広島城は安土桃山時代の傑作。城主により違う石垣の積み方にも注目

公開日:2018/12/12 更新日:2019/11/5

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北海道出身・東京在住で、歴史を感じられる観光名所が大好き。本州をメインに一人旅をする事と、城や寺院など建築物を見る事が好きなので各名所の見どころや魅力を多くの方々にお届けできればと思っています。
日本三大平城「広島城」は見所たくさん!ここを攻めんさい

安土桃山時代の傑作のひとつともいえる広島城。築城を開始した毛利輝元、完成させた福島正則は戦国武将でもあり、再建された建物を見ると、戦いに臨む気概を城全体から感じることができるでしょう。太平洋戦争の原爆投下が広島だった理由にも関わる城だけに、ここへ行けば広島の歴史がわかります。そんな広島城の全貌を紹介していきましょう。

日本三大平城 広島城の歴史

広島城の歴史や築城した人物など、広島城の基礎知識について紹介します。日本三大平城と呼ばれる広島城とは、どんなものなのでしょうか。

昭和初期までは現存していた天守閣

名古屋城、岡山城と並び日本三大平城といわれる広島城。記録によると1589年に築城が開始され、1599年に落成されたと伝わっています。その後改修され、明治以降は大天守と渡り櫓が残り、国宝指定されていましたが、第二次世界大戦の原爆投下により倒壊してしまいました。

1951年、広島国体に合わせ仮設の木造天守閣が再建されましたが、国体終了とともに解体。1958年に行われた広島復興大博覧会に合わせ、天守台12.4メートルを含む、五層の大天守の外観が復元。火災対策のため、最上階五層の部分だけが木造、他は鉄筋コンクリート製で、この3代目の天守が現在見られるものです。

広島城を建てた人は

中国地方に巨大な勢力を持った戦国大名の毛利元就。本拠地は吉田郡山城で織田信長率いる軍勢と敵対しましたが、豊臣秀吉がその意志を継ぎ、天下統一が近づくと元就の孫、毛利輝元は臣従し五大老に就任。秀吉の築城した大阪城、聚楽第に刺激を受けた輝元は、中国地方を治められ、経済発展にも適したこの地を選び、近世城郭の築城に着手。広島という地名は、この城とともに誕生したといわれています。

地盤が軟弱なことから工事には苦戦したものの、1589年から10年を掛けて落成。しかし輝元が、ここを本城としたのは、1年ほどでした。関ケ原の戦いで石田三成の誘いにより西軍の総大将となった輝元は、敗戦とともに周防、長門(現在の山口県)に転封され、城主は福島正則に代わります。広島城の完成はこの時代といわれていますが、その福島正則も城の修繕を謀反と取られ、徳川家康によって領地没収。

その後は、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭長矩の本家筋の浅野家が治め、幕末まで広島城主を務めました。

広島城は別名 鯉城

広島城は、在間城、当麻城とも呼ばれていたことがありますが、中でももっとも定着したのが幕末の名称、鯉城(りじょう)。広島と呼ばれる前、この地が、己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたのが由来といわれていますが、堀にたくさんの鯉がいたから、天守が黒い、と様々な伝承があります。鯉は出世魚として縁起が良いといわれたことも含まれているかもしれません。

現在広島のMazdaZoomZoomスタジアムに本拠地を置く、プロ野球広島東洋カープのチーム名は、鯉城が由来です。

たもとにはカープ聖地の広島護国神社

広島城址公園内にある広島護国神社。第二次世界大戦の戦死者と原爆投下によって犠牲になった人々を祀る神社です。アクセスの良さもあり、毎年約7万人の初詣客は中国地方最高。世界遺産、厳島神社を凌ぐ人出です。毎年シーズン前に、広島東洋カープが必勝祈願に訪れることでも有名です。

石から感じとる歴史 広島城は外から攻めよ

大きな水堀では遊覧船もあります。また、石垣は、石の積み方にも注目。また、石垣は第二次世界大戦の爪痕も。さまざまな歴史を刻み込んでいる様子が感じ取れます。

水の豊富さを生かした水掘は圧巻

江戸時代には外堀、中堀、内堀の三重の総構だったと伝えられていますが、現在は残るのは内堀のみ。ただその幅の広さは、当時のスケールを感じさせるには十分です。表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が復元された二の丸とともに水堀は見所といっていいでしょう。

石垣で感じる輝元と正則の世代交代

城を見る上で注目したいのが石垣。武将や大名にはそれぞれの石垣の積み方があり、築城した毛利輝元と福島正則の違いが広島城では見られます。輝元の時代は石が不揃いの野面積み(のづらづみ)。正則は、石を加工して隙間なく積み上げる切込接(きりこみはぎ)という積み方です。正則の時代には、積まれた石に刻印も見られます。



原爆の凄まじさを物語る石垣

第二次世界大戦の際、本土決戦に備え軍司令部が置かれたことから、広島城はアメリカ軍の原爆投下の目標とされました。爆心地から約1キロと離れていたものの、爆風により江戸時代から残っていた天守、櫓などの建物は倒壊したといわれています。その凄まじさを今に伝えるのが、原爆により赤茶けた石垣。中御門と表御門の石垣で見ることができます。

石垣をじっくり近場で見られる遊覧船も

春と秋には、御堀を運行する遊覧船が出ています。ガイド付きで広島城の歴史を聞きながら、違った視点から城を眺めることができます。

復元された櫓群 二の丸の櫓は全て見学可

広島城では櫓群が復元されています。じっくりと見学することで広島城がどのうように機能していたかが分かります。

馬出の機能を備えていた二の丸

本丸の南にある二の丸は、馬出(うまだし)の構造。馬出とは城の出入口であり、攻守の拠点となった場所のこと。この造りによって、広島城が防御より攻撃型の城だったことがわかります。

太鼓櫓、多聞櫓、平櫓全て木造で忠実に再現

復元された木橋、御門橋で御堀を渡って二の丸へ向かうと、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が復元されています。表御門は、櫓門と呼ばれる形式、1階建ての平櫓、総延長63メートルの多聞櫓、二重櫓の太鼓櫓とすべてが繋がっています。忠実に復元された門と櫓は、内部観覧が可能なので、是非見学しましょう。

和太鼓が鳴り渡っているのは、太鼓櫓

城内を歩いていると、聞こえてくるのが太鼓の音。太鼓櫓は2階に和太鼓があり、当時は時間を知らせるために鳴らしていたとのこと。和太鼓は自由に叩くことができるので、藩士の気分になって鳴らしてみましょう。

いざ天守閣へ。見上げてみるとド迫力

天守閣は見るもよし、中に入るもよしです。天守閣の見ごろは夜のため、昼間のうちに天守閣の中を見学し、夜は外から天守閣の美しい姿を眺めてみてはいかがでしょうか。

その高さに驚く、およそ39mの高層建築

天守閣は、複合連結式望楼型五十五階型。石垣を除いても26.6メートルの高さがあります。1958年に再建された天守ですが、古風な総板張りの外観は当時の姿を偲ばせるに十分です。内部は武家文化を中心とした博物館として利用されています。



夜のライトアップされた姿も迫力満点

昼間は外観を詳しく見て、博物館で歴史を学べる天守閣。ただ美しいのはやはり夜本丸までは解放されているので、近くから、そして遠くと色々な角度から眺め楽しみましょう。堀に映る天守も雰囲気のあるものです。

広島城へのアクセス

広島の観光はめいぷるーぷが便利

広島市内の観光名所を巡るバス、めいぷるーるは、一日乗車券があり観光に便利です。

電車での行き方

JR広島駅より徒歩25分、新白島駅から裏御門経由で徒歩17分。市内電車利用の場合は、紙屋町東・西電停から徒歩15分です。アストラムライン(新交通システム)なら、県庁前駅、城北駅からそれぞれ徒歩12分となります。

バスでの行き方

広島駅南口前バス乗り場、Bホーム7、8、9番より合同庁舎経由に乗車してください。合同庁舎前バス停から徒歩約8分、広島バスセンターから徒歩約12分。めいぷるーぷ(広島観光ループバス)利用なら、オレンジルート、レモンルート広島城(護国神社前)下車徒歩約6分です。

車での行き方

山陽自動車道広島ICから約20分。城跡内には駐車場はありません。近隣の広島翔洋テニスコート(広島市中央庭球場)地下の広島市中央駐車」が、天守閣まで徒歩約7分と便利です。天守閣へ入館すると駐車料金割引サービスが受けられるので、ミュージアムショップ窓口で提示をしましょう。

Address 〒730-0011 広島県広島市中区基町21番1号
Hours 9:00-17:30(4月~9月) 9:00-16:30(10月~3月)
Closed 年末年始(12月29日~ 1月2日)
Tel 082-221-7512
Web http://www.rijo-castle.jp/RIJO_HP/contents/01_home/01_top/01_index.html

日本三大平城 広島城の偉大さを体感せよ

戦国武将でもあった毛利輝元、福島正則が完成させた広島城。江戸時代へ入り浅野家が城主となりましたが、その威風堂々とした姿は変わりませんでした。残念ながら戦争で天守などの建築物は焼失してしまいましたが、史実に近い形で再建された建物は、当時の技術の凄さを伝えています。

また第二次世界大戦の舞台のひとつともなった史跡でもある広島城。原爆ドームからも徒歩約15分と近いことから、歴史を体感するにもおすすめのスポットです。