日本の伝統的おもちゃが歩んだ歴史と、おもちゃに触れられるスポット

子どもの生活に大きく密着したアイテムの1つである「おもちゃ」。誰もが子どもの頃に親しんだであろう「おもちゃ」は古い時代に日本へ伝わったものが多く存在しており、最新技術を組み合わせるなどして現代まで伝えられてきています。そんな日本に伝わってきた伝統的なおもちゃは、これまでどのような歴史をたどってきたのでしょうか。

日本最古のおもちゃは「独楽」

日本最古のおもちゃは「独楽」

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日本で最初のおもちゃとされているのは、お正月にも登場することの多い「独楽(こま)」でした。
独楽の歴史は6世紀頃に「むち」のようなもので叩いて回す「ぶちゴマ」と見られる木製の出土品が出土されており、奈良・平城京跡や藤原宮跡などからも7世紀から10世紀頃のものと思われる独楽、独楽型の木製品が出土。
こうして出土された独楽と思われるものは「貝合わせ(ひとつの貝殻に合う貝殻を見つける、神経衰弱のような遊び)」とともに貴族の遊びとして親しまれ、宮廷の儀式などに使用されることも。
当時は身分の高い人々による「高貴な遊び」であったのですね。

その後日本における独楽は江戸時代に大きな進歩を遂げることとなり、博多では鉄製の心棒を取り入れて長く回る独楽が開発され、こうした独楽は「博多独楽」と呼ばれるように。
このほか江戸の子どもたちは巻貝の一種「バイ」を加工した独楽を作り遊んでいたと伝えられ、これが明治中期に入って金属に変化すると現在の「ベーゴマ」に発展。
当初は「ぶちゴマ」として遊ばれたと言われていますが、やがて強く回せる「投げゴマ」に変化。
より長く回して強くする、高いクオリティを追求しようとする人々の工夫が見られますね。

江戸時代が起源「めんこ」

江戸時代が起源「めんこ」

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地面に置き叩き付けて遊ぶおもちゃ「めんこ」の歴史は、江戸時代に始まったと言われています。
江戸時代に登場した頃のめんこは「泥めんこ」と呼ばれるものが主流となっており、これは面型に粘土を詰め、それを素焼きにして製造したもの。
その中には人の顔型や物の形をしたものなどがあり、こうしためんこは遊び的側面より「魔除け」の側面が強いもの。
使い方も現代のように起こすものではなく、めんこ同士をぶつけるものであったとのこと。
起源は遊びとは違うところにあったのですね。

その後時代が進み明治時代に「鉛製めんこ」が登場すると、めんこの存在は大衆に普及するように。
しかし鉛害が中毒を起こすことで問題になると1900年(明治33年)から鉛の使用が禁止、紙製めんこに変わります。
その後製造された紙めんこには相撲力士、野球選手などが印刷され、こうしたものが男の子の代表的な遊びとして浸透することに。
現在では「昔ながらのめんこ」は少なくなっていますが、現代風のメンコとして「改造メンコバトル<BANG!>」などのおもちゃが登場。
形を変えながらも伝統は残されていますね。

現代ではカードゲーム要素も加わる「おはじき」

現代ではカードゲーム要素も加わる「おはじき」

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女の子の遊びとして親しまれてきた「おはじき」は中国から伝わった遊びとされており、最初に日本へ伝わったのは奈良時代に入ってから。
それ以前は貝殻や小石、植物の実などを利用して遊ばれてきたとされており、身の回りに存在するものを有効活用して遊びが成立していたのですね。

こうしたおはじきは上流階級の大人たちが遊ぶものとされてきましたが、時代が江戸時代になると「女の子」の遊びとして発展することに。
明治時代に入ると現代に見られるガラス製おはじきが作られるようになり、その後登場したプラスチック製のおはじきは算数などの「学術用おはじき」として利用されることも。

現在では伝統的なおはじきに加えて最新型のおはじきも発売されており、現代風おはじきに「TCG(トレーディングカードゲーム)」の要素を組み合わせた「爆丸バトルブローラーズ」が発売中。
日本ではセガトイズより発売されており、「爆丸」と呼ばれる球体とカードを使って戦う独特なルールで子どもたちの人気おもちゃに。
伝統的おもちゃの要素に「スリリングなバトル」要素が入るのは現代ならではと言えますし、これは男の子にも親しみやすいですね。

紀元前1000年頃に始まる「お手玉」

紀元前1000年頃に始まる「お手玉」

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お手玉の始まりは紀元前1000年頃。
黒海周辺の「トラキア(バルカン半島南東部の古代・現代の地域名)」で遊牧民の人々が羊の距骨(かかとの骨)を使った「拾い技」として遊んだのが始まりと言われており、約4000年前の古代エジプトの洞窟壁画にはお手玉らしき物を投げて遊ぶ女性の姿も。
その後シルクロードを通って中国、インドへ伝わることになりますが、羊の距骨は簡単に手に入らないため身近にある小石を使うようになり、これは「石なご」と言われる遊びに発展。

こうして形成されたお手玉の文化が日本へ伝わったのは奈良時代に入ってから。
当時は手ごろな大きさの小石、水晶を利用して遊ばれる「石名取玉」と呼ばれており、聖徳太子が遊んだとされる水晶も後に発見。
平安時代に入ると女の子の遊びとして好まれるようになり、それから日本各地に普及。
その後江戸時代から明治初期にかけて現代に見られる「お手玉」が造られるようになり、歌川広重による江戸後期の浮世絵『風流おさな遊び』には女の子がお手玉で遊ぶ姿が描かれています。

現在のお手玉は地方によって「おじゃみ(愛知・岐阜など)」などさまざまな呼び名が存在。
祖母から孫へと伝承される「伝承遊具」になっていますが、現代ではライフスタイルの変化によって継承が難しくなったと言われています。

礼法から遊びに発展「折り紙」

礼法から遊びに発展「折り紙」

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日本における折り紙の歴史は7世紀初めに始まったとされています。
紙の技術を生み出したのは中国で、生み出された紙の製法が日本に伝えられると改良が行われ、薄く丈夫な「和紙」が誕生。
開発された和紙は写経や記録、神事で神への供物などを包む目的で使用され、鎌倉時代には紙包みの礼法の原型が誕生。
その後室町時代に入ってからは第3代将軍・足利義満が武家独自の礼法として礼法を定め、指南役である高家(小笠原家、伊勢家)が様々な礼法を整えたことで「折紙礼法」も確立。

こうした流れから変わってきたのは江戸時代に入ってからとされており、この頃には礼法から離れて「紙を折ることそのものを楽しむ」考えが広まることに。
やがて紙の生産量が増えると「折り紙」は庶民に親しまれる存在となり、1797年(寛政9年)に出版された世界で最も古い折り紙の本「秘傅千羽鶴折形」では49種の折鶴を紹介。

明治時代に入ると「折り紙」はドイツの教育学者フリードリヒ・フレーベルの教育理論に基づいて幼児教育に組み込まれ、1983年(昭和58年)に『ビバ!おりがみ』が発売されるなど複雑な作品を生み出す人々も登場。
現代の折り紙は遊びアイテムと「芸術品」の両側面を併せ持ったアイテムになってきているのですね。

おもちゃと絵本両方で楽しめる「玩具絵」

おもちゃと絵本両方で楽しめる「玩具絵」

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江戸時代には浮世絵と関係するおもちゃも発明されています。
江戸時代に生まれた「玩具絵(おもちゃえ)」は明治時代にかけて描かれた子ども用の浮世絵で、遊んだり絵本として鑑賞したりすることができるおもちゃ。
江戸時代に「手遊び絵」と呼ばれたこの分野では多くの作家が作品を生み出し、江戸時代後期の寛政から享和時代(1789年から1804年)に鍬形蕙斎(くわがたけいさい)や葛飾北斎、文化期(1804年から1818年)には歌川国長や歌川豊久などが活躍しています。

その中でも人気が高いのは多くの猫が描かれた「猫の絵」。
こうした作風は無類の猫好きでも知られる浮世絵師・歌川国芳(うたがわくによし)がそのルーツとされており、その後国芳の弟子たちを中心に数多く描かれることに。
絵には宴会猫や働き猫など「擬人化」された猫が多数存在しており、2015年(平成27年)には『ねこのおもちゃ絵: 国芳一門の猫絵図鑑』が出版。
400年以上が経過した現在でも子どものおもちゃ・大人が見る芸術作品の両方として楽しめるのは良いですね。

江戸時代に伝わり昭和に再流行「ヨーヨー」

江戸時代に伝わり昭和に再流行「ヨーヨー」

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遊具としてのヨーヨーの起源は古く紀元前1000年前の中国にあります。
紀元前500年前のギリシャでもヨーヨーに似た遊具が登場したとされており、その後は交易路を通じてアジアに伝承。
さらにヨーロッパまで渡るとスコットランド、イングランドなどにも伝わることになり「フランス革命」時は「亡命者の遊び」として大流行、そこからフィリピンにまで伝わると現代の形状へ近づいていきます。

日本では江戸時代中頃に「手車」「釣り独楽」と呼ばれるものが中国から伝来、長崎で流行したのち享保年間の初期には京都、大坂で売られ江戸でも流行。
その後昭和に入りアメリカから帰ってきた富山県高岡商業高校の教員が「アメリカの流行玩具」として紹介したことで1933年(昭和8年)に流行。
最初は流行の最先端を行く「モダンボーイ」や「モダンガール」と呼ばれた人々が楽しんでいましたが、次第にサラリーマンや学生、お年寄りの間にも広まり、老若男女に親しまれるおもちゃに発展。

時代が進み第2次世界大戦後になると1967年(昭和42年)に森永製菓の飲料「森永コーラス」の景品、1975年(昭和50年)にコカコーラの「ラッセルヨーヨーキャンペーン」によって再流行を果たし、1990年代にはバンダイ社から発売された「ハイパーヨーヨー」によるブームでも有名に。
この商品では高性能ヨーヨーによる高度なテクニックが話題になり、技を披露する名人も登場するほど。
派手なテクニックは子どもを引き付けるには良い要素でしょうね。

酒席の大人が遊んでいた「けん玉」

酒席の大人が遊んでいた「けん玉」

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けん玉のルーツとされているのは、16世紀頃のフランスで流行したおもちゃでした。
この頃のフランスで流行していた「ビルボケ(bilboquet)」と呼ばれるおもちゃは子どもから貴族、上流階級の人々に広く浸透したおもちゃで、当時の国王・アンリ3世も愛好したと言われるほどの人気。
国中を巻き込むほどの人気であったのですね。

日本に紹介されたのは江戸時代とされており、1809年(文化6年)に発表された『拳会角力図会』に「匕玉拳(すくいたまけん)」として図入りで紹介。
1830年(文政13年)に国学者・喜多村信節(きたむらのぶよ)が著した『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「安永六七年の頃拳玉と云もの出來たり」の記述があり、当時は大人が酒席で遊ぶものとして存在。
まだ子どもが遊ぶものではなかったわけですね。

こうして原型ができつつあったけん玉が「子どものおもちゃ」として普及するのは明治時代に入ってからで、1876年(明治9年)に文部省(現在の文部科学省)が発行した児童教育解説『童女筌(どうじょせん)』にて「盃及び玉」として紹介されてから。
大正時代に入ってからは開発が進み、1918年(大正7年)に広島県呉市で生み出された「日月ボール」は翌年に実用新案として登録。
これが現代に伝わるけん玉の形になっています。

伝統的なおもちゃに触れられるスポット

伝統的なおもちゃに触れられるスポット

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兵庫県姫路市で1974年(昭和49年)に設立された「日本玩具博物館」は日本の郷土玩具や近代玩具、伝統人形、世界160ヶ国の玩具や人形など総数9万点を超える資料を収蔵。
見る以外におもちゃに触って遊べるコーナーも。
こうした展示内容から日本を代表する玩具博物館として広く知られ、様々な時代・地域の雛人形を取り出して展示する「春の雛人形展」と世界各地のクリスマス風景を描く「世界のクリスマス展」は人気の特別展示。
そのほか海外のおもちゃが手に入る「ミュージアムショップ」も人気。
アクセスはJR 播但線・香呂駅から徒歩約15分。
住所:兵庫県姫路市香寺町中仁野671-3

名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)・稲永駅、名古屋市営地下鉄名城線・築地口駅から徒歩約15分の「日本独楽博物館」は1980年(昭和55年)に兵庫県芦屋市で開館した「藤田独楽資料館」が歴史の始まりで、1989年(平成元年)に現在地へ移転。
館内には館長が収集した海外60数カ国の独楽、日本各地の独楽約2万点、昭和初期から40年代を中心として江戸時代から現代までのおもちゃ・生活用品約2万点を展示。
このほか世界の手作り玩具、民族楽器1千点も収蔵しており、玩具で自由に遊べるスペースで遊んだり、独楽の回し方を実際に教わったりすることも可能。
住所:愛知県名古屋市港区中之島通4-7-2

遊びを深めるときに知っておきたい

日本で遊ばれてきた伝統的なおもちゃは時代と共に変化・衰退などもありますが、多くは形を変えて現在まで受け継がれてきました。
こうしたおもちゃたちは歴史を知らなくても楽しめますが、歴史的背景が理解できれば遊びの方向性を広げることに役立つことも。
遊びを深めるときには歴史までぜひ理解しておきたいですね。
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