日本でも話題の世界最古の薬局!イタリアフィレンツェにある「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」の歴史を調べてみた

15~18世紀にフィレンツェ文化を開花させたメディチ家御用達だったことでも知られる、歴史ある薬局です。旅行誌などに掲載されている美しい店内の写真を見ているだけでワクワクしちゃいますね。今回は、フィレンツェに行ったら一度は訪れてみたい「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」の歴史について、少しだけお話ししてみたいと思います。

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局とは?

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局とは?

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400年の歴史を誇る伝統のレシピで作られるフレグランスやスキンケアなど、モデルや芸能人はもちろん海外セレブも愛用する、イタリアでも人気がある薬局です。
観光地としても人気のフィレンツェに咲く花や香草を使った、ソープや薬剤など、乙女心をくすぐる商品がズラリと並んでいます。

かつて修道院だった跡地に建てられた建物も、見る価値ありです。
ずっしりと重厚な扉の向こうには、フレスコ画に彩られた天井と大理石の床とクルミ材が使われた高級な家具が設置され、セレブティ感たっぷり。
まるで美術館にいるような、ルネサンス文化の香りが漂っているんですよ。
また、かつて石鹸やポプリを作った、16世紀の壺や古い機械などを展示した博物館は、フィレンツェの歴史と共に歩んできた薬局の威厳も垣間見られます。
お店の中にはティールームがあり、店内で販売されているハーブティなどを堪能できます。
修道院時代からの伝統ある世界最古の薬局には、一生に一度は訪れてみたいものですね。

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のはじまり

イタリアの古都で中世の街並みがそのまま残る世界遺産の街フィレンツェには、800年の歴史を持つ、現在も現役の薬局があります。
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局と呼ばれており、フィレンツェの大富豪メディチ家はもちろん、ナポレオンや王侯貴族たちにも愛された当時の趣を今も残しています。

この薬局のはじまりは、1221年のことです。
このフィレンツェの地にやってきたドミニコ修道士たちが、サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィンニェという小さな修道院の中庭で、ハーブを植え育てはじめたこと。
病んだ修道士たちの治療に使うため、そのハーブを調合して、薬剤や軟膏などを作りました。
これが、世界最古の薬局「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」の起源と言われています。

2014年にはフィレンツェにあるカステッロの丘の上に、15000㎡もの広大なサンタ・マリア・ノヴェッラ・ガーデンが作られました。
これは、かつてドミニコの修道士たちが、修道院付近で草花を育てたホルトゥス・コンクルスス(鎖ざされし園)を再現して作られたものです。

一般に販売される薬剤

1300年には薬剤などを、修道院内だけでなく一般向けに販売していました。
中世フィレンツェで名門家族のひとつ、アッチャイウォーリ家の婦人の病気を治すために使われたことが、修道院の奉納記録に残されています。

薬剤と共にバラ水が販売されるようになったのは、1381年ごろです。
実はこの頃の人々の間では、バラ水には解毒効果があると信じられており、ヨーロッパ全土を暗黒の世界に陥れたペストの時にも活躍しました。
ペストが出た家では、家の殺菌に使われたようです。

火災で消されたフレスコ画

現在薬局の販売ホールとなっている部分は、このアッチャイウォーリ家により1335年に聖ニコラスを称えて建てられた、修道院の礼拝堂として使われていたところです。

実はこのフレスコ画、1700年ごろの火災で元々のフレスコ画はダメージが酷く、一旦白く塗りつぶされていたとか。
1848年の改修の際に、現在見られるゴシック様式が取り入れられると共に、パオリノ・サルティ作のフレスコ画が描かれたようです。
このフレスコ画は大切に温存され、現在薬局の見どころのひとつとなっており、人々の目を楽しませています。

昔、修道院だった別の部屋には、あらゆるところにフレスコ画があります。
部屋だけではなく、教会から繋がる緑の回廊と呼ばれるところには、1300年代のフレスコ画もあります。

薬局となった修道院

修道院は現在薬局に隣接している、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会へと発展しました。
1542年には、修道院とは別に、元帳が作られ、薬剤販売における責任者が任命されました。
1612年には、正式に薬局との認可を与えられ、初代薬局長フラ・アンジョロ・マルキッシのもとで営業をはじめました。
この局長は、聖職者であり、植物についても詳しく科学的な知識もかなりあった人物だったようです。
薬局設立においては、トスカーナ公(メディチ家)の助言と協力を受けることができ、王家御用達精錬所の称号も授かっています。

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局とメディチ家との関係は、意外と深いんです。
実はこのメディチ家は、薬や香料、香辛料の商いで、大富豪まで伸し上がりました。
「Medici」は、後に「Medicine(薬・医療)」の語源になったんですよ。
メディチ家からフランスブルボン朝のアンリ2世のもとに嫁いだ、1572年に起こったサンバルテルミの虐殺の黒幕として悪名高きカトリーヌ・ド・メディシスのために、香水を調合したのもこのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局です。

オーデコロンの起源となった香水

輿入れの際に特別に作られた香水「アックア・デッラ・レジーナ(王妃の水)」は、フランスに持ち込まれ、ブルボン王朝の貴婦人たちの間で人気になりました。
この香水の特徴は、当時フランスで使われていた香水より、繊細で軽やかだったため人気に火が付いたようです。
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の商品は17世紀には、イタリアだけでなく、多くの国々で販売されるようになります。
フィレンツェに立ち寄った旅行者が、本店に立ち寄る観光名所になったのもこの頃でした。
特に人気があったのは気軽に購入できる、香水、クリーム、ソープです。

この香水は、18世紀にイタリア人薬剤師によってケルンで作られ「アクア・ディ・コローニア」と呼ばれるようになった、オーデコロンの起源のひとつと言われています。
「アックア・デッラ・レジーナ(王妃の水)」は、現在もサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のオーデコロンのひとつとして、世界中のセレブたちに根強い人気を博しています。
ブルボン王朝の貴婦人たちを魅了した薬局の人気は、フィレンツェだけには収まりませんでした。

国の薬局となったサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局

1866年にサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、国の管理下に置かれ、完全に修道院から離れることとなりました。
国が管理するようになるまで薬局を管理していた修道士の甥が薬局の所有者となり、その後、ステファニー家が薬局を引き継ぎ、現在も管理しています。

フラ・コジモ・ブチェッリという外科医がプロデュースするようになると、多彩な商品がどんどん作りだされました。
この頃にはインドや中国にも輸出されるようになったとの記録が残されており、中でもリキュール・アルケルメスは健康維持のための薬として大成功を収めています。

20世紀以降の薬局

19世紀には、ナポレオンにより修道院の活動は制限されました。
独立をしていたとはいえ、薬局も一時は閉鎖に追い込まれてしまいます。
しかし、病気治療としての役割を持つ薬剤の供給を止めるわけにはいかず、フランス政府に地代を払うことを条件に薬局として営業を続けることが許されました。

トマソ・ヴァロリが薬局の全てを買い取ります。
彼は、修道院に薬局を寄付し、ドミニコ会系列最後の局長となったフラ・ダミアノ・ベニに譲っています。
その後、薬の運営を僧侶から信徒たちに移すと同時に、彼の甥に薬局を購入させており、一時は反発を喰らいました。
でも、この行動が、政治と宗教の問題から切り離すことができ、今でも政治や宗教に関係なく伝統を守りつつ営業できています。

薬局内にあるティールーム

1700年代から、お客様をもてなすための場として使われたティールームがあります。
18世紀ころ、ヨーロッパの宮廷では、カフェやホットチョコレートが大流行し、薬局でもサロンのお客様に振る舞いました。
今でも、サロンでは、紅茶やホットチョコレートなどを楽しむ人がたくさんいます。
歴史ある薬局でセレブ気分に浸りながら、優雅なティータイムもいいものですね。

日本にも東京や大阪など企業がサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の店舗を展開しています。
特に京都では、世界に先立ちレストラン併設のショップを開いています。

中世の趣を感じながら、セレブティなフィレンツェの薬局で素敵な出会いを

伝統のレシピに基づいて作られる香水や化粧品をはじめ、現在はハーブティやサプリメントも販売されています。
フィレンツェにはサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局以外にも、アロマグッズや化粧品で人気のサンティッシマ・アンヌンツィアータ薬局や肌に優しい比較的リーズナブルなコスメなどで人気のスペツィエリエ・パラッツォ・ヴェッキオなども訪れてみる価値ありです。
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