横浜や鎌倉だけじゃない!神奈川のオススメ歴史的スポット10選

神奈川県の有名な歴史的スポットと聞いて、まず思い浮かぶ場所と言えば?古都鎌倉、文明開化の港横浜、北条氏ゆかりの小田原城、そして天下の難所として知られる箱根の関と、観光地としても知られる有名どころが並びます。しかし!神奈川の歴史的スポットは横浜や箱根ばかりじゃない!他にもたくさんあるんです。そこで今回は、そんな神奈川の隠れた歴史的名スポットを厳選してご紹介してまいります。近くにお越しの際は是非、足を運んでみてください。

神奈川県にある先史時代の遺跡

縄文時代の集落跡「史跡勝坂遺跡公園」

縄文時代の集落跡「史跡勝坂遺跡公園」

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神奈川県のど真ん中を南北に流れる一級河川「相模川」。
両岸の河川敷には段丘が広がり、古来より多くの人々の暮らしがあったと考えられています。
現在の相模原市南部に残る「勝坂遺跡(かつさかいせき)」もそのうちのひとつ。
考古学者の大山柏(おおやまかしわ)によって大正15年(1926年)に発見された、縄文時代中期(約5000年前)の大集落跡です。
現在では史跡公園として相模原市によって管理されており、国の史跡にも指定されています。

川岸の起伏に富んだ地形に沿うように、細長い土地に形成されている住居跡。
まわりは緑豊かで、敷地の中には竪穴住居や敷石住居跡が点在しています。
一帯はおそらく水も豊富であったと思われ、豊かで活気あふれる生活の跡を見ることができるのです。

また、ここでは、数多くの土器や、石を打って作ったと思われる石器類も発見されています。
中でも、動物や人物の顔面などを模した特徴的な文様を施した土器は「勝坂式土器」と呼ばれ、大変注目を集めました。
さらに、石器類の中には、土を掘るために作った可能性が高いものがあり、既に農耕が始まっていたのではないかとの説も浮上。
日本の考古学において大変重要な遺跡と位置づけられています。

日本最古の建物跡「田名向原遺跡」

日本最古の建物跡「田名向原遺跡」

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同じく相模原市内、勝坂遺跡より少し上流に、勝坂遺跡よりさらに古い時代の遺跡があります。
平成9年、後期旧石器時代(約20000年前)のものと思われる建物跡が発見され、大きな話題となりました。
発見されたのは、直径10mほどの範囲を川原石で円形に囲んだもの。
12箇所の柱穴と2箇所の焚き火跡も確認されています。
田名向原遺跡は、住居跡と確認できるものとしては”日本列島最古の遺跡”なのだそうです。

また、人の手で加工されたと思われる剥片(はくへん:原石を打ち欠いた薄いかけら)や破片なども数多く見つかっていて、ここで石器の製作が行われていたと考えられています。
見つかった石材の中には長野や箱根など、遠方地域の黒曜石も含まれているのだそうです。
20000年前に移り住んできたのか、それともそれらの地域と交流があったのか。
太古のロマンを感じさせる発見があった遺跡なのです。

周囲は相模川の河川敷に程近い閑静な住宅街。
現在は「史跡田名向原遺跡公園」となっていて、日中は自由に見学可能。
また、通りを挟んで向側にある「旧石器ハテナ館(史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館)」には、遺跡から発見された石器類が展示されています。

縄文時代の住居跡「寸沢嵐石器時代遺跡」

相模川をさらに上流へ進んでいくと、川の水をせき止めてできた津久井湖と相模湖という湖があります。
この2つの湖の間くらいの場所にも貴重な遺跡が。
相模川が太古の昔から多くの人々の生活を支えてきたことを再認識させてくれる、それが「寸沢嵐(すあらし・すわらし)石器時代遺跡」です。

発見されたのは昭和3年。
耕作中に偶然見つかった敷石跡から、この地に住居があったことが確認されました。
5.1m×4.5mのやや楕円形。
大小様々な川原石が敷き詰められており、中央部分には60cmほどの大きさの炊き火跡も。
発見当時は石器時代のものと見られていましたが、その後の調査で約4500年前、縄文時代のものであることがわかったのだとか。
縄文時代なのに「寸沢嵐石器時代遺跡」。
その名称から、先史時代の歴史遺構としてだけでなく、日本の考古学の歴史も垣間見ることができる、ちょっとユニークな遺跡なのです。

国道412号線から細い道をほんの少し入ると、赤い屋根の可愛らしい六角形の建物がちょこんと建っています。
何かと思って覗き込むとそこには貴重な住居跡遺跡が。
保存のため、現在では屋根付きの建物に守られ管理されています。
幹線道路のすぐ近くにひっそりと佇む遺跡。
きれいに並べられた川原石は大昔のものとは思えないほど美しいです。

ニュータウンに残る弥生時代の遺跡「大塚・歳勝土遺跡」

ニュータウンに残る弥生時代の遺跡「大塚・歳勝土遺跡」

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横浜と聞くと海を連想すると思いますが、市の面積はかなり広く、大半は丘陵地帯。
「港北ニュータウン」と呼ばれる、横浜北部に広がる住宅街の一角に、「大塚・歳勝土遺跡(おおつか・さいかちどいせき)」があります。
弥生時代中期(約2000年前)の遺跡です。

その存在が明らかになったのは昭和47年(1972年)。
大塚遺跡はまわりを堀などで囲んだ、いわゆる環濠集落(かんごうしゅうらく)と呼ばれるもので、歳勝土遺は集落に住んでいた人々の墓地であると考えられています。
このように、同時代の集落と墓地が同時に見られる遺跡は大変貴重で、国の史跡にも指定されています。

現在では、横浜市歴史博物館と共に「大塚・歳勝土遺跡公園」として管理されており、広い敷地の中に点在する遺構を見学することが可能。
一部、竪穴式住居や高床式倉庫などが数棟復元されていて、見ごたえがあります。
2000年前と現代、時代を超えて多くの人々が暮らす横浜の丘陵地帯に広がる住居跡。
市営地下鉄の駅から歩ける距離にあるので、気軽に足を運べるので、散策がてら訪れる人も多いです。

隠れた歴史的名刹

山の上の荘厳な神社「大山阿夫利神社」

山の上の荘厳な神社「大山阿夫利神社」

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県央部分よりやや西側、伊勢原市にある大山(おおやま)は、またの名を「阿武利(あぶり)」「雨降(あふり)」ともいい、丹沢山系に位置する標高1242mの山。
大山は雨がよく降る山であったため、古代から雨乞いの霊峰として多くの人々の信仰を集めてきました。

大山信仰の始まりがいつ頃であったかについては諸説あるそうですが、神社の歴史は約2200年前と言われています。
8世紀後半には標高500mほどの場所に大山寺が建てられ不動明王が祀られて、神仏習合の山としてより一層多くの侵攻を集めるように。
江戸時代には大山参詣のためのグループ「大山講」が関東のあちこちに設けられ、今も受け継がれているのだそうです。

現在は、標高およそ700mの地点にある下社までは、大山ケーブルカーで上がることが可能。
昭和6年開通。
かなりの急勾配を力強くのぼる歴史あるケーブルカーで、車窓の眺望はまさに絶景。
参拝や登山客以外にも、このケーブルカー目当てにやってくる観光客も多いようです。

下社から山頂の本社までは登山。
明るく開けたイメージの下社とは打って変わって、修験の山であることを思い出させる山道を一歩一歩踏みしめて山頂を目指します。
本社からは相模湾が一望でき、晴れた日には東京スカイツリーや都心の高層ビル群が見えることも。
眼下に広がる景色を見て「また来たい」と、古代の人々もきっと、そう思ったに違いありません。

下社から山頂まではおよそ90分。
かなり険しい箇所もありますが、歩きやすい靴であれば登山経験のない方でも大丈夫。
登山道の途中には、樹齢600年とも言われている、2本の杉がくっついてはえている「夫婦杉」や、富士山を見ることができる場所もあるので、景色を楽しみながらゆっくり登っていってください。

世界一の巨大下駄と天狗伝説「大雄山最乗寺」

世界一の巨大下駄と天狗伝説「大雄山最乗寺」

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神奈川県西部、足柄市にある「大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)」。
永平寺、総持寺に次ぐ曹洞宗の大寺院であり、開山は室町時代中頃の応永8年(1401年)と言われています。
境内は1.3平方キロメートル、東京ドーム27個分にもなる山林が広がっており、仁王門からおよそ3㎞に渡って、樹齢500年以上と言われる巨大杉の並木が参道に涼やかな空間を作り出しています。

山全体が寺院、という感じで、全体を見てまわるには相当な数の石段を上り下りする必要が。
これもパワースポットのご利益か、まわっているうちに足腰が強くなった感じがしてきます。
趣きある建物と植栽とのコントラストも見事。
紅葉の季節はもちろんのこと、しだれ桜や藤の花など、四季折々花の名所としても有名。
特に、境内に植えられた1万本以上もの紫陽花が参拝客たちの目を楽しませてくれるのです。

境内には、インドのガルーダ像を思わせるような迫力ある天狗像があります。
最乗寺を開山した了庵慧明(りょうあんえみょう)という僧の弟子の道了が、寺を守るために天狗に変身した、という伝説があるのだそうです。
境内には天狗像が祀られている他、「世界一大きい和合下駄、目方1,000貫(3,800㎏)」という札があり、公衆トイレかと見まがうほど巨大な赤い下駄が。
由緒ある名刹の中にある絶好の写真スポットは、連日、家族連れや観光客で賑わっています。

甘柿の聖地「王禅寺」

甘柿の聖地「王禅寺」

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禅寺丸(ぜんじまる)という柿をご存知でしょうか。
川崎市麻生区原産の柿の品種で、日本最古の甘柿とも言われている丸くて小さな柿。
鎌倉時代にこの地で自生しているものが偶然発見されたと言われています。
それまでの日本の柿木はすべて渋柿で、甘柿のことは知られていなかったのだそうです。
その禅寺丸柿が発見された寺が、川崎市麻生区にある真言宗豊山派の寺院、星宿山蓮華蔵院王禅寺。
境内には今も、その原木と思われる柿木が残っています。

創建時期は正確には不明ですが、延喜21年(921年)に高野山三世無空上人が開山したとの記録があるそうで、禅宗・律宗・真言宗の三宗を兼学。
新田義貞の鎌倉攻めの際に焼けてしまいましたが後に建て直され、室町時代には真言密教の道場に。
「東の高野山」とも称せられるようになり、江戸時代には江戸幕府からご朱印状を拝領するなど、深い歴史のある名刹なのです。

静かな境内の中は緑豊かでほっと落ち着ける雰囲気。
境内には竹林や池などがあり、散策にもぴったり。
もし禅寺丸柿の原木を見るなら秋より5月くらいのほうが、葉が美しく茂っているのでオススメです。

名士・名将ゆかりの地

三浦一族の総鎮守「海南神社」

三浦一族の総鎮守「海南神社」

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神奈川で忘れてはならないのが海沿いの名刹。
海を見下ろせる場所には、海の安全や航海の無事を祈願した神社が数多く建てられています。
その中のひとつ、三浦半島の南端、三崎漁港から少し高台に入ったところに、朱の社が美しい海南神社は、地元相模の国の有力豪族でもある三浦一族ゆかりの神社で、1000年以上もの歴史がある名刹です。

祀られているのは藤原資盈(すけみつ)とその妃であった盈渡姫(みつわたりひめ)。
資盈は皇位継承争いに敗れ左遷された際に三浦半島に漂着し、その後、界隈の海賊を平定し地元民のために尽くした人物と伝えられています。
貞観8年(866年)、資盈が亡くなると、地元民たちは資盈を祀るためのほこらを建てたのだそうで、これが海南神社の始まりと言われています。

治承4年(1180年)、源頼朝が挙兵した際、三浦一族の当主三浦義明は海南神社で源氏につくか否か占ったのだとか。
結果、頼朝に味方し源氏は勝利。
境内には源頼朝が寄進したとされる、樹齢800年の大銀杏があります。
雄株と雌株があり、木の高さは15m、幹の太さは5m近くにもなります。
三浦の海の移り変わりをずっと見つめてきた大樹は、今も美しい葉を生い茂らせていて迫力満点です。

あの二宮金次郎が祀られている神社「報徳二宮神社」

あの二宮金次郎が祀られている神社「報徳二宮神社」

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通っていた小学校に、二宮金治郎の像、ありました?薪を背負いながら本を読んで歩く姿(負薪読書図)を形にした石像。
働きながら勉学に励んだその姿は明治以降の教育の象徴とされ、全国あちこちの学校や教育の場に二宮金治郎が建てられました。

二宮尊徳(にのみやたかのり・そんとく)は江戸時代後期の思想家・農政家で、経世済民を目指し農村復興政策を指導した人物として知られています。
出身は相模国足柄上郡栢山村。
相模小田原藩に仕え、財政の立て直しや農政改革などに従事し、辣腕をふるったといいます。
そんな尊徳を祀っている神社が、なんと北条氏の居城であった小田原城の城内にあるんです。

二宮尊徳は報徳社という、今でいうところの公益社団法人のような団体を作って、地域の農村の救済活動を行っていました。
尊徳が亡くなった後、報徳社のメンバーによって尊徳を祀る神社を建てる計画が持ち上がります。
そして明治24年(1894年)、小田原城址内に神社が建てられました。

緑豊かな境内の植栽はどれも手入れが行き届いていて、歩いているだけで心が落ち着きます。
小田原城は行ったことがあるけど、二宮神社のことは知らなかった、という観光客もけっこう多いようです。

城内には神社の他に、二宮尊徳に関する様々な資料を見ることができる「報徳博物館」も。
お参りだけでなく、二宮尊徳についていろいろ知って、商売繁盛・学業成就を改めて祈願する人も多いようです。

北条早雲が眠る「早雲寺」

北条早雲が眠る「早雲寺」

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神奈川県を代表する名士・名将といって、北条氏について語らないわけにはいかないでしょう。
小田原城を居城とし、東国の戦国時代の覇者として世に名を知らしめた北条一族。
その初代、室町時代後期に破竹の勢いで頂点に上り詰めた戦国大名、北条早雲の遺言により、その子で二代当主氏綱が大永元年(1521年)に創建したとされる、関東随一の禅寺。
一時期は、500名を超える僧がいたのだとか。

しかし、豊臣秀吉による小田原攻めの後、早雲寺一帯は無残にも焼き払われてしまいます。
再興されたのは江戸時代に入ってからで、3代将軍家光から朱印状が出された後、本格的な復興を遂げました。
現在残っている建物は、江戸時代の復興以降に建てられたものです。

寺院内の敷地は広く、緑も豊かで散策にはもってこい。
ゆっくり見てまわるとけっこう時間がかかります。
数ある見どころの中でも、観光客のお目当てはやはり、北条五代(早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直)の墓でしょう。
敷地の奥まったところにひっそりと建つ、飾り気のない墓標は、武士の中の武士北条氏らしさが感じられる荘厳な雰囲気を醸し出しています。

有名な温泉地、箱根湯本から徒歩で行ける距離にあるということもあって、連日多くの歴史ファンが足を運ぶ古刹。
紅葉の時期の景観はまた格別です。

ぶらり歩けば歴史薫る神奈川

海沿いや相模川流域の肥沃な土地には数千年前から多くの集落があり、やがて有力豪族が生まれ、多くの歴史を紡いできた町が数多く集まる神奈川県。
横浜や鎌倉の他にも歴史薫る町がたくさんあり、町を歩けば様々な歴史物語との出会いがあります。
是非、ぶらりと出かけてみてください!
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