建造されたもの。
プラーターの遊園地の入口で、今もゆっくりと回り続けています。
プラーターはもともとはハプスブルク家の狩猟地だったのですが、啓蒙専制君主と呼ばれたヨーゼフ2世(1471~1790)のときに広く一般の市民にも開放されたのですよ。
ヨーゼフ2世はそのほかにもシェーンブルン宮殿の庭園も開放しましたが、やはり庶民にはプラーターのほうが行きやすかったでしょうね。

パリの凱旋門のあたりをエトワール(フランス語で「星」という意味)と呼んでいるのは、ここにを中心にしてちょうど星のように何本かの道路が四方八方に走っているからです。
プラーターには凱旋門はありませんが、パリのエトワールと同じようにここはプラーターシュテルン(「シュテルン」はドイツ語で「星」という意味)。
オーストリアに鉄道が敷かれるようになった頃ここに北駅というターミナルができて、遠くは現在のウクライナ西部からウィーンを目指して人々が来たのですよ。
1873年のウィーン万国博覧会はある意味では失敗でしたが、それは入場者の大部分が外国ではなく同じハプスブルク帝国の辺境地帯から来たからなのですね。

プラーター公園には遊戯施設も飲食店もあります

プラーター公園には遊戯施設も飲食店もあります

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今はもうターミナルでなくなったウィーン北駅と大観覧車を通り過ぎると、そこはプラーター公園。
身分制社会だったハプスブルク帝国も、ここはいろいろな身分の人たちが集まって楽しんだ場所でした。
世紀末ウィーンの代表的劇作家シュニッツラーの『輪舞』という劇には、ここで出会う身分違いの男女が登場するのですよ。
また大観覧車は第二次世界大戦後のウィーンが舞台の『第三の男』(1949年のイギリス映画)の名場面。
そんな古いプラーターもそのまま残っているかと思えば、遊園地の乗り物はすっかり現代的になっていますね。

また、蝋人形館として有名な「マダム・タッソー」があり、ここではとくにシシィという愛称で呼ばれた皇帝妃エリザベートが人気だとか。
大観覧車に乗ってゆっくりとウィーンの街並みを見下ろすのもいいし、プラーターの遊園地でジェットコースターに乗るのもいいですね。
メリーゴーラウンドはつい最近まで本物の馬でやっていたのに廃止されたのは残念です。
遊び疲れたら「シュヴァイツァー・ハウス」に行って料理やワインやビールで休憩。
プラーター博物館でその歴史をのぞいてみてください。

美しくも青くもないドナウ川の中洲には国際センターがあります

美しくも青くもないドナウ川の中洲には国際センターがあります

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ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」は有名で、1月1日のウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートのアンコールで必ず演奏される曲。
ウィーンの旧市街とプラーターのあるレオポルトシュタットとの間に流れているのはドナウ運河ですから、これが美しくも青くもなくても不思議はありません。
プラーターシュテルンには地下鉄U1(ウー・アインス)の駅もあり、これに乗って行くとまもなく地上に出てドナウ川が足元に見えてきます。
ここでもやはりドナウ川そのものはあまり美しくもありませんが、もう少し下流に行くと国立公園もありますから、そのあたりなら美しいドナウ川に出会えるかもしれませんね。

高いところを走る地下鉄の窓からドナウタワーや国際センターの近代的な建築物を見たあと、また川を渡ります。
こちらはアルテ・ドナウと呼ばれていますが、川というよりはむしろ池で、その周辺は別荘地。
ここなら泳ぐこともできるのですよ。
ドナウ川とアルテ・ドナウの間の中洲に立っている国際センターには、国際連合の事務局が入っているのですね。
10を越える民族によって成立していたハプスブルク帝国の首都ウィーンは、第二次世界大戦後積極的に国際連合を受け入れ、ニューヨークとジュネーヴに次いで第三の国連都市になったのでした。

中央墓地はウィーンの南西の端にあります

中央墓地はウィーンの南西の端にあります

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映画『第三の男』のことを言いましたが、この映画の最初の場面と最後の場面はウィーンの中央墓地。
名前は「中央」ですが、ドナウ川とドナウ運河が合流する地点の近く、ウィーン市と空港のあるシュヴェヒャートとの境にあります。
ウィーン市内にはあちこちに墓地がありますが、宗教による制限もあるために、あるユダヤ人墓地は荒れ放題のまま放置されています。
19世紀後半にウィーンの大規模な都市改造が行われたとき、宗教や民族や国籍などの区別なく誰もがここに埋葬できるようにと、1874年にウィーン市のはずれの大規模な土地を利用して建造されたのですね。

この巨大な墓地の一角に音楽家だけを集めた場所があり、その中央にはモーツァルト像が立っているのですが、残念ながらモーツァルトの墓はここではありません。
ベートーベンやシューベルト、ブラームスやヨハン・シュトラウス父子など有名なウィーンの音楽家たちが、それぞれ特徴のある墓石の下に眠っているのです。
中央墓地の中央には、その当時の市長だったカール・ルエーガーを記念してカール・ボロメウス教会が立っています。
11月1日の万聖節には多くの市民がここに花を供えに来るのですよ。

オーバーラー公園には温泉もケーキ屋さんあります

中央墓地の西には、クーアパルク・オーバーラーという大きな公園があります。
「クーア」とは「治療」とりわけ「温泉治療」という意味ですが、ここには本当に温泉がりウィーン市民の憩いの場。
この公園の北側にはシュヴァネン湖などの池があり、散策する道が整備されていますよ。
「シュヴァネン」というのは「白鳥(複数形)」という意味で、その名前からして美しいですね。
レストランもいくつかあるので、ウィーン市郊外のさわやかな風にあたりながらのランチはまた格別。

南には古代ローマ風の「テルメ」があり、ここで温泉治療をすることができます。
古代ローマ人はともかく温泉が大好きなことで知られていて、『テルマエ・ロマエ』という日本映画もありましたね。
日本の温泉は裸になって入浴しますが、ヨーロッパの温泉は水着を着てプール感覚で泳いだり歩いたり。
フィットネスセンターが併設されているのも納得ですね。
ウィーンといえばケーキが有名ですが、ここには「オーバーラー」というケーキ屋さんのチェーン店の本店があり、入浴後甘いケーキもいいでしょう。
ケーキ屋さんのことをウィーンでは「コンディトライ」ということも覚えておいてくださいね。

ベルヴェデーレ宮殿からの眺めは最高です

ベルヴェデーレ宮殿からの眺めは最高です

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ウィーン市の周辺部を見て回りましたが、ここからウィーンの中心部に少し戻ってみることにしましょう。
オーバーラーから北に向かって行くとベルヴェデーレ宮殿があります。
「ベルヴェデーレ」とは「いい眺め」という意味で、南北に広がった宮殿の庭園の南にある上宮殿からは、ウィーン市内が一望できますよ。
ここはハプスブルク家ではなく事情があってフランス宮廷にいられなくなったサヴォア家のオイゲンの建てたもの。
プリンツ・オイゲンの名で知られるこの小柄な貴族は、ウィーンを包囲していたトルコ軍をベオグラードまで追い返した英雄。

ホーフブルクの英雄広場にその騎馬像がありますが、ハプスブルク家の当時の宮廷よりずっと立派な宮殿をウィーンの市壁の外に建築したのでした。
ウィーン旧市街に近い下宮殿にはバロック博物館がありますが、この宮殿そのものが典型的なバロック様式の建築。
またオーストリア絵画館では世紀末ウィーンを代表する画家クリムトの作品に出会えますよ。
宮殿の南にあるシュヴァイツァー・ガルテンには現代美術館、さらにその南には軍事博物館がありますが、軍人として名をあげながら建築や美術を愛したプリンツ・オイゲンの思いがこもっているのでしょうか。

分離派美術館とナッシュマルクトはすぐ近くです

分離派美術館とナッシュマルクトはすぐ近くです

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ここでウィーンの旧市街に入らずに、リンクシュトラーセの外側を時計回りに歩くと、「黄金のタマネギ」という愛称で知られるウィーン分離派館があります。
中世どころか古代ローマの伝統までが生きているウィーンですが、その一方で新しいものに対するセンスも無視できませんね。
19世紀後半の「歴史主義」と呼ばれた絵画を最初はクリムトも描いていて、それはブルク劇場の壁画に残っていますよ。
その後クリムトはその伝統的な絵画から分離して分離派を結成したわけです。

ドナウ川の支流のウィーン川沿いに少し南西に行くとナッシュマルクトという市場があります。
「ナッシュ」というのは「つまみ食い」という意味の語から派生しているのですよ。
この市場では世界各国のいろいろな食べ物が売られていて、日本の食品を専門に扱っている店もあるのですね。
芸術作品を鑑賞したあとに、トルコのケバブなどを立ち食いしてみるのも面白いかもしれませんね。

ヘルメスヴィラは皇帝妃エリザベートが愛した別荘です

ヘルメスヴィラは皇帝妃エリザベートが愛した別荘です

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ウィーン川をさらに上流に行くとシェーンブルン宮殿がありますが、さらに上流に足を伸ばすとそこはもうウィーンの森。
ウィーンの森はウィーン北部のカーレンベルクから始まり、ウィーンの北西から南西にかけて小高い山となっているのですが、このあたり一帯はラインツァー・ティアガルテン。
「ティアガルテン」というのは「動物園」という意味なのですが、シェーンブルン宮殿にある動物園とはちがってこの「動物園」は、動物たちが自由に生きられるよう禁猟区になっている自然の森。

この広大な動物保護公園のなかに、ヘルメスヴィラという宮殿のような別荘があります。
エリザベートはバイエルンの出身で、父親譲りの狩猟好き。
もともと皇帝妃になる気もなかったので、ウィーンの宮廷とは別のもっと自由な空気を吸うためにあちこち旅したのでした。
もともと見合い相手の妹だったエリザベートに一目惚れして、母親の反対を押し切って結婚した皇帝フランツ=ヨーゼフ1世。
愛する美しい妻のためにこの広大な緑地にヘルメスヴィラを建てたのでした。

グリンツィングでホイリゲを楽しみましょう

ホイリゲというのは新酒のワインのことですが、同時にまたそれを飲ませる店のことをいいます。
プラーターを市民に開放したヨーゼフ2世のときにホイリゲの許可制度ができたのですよ。
ウィーンの郊外にはあちこちにブドウ畑があり、農家の人たちは自分の畑で収穫したブドウからワインを作っていますが、そのワインを農家の中庭で客に飲ませることを許可してもらったのがホイリゲ。
年間の営業日数も限定されているし、食べ物を販売してはいけないことになっているのですね。
束ねたモミの木の枝が店先に出ていたらその日は営業日。

カーレンベルクのふもとにあるグリンツィングがホイリゲとして有名な場所ですが、ウィーンの周辺にはほかにもホイリゲがたくさんあります。
グリンツィングは観光客がよく行くところなので、いつ行ってもかならずホイリゲはやっていますが、もっと本格的なホイリゲに行くと、せっかく行ったのに今日は休みなどということもありますね。
ホイリゲは口当たりがジュースのようにさわやかでいくらでも飲めてしまいますが、アルコール度数は高めなので飲み過ぎにはくれぐれもご用心。

ハイリゲンシュタットでベートーベンは交響曲『田園』を作曲しました

ハイリゲンシュタットでベートーベンは交響曲『田園』を作曲しました

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グリンツィングから東に向かうグリンツィンガー通りを行くとハイリゲンシュタットに着きます。
途中にプロブスガッセという小路がありますが、この「プロブス」というのは古代ローマ帝国の皇帝の名前。
ウィーンはローマ帝国時代に要塞として建設された都市で、温泉もあればワインもあるということですね。
楽聖と言われたベートーベンはウィーン市内をあちこち引っ越しましたが、ブドウ畑の広がる田園風景のハイリゲンシュタットはベートーベンが愛した場所として有名。

病気で耳が悪くなってしまい、音楽家としては致命的だったために自殺をしようとして遺書を書き残したベートーベンですが、その遺書を書いた家がハイリゲンシュタットには残っているのですよ。
もちろんベートーベンはその苦難を乗り越えて「歓喜の合唱」に到るのですが、ハイリゲンシュタットでは交響曲第六番『田園』を作曲したとか。
遺書の家とは別に、ベートーベンが住んでいた家は現在はホイリゲになっていますよ。

ウィーンの郊外では自然と歴史の絶妙のハーモニーが聞こえてきます

ウィーンの郊外を一巡りしてみましたが、ほとんど自然の風景がない旧市街とはちがって、ウィーンの森もあれば、ブドウ畑の広がる田園風景もありますね。
美しくも青くもないドナウ川ですが、恋をしているときにはそのドナウ川が美しく青く輝いて見えるそうです。
ベートーベンがハイリゲンシュタットで交響曲を作曲したことを思えば、ウィーン近郊の自然こそがウィーンの歴史と文化とをはぐくんできたとも言えそうですね。
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