こんな残酷な最期はひどすぎる…ニコライ2世とその家族の悲劇

公開日:2020/3/5 更新日:2020/3/5

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1917年3月、ロシアで約300年続いた王朝・ロマノフ朝が倒れました。最後の皇帝はニコライ2世。以後、社会主義国家のソヴィエト連邦が建設されるわけですが、「元」皇帝となった彼とその家族には、悲劇的な行く末が待ち受けていたのです。特に、何の罪もない5人の子供たちまでもが惨殺された事実を知れば、胸が痛まない人はいないのではないでしょうか。今回は、ロマノフ朝のラストエンペラー・ニコライ2世とその家族について、そしてその最期についても見ていきたいと思います。

300年続いた長命王朝・ロマノフ朝

ニコライ2世とその家族についてご紹介する前に、ロマノフ朝の歴史について見ていきたいと思います。
名門貴族ミハイル・ロマノフによって1613年に開かれたロマノフ朝は、その300年の長い歴史の間にピョートル大帝やエカチェリーナ2世など、絶対的な力を持つ専制君主を輩出しました。

しかし王朝末期の19世紀になると、民衆の間に専制政治の打倒や農奴制廃止などの自由主義運動が高まっていきます。
これに対して過酷な弾圧を加えたために、革命思想はより高まっていくこととなり、ロマノフ朝の足元は揺らいでいったのです。
同時に周辺諸国との関係もそれほどうまくいかなくなっていました。

そんな中、1894年に即位したのが、今回ご紹介するニコライ2世でした。

この頃には自由主義者や社会主義者の活動が活発になっていましたが、それを王朝打倒へのきっかけとしたのが、1904年の日露戦争での実質的敗北だったんです。
民衆は立ち上がり、1905年に第1次ロシア革命が起きました。
これによって皇帝は国会開設を認め、絶対君主制から立憲君主制への移行を認めざるを得なくなったのです。

そして、1914年の第一次世界大戦でドイツに大敗したこともあり、戦時下の苦難に耐えられなくなった民衆が再び蜂起し、起きたのが第2次ロシア革命(三月革命)でした。

これはロマノフ朝に最後の一撃を与え、ついに王朝は倒れ、300年の歴史に終止符を打つこととなったのです。
その後樹立されたのは、史上初の社会主義国家となるソヴィエト連邦(ソ連)でした。

さて、ソ連政権下でニコライ2世の処遇はどうなったのでしょうか。

彼と家族の紹介と行く末について、見ていくことにしましょう。

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