パリ観光で行きたい!歴史的観光名所をぐるりと一巡り

パリは20の区でできていて、広さは東京23区よりずっと狭くて、山手線の外側に少し土地を加えた程度の広さ。とはいえ市壁に囲まれていたふつうの中世都市が歩いて移動できる程度の広さだったことを考えると、パリはとてつもなく巨大な都市。パリにも市壁の跡がいくつか残されていますが、それはたしかにごく狭い範囲。パリは時代とともに生き続け、世界有数の大都市になりました。このパリをブラリと歩いてみて、いくつかの歴史スポットを見てみることにしましょう。

セーヌ川の中洲にサン=ルイ島とシテ島があります

セーヌ川の中洲にサン=ルイ島とシテ島があります

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パリの中心部を流れる川がセーヌ川。
パリをおおきく二つに分けるとすればセーヌ川の右岸の北側と左岸の南側。
このセーヌ川にはサン=ルイ島とシテ島という二つの島があり、これがパリの発祥の地ですね。
パリをぐるりと一周する旅をこれらの島から始めることにしましょう。

サン=ルイ島は富豪たちの住む高級住宅地です

サン=ルイ島の名前の由来は、カペー家のフランス王ルイ9世で、死後聖人に列せられたので「聖ルイ」と呼ばれたのですよ。
聖王ルイの名をもつサン=ルイ島はシテ島より少し上流にあります。
この小さな島の名前になった聖王ルイは1248年に第7回十字軍に参加してエジプトで捕虜になりました。
1270年に参加した第8回十字軍ではチュニスでペストにより死亡。
最後の言葉が「エルサレム!」だったということですね。

サン=ルイ島は観光地というよりは高級住宅地。
フランソワ・ル・ヴォーという建築家が建てたサン=ルイ=アン=リル教会のほか、有名な邸宅が建ち並んでいるのですよ。
『悪の華』で有名な詩人のシャルル・ボードレール、ラジウムの発見者として有名なキュリー夫人、有名な画家のセザンヌなど、ここに住んだ有名人の名前を何人も挙げることができますね。
日本人の女優でフランス人の映画監督と結婚した岸惠子もここに住んでいたとか。

シテ島にはパリの象徴ノートルダム大聖堂があります

サン=ルイ橋を渡ってシテ島に行くと、そこにはパリの象徴であるノートルダム大聖堂があります。
フランスにはパリのノートルダム大聖堂以外に「ノートルダム」という名前の教会がいくつもありますが、「ノートルダム」とは聖母マリアの意味。
カトリックの国であるフランスでは聖母マリア信仰が盛んなのですよ。
ノートルダム大聖堂は1163年に建設が開始されたゴシック様式の教会。
正面の入口には最後の審判の彫刻がありますが、なんといっても円形のステンドグラスの薔薇窓が有名。
ナポレオンの皇帝戴冠式も1804年にここで行われたのですよ。

シテ島はもちろんユネスコ世界文化院に登録されていますが、大聖堂の近くにあるオテル・ディユはホテルではなく、病気の人たちを看護する神の館、つまり病院です。
ドイツの詩人リルケの『マルテの手記』の冒頭にも出てきますが、いまでもオテル・ディユは市立病院。
シテ島の西の端にあるコンシェルジュリーはかつては牢獄で、マリー・アントワネットもここに収監されたのですよ。
隣にあるゴシック様式の教会はサント・シャペルという礼拝堂。
聖王ルイは聖遺物を集めるのが好きだったので、集めた聖遺物を保管するためにこの礼拝堂を建築したとのこと。

ルーヴル美術館にあるのは「モナ・リザ」だけではありません

ルーヴル美術館にあるのは「モナ・リザ」だけではありません

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シテ島の西の端にかかる橋がポン・ヌフ。
日本語に訳せば新橋で、この橋はセーヌ川の両岸をつないでいます。
ポン・ヌフをわたってセーヌ川の右岸に沿って西に行くとルーヴル美術館があります。
もともとは12世紀の要塞だったのですが、その後宮殿になり、美術館として開館されたのは1793年。
ちょうどフランス革命のときのことで、王室が所蔵していた美術品を市民に公開したということですね。
その後ナポレオンが皇帝になり、世界各地から美術品を収集。
今では世界最大規模の美術館として知られていますね。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」はいつもたくさんの人を集めていますが、展示品は絵画だけではありません。
古代エジプトからはスフィンクスやミイラまでが運び込まれて展示されているのですよ。
古代ギリシャの彫刻では「ミロのヴィーナス」や「サモトラケのニケ」などが有名ですね。
もちろん絵画もとても一日ではゆっくり見られないほどのものが展示されていますよ。
1983年の大ルーヴル計画により、ナポレオン広場にガラス製のピラミッドが建設され、宮殿として建設された建物との見事なコントラストはさすが芸術の都パリ。

テュイルリー公園とコンコルド広場には悲しい歴史があります

テュイルリー公園とコンコルド広場には悲しい歴史があります

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ルーヴル美術館の隣には広いテュイルリー公園がありますが、「テュイルリー」という名前を聞いたことがありませんか。
もとはここにテュイルリー宮殿があり、フランス革命のときにルイ16世一家がヴェルサイユ宮殿から連れてこられて、ここがしばらく宮廷になったのでした。
1563年に王妃で摂政のカトリーヌ・ド・メディシスがここに宮殿建設を指示。
100年かけて完成したときの王はあの太陽王ルイ14世。
1683年にヴェルサイユ宮殿に宮廷が移ったあとも宮殿だったのですが、普仏戦争のあとのパリ・コンミューンの内戦のとき、1871年に焼失。
その後は再建計画もままならず、公園になっています。

この公園の隣はエジプトのオベリスクが立っているコンコルド広場。
「クレオパトラの針」と呼ばれるオベリスクは、1836年にエジプトのルクソール神殿の遺跡から運ばれてきたもの。
テュイルリー宮殿の前の広場なので、1755年にこの広場ができたときにはルイ15世の騎馬像があったのですね。
しかしフランス革命により「革命広場」となってその像は破壊され、さらに1793年にはルイ16世と王妃マリー・アントワネットがここで処刑されました。
華やかなパリの華麗な広場にそんな歴史があったのですよ。

シャンソンに歌われるシャンゼリゼ通りはパリの表通り

シャンソンに歌われるシャンゼリゼ通りはパリの表通り

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コンコルド広場から西に向かってまっすぐに伸びる広い通りは有名なシャンゼリゼ大通り。
この通りの名前は古代ギリシャで信じられていた楽園エリシオンからきているのですよ。
コンコルド広場から凱旋門まで、およそ3キロメートルで幅100メートルの通りには高級ブティックやカフェやレストランに映画館などが建ち並んでいます。
マロニエが植えられ歩道が整備されていますから、カフェも店の中ではなく歩道に置かれたテーブルで楽しむもの。
ベルリンのクーダムと呼ばれる大通りはシャンゼリゼ大通りをまねしたものですが、東京の銀座も1990年に友好関係を結んでいるのですよ。

有名なシャンソン「オー・シャンゼリゼ」は日本でも流行しましたが、夜はイルミネーションが美しく、7月14日の革命記念日には盛大な軍事パレードが行われています。
しかし、マリー・ド・メディシスの時代の前、このあたりはまだ沼地と畑ばかりだったのですが、この王妃の時代にテュイルリー宮殿から続く並木道が整備されたのでした。
この通りにシャンゼリゼという名前がつけられたのは1709年のこと。
科学の時代の19世紀になって、1828年にガス灯の灯がともり、この大通りの「近代」が始まったのですね。

エトワール凱旋門が完成したときナポレオンは?

エトワール凱旋門が完成したときナポレオンは?

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シャンゼリゼ通りの終点は、シャルル・ド・ゴール広場の中央に建つエトワール凱旋門。
この広場から12本の道路が放射状に出ているので、もともとは「星」を意味するエトワール広場と呼ばれていたのですよ。
第二次世界大戦でフランスはドイツ第三帝国に敗北しヴィシー政権ができたのですが、陸軍のシャルル・ド・ゴールが中心となってロンドンに亡命政府を樹立。
戦後はその功績により首相と大統領を歴任した人物で、その名前がこの広場につけられたのですね。

凱旋門は、古代ローマ時代に遠征した軍隊の勝利を記念して都市の入口に建てられた門。
パリのエトワール凱旋門は、フランス皇帝ナポレオンが1806年にアウステルリッツの戦いに勝利したのことを記念して建てさせた門なのですね。
しかし完成したのは1836年。
ナポレオンはすでに失脚してセント・ヘレナ島に流され、1821年に死亡していました。
ただしその遺体は1840年にここに戻ってきたのですよ。
その後、ナポレオンの甥が皇帝ナポレオン3世になり、1852年に凱旋門を通ってパリに入城。
伯父の果たせなかった夢を実現したのでした。

パリ万国博覧会のときに建設されたエッフェル塔はパリのランドマーク

パリ万国博覧会のときに建設されたエッフェル塔はパリのランドマーク

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凱旋門を南に行くと、セーヌ川のほとりにトロカデロ広場とトロカデロ庭園があります。
ここからはセーヌ川の対岸のエッフェル塔がよく見えますよ。
1855年に皇帝ナポレオン3世がパリで万国博覧会を開催したときは、現在エッフェル塔の建っているシャン・ド・マルス公園が会場でした。
1878年の万国博のときにトロカデロ宮殿とシャン・ド・マルスが建設されましたが、エッフェル塔が建設されるのは1889年の万国博覧会。

1889年というとフランス革命100周年。
当時の技術を駆使して312.3メートルの鉄の塔が完成。
万国博覧会の会場になったこの地域ではいろいろな建造物が建設されてその後取り壊されていましたから、エッフェル塔も万国博覧会終了後はその予定だったのですよ。
しかし、1900年の万国博覧会でも生き残り、結局パリのランドマークになっていますね。
1900年には、イギリス留学の途中でパリに立ち寄った夏目漱石もエッフェル塔を見ました。

アンヴァリッドの地下霊廟に皇帝ナポレオンが眠っています

アンヴァリッドの地下霊廟に皇帝ナポレオンが眠っています

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セーヌ川左岸のエッフェル塔から東へセーヌ川を上流に行くと、アンヴァリッド前の広場に着きます。
パリにはあちこちに広場や公園がありますね。
アンヴァリッドはもともとはルイ14世が1671年に、戦争で傷ついた兵士たちを収容するために建造した施設。
その後聖王ルイの遺体を安置するために礼拝堂が建築され、兵士たちの長期療養のための病院と教会とが併設されることになったのですね。

1706年に兵士のための教会とドーム教会とが別に完成し、1830年から1848年のいわゆる七月王政の時代に、ナポレオンの遺体がセント・ヘレナ島から運ばれ、このドーム教会の地下に安置されたのですね。
ナポレオンの兄ジョゼフも弟ジェロームも、ナポレオンの息子のナポレオン2世もそのまわりで永眠。
今もオテル・デ・ザンヴァリッドには傷痍軍人が入院していますよ。

カルチェ・ラタンは大学生の街です

カルチェ・ラタンは大学生の街です

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中世都市は教会や市庁舎のある広場を中心として4分割されるのが慣例ですが、アンヴァリッドからシテ島の近くのセーヌ川左岸に戻ってくると、その地域はカルチェ・ラタン。
カルチェとは4分の1という意味で、この界隈はパリ第一大学をはじめとする大学や学校などが集まっている文教地域。
大学ではラテン語で授業が行われていたので、カルチェ・ラタンと呼ばれているのですよ。
シャンゼリゼ通りとはまったく違うパリの学生街なのですね。

このカルチェ・ラタンの入口になっているのがサン・ミシェル広場。
天国を守護する大天使の聖ミカエルが悪魔をたたき落とす像が、広場の噴水にあります。
ここで身を清めて学問の街に入っていこうということですね。
パリ大学には番号が付いているのですが、いくつかをまとめてソルボンヌ大学。
ソルボンヌ広場には礼拝堂がありますが、中世の大学の学部の最上位が神学部だったということでしょうか。
またリュクサンブール宮殿の庭園には天文の泉があり、さすがに学問の街ですよね。

ポンピドゥー・センターはパリの現代芸術そのものです

ポンピドゥー・センターはパリの現代芸術そのものです

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カルチェ・ラタンからシテ島を越えて北に行ったところに、ポンピドゥー・センターという、これまで見てきた古風なパリとはまったく違う建物があります。
もとは市壁に囲まれた小さな中世都市だったパリは、中世から近代に向かって着実に拡大。
パリ全体ではいろいろな建築規制が行われ、中世以来の景観を損ねないように配慮されているのですよ。
ですからエッフェル塔も取り壊す計画だったのですね。

日本が高度成長を遂げた1960年代前半、パリでも20世紀の近代美術館の建設が計画されたのですが、有名な建築家ル・コルビュジエの死によっていったんは断念。
しかし1960年代後半になってふたたびこの計画を、ド・ゴール大統領のもとで首相だったポンピドゥーが推進。
自身が大統領になったあと、1971年に建設が開始されたのでした。
近代美術館のほか産業創造センター、音響音楽研究所、図書館が入った複合施設で、その建物自体がまさに現代芸術。
一度見たら忘れられませんよ。

モンマルトルの丘から眺めるパリは絶景です

モンマルトルの丘から眺めるパリは絶景です

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パリの北側にパリ市内で一番高いモンマルトルの丘があります。
モンマルトルというのは「殉教者の丘」という意味で、パリ市内に残るただ一つの農地。
ここで採れるブドウからつくられたワインは、あまり美味しくはないけれども希少価値が高いとか。
パリ市内からこの丘に建つサクレ・クール寺院を見上げることができますよ。
この教会の名前は「聖心」という意味で、キリストに敬虔な心を捧げるということですね。
近くに墓地もあり、ドイツの詩人でパリに亡命したハインリヒ・ハイネの墓もあるのですよ。

モンマルトルの入口にはムーラン・ルージュという風車がトレードマークのキャバレーがあり、歌や踊りや大道芸を見せる歓楽の場。
そこから丘に登ると芸術家たちの住む地域になり、ルノアールやロートレックも住んだのでした。
ピカソのアトリエもあり、ユトリロの絵そのままの風景のなかを歩けます。
サクレ・クール寺院からはパリ市内を一望できるのできますが、歩くのが大変だという人にはケーブルカーもありますね。

パリ観光の名所はまだまだたくさんありますよ

これで一応パリの街を一周したわけですが、パリはまだまだこんなものではありません。
地下鉄もバスも整備されているので、ここに紹介しきれなかった美術館や博物館や教会や宮殿などを巡ってみてください。
もちろん、街角のカフェで一息入れて、通り過ぎていく人びとを眺めるのも面白いですね。
パリの郊外にはヴァンセンヌの森やブーローニュの森もあります。
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