京都観光で絶対行きたい「伏見稲荷大社」、観光の前に知る「歴史」

伏見稲荷大社は、今や清水寺を凌ぐほどの人気観光地となっています。神秘的な雰囲気を醸し出す「千本鳥居」は、願いが通る道とされ、人々がこぞって通っています。今回は、外国人にも大人気の観光地「伏見稲荷大社」の歴史について調べてみました。せっかく行くなら、その歴史を感じながら歩いてみたいものですね。ぜひ、参考にしてください。

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続く赤い鳥居が見事な伏見稲荷大社とは?

続く赤い鳥居が見事な伏見稲荷大社とは?

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千年の都と称される京都屈指の観光地伏見稲荷大社は、全国に3万社とも4万社ともいわれる稲荷神社の総本宮です。
”外国人に人気の日本の観光スポットランキング”でも、堂々の1位を獲得しています。
鳥居が連なる参拝道を歩いていると、「これこそ日本の聖地」と感じられること間違いなしです。

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稲荷山の頂上まで参拝する「お山めぐり」では、途中の四ツ辻から見える、京都市内のパノラマは見る価値がありますよ。
また、山頂には眺望はありませんが、稲荷大神様が鎮座したといわれる場所で、神々しい雰囲気を感じられます。
1周約2時間かかりますが、がんばって巡りたいものですね。
せっかくなら、稲荷山7神蹟を巡るコースに挑戦するのも醍醐味かも。

伏見稲荷大社のはじまり

伏見稲荷大社のはじまり

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京都市伏見にある、伏見稲荷大社の古い歴史については、詳しくは分かっていません。
1000年を遥かに超える歴史を持つことだけは、はっきりしています。
御祭神の稲荷大社様が鎮座されたのは、奈良時代のこと。
御鎮座は和銅4年(711)2月初午の日だったと伝わっており、信仰の起源はさらに古いようです。

『神名帳頭註所引山城国(現在の京都府)風土記』によると、昔大金持ちだった秦氏の伊呂具が、自慢げに餅を的にして矢で射たところ、その餅が突然白鳥に姿を変えて飛び去りました。
その鳥が舞い降りた、稲荷山三ヶ峰には、その年から稲が豊作となったという奇跡が起こっています。
これに感謝した、伊呂具は3つの峰に3柱の神を奉りました。
これがはじまりとされ、当初は「五穀豊穣の神様」が祀られています。
他にも説はありますが、すてきな神話ですね。

現在も2月初午の日には三ヶ峰に初めて鎮座になった日を偲び、初午大祭が行われています。
杉と椎の枝で作った青山飾りを、本殿以下摂末社に飾ってこの日を迎えています。
また、参拝者には、商売繁盛や家内安全のしるしとされる、「しるしの杉」が授与されています。

社殿が建った平安時代

社殿が建った平安時代

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弘仁7年(816)に社殿が建設されました。
皆さん空海(弘法大師)という偉いお坊さんのことはご存知ですね。
実は、空海と伏見稲荷大社には、つながりがあったのです。
空海が50歳の時に嵯峨天皇から、東寺を賜りました。
その東寺の鎮守神をお願いするために、伏見稲荷に訪れました。

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他にも、自分が信仰する密教を広めるために、東寺の再建と修繕、伽藍を創設するための木材をいただきたいとの目的もあったようです。
弘仁14年(823)に五重塔建設に必要と、稲荷山の巨木を切り倒してしまいました。
それを知った稲荷大神が激怒したことを知り、伏見稲荷に訪れました。

天皇の病は、稲荷山の巨木が原因

天皇の病は、稲荷山の巨木が原因

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空海と気軽に読んでいますが、その頃の彼は大人気のお坊さんでした。
伏見大神を東寺の鎮守神としたことは瞬く間に民衆に広がり、伏見稲荷にスポットが当たりました。
でも、これだけではありません。

天長4年(827)には、淳和天皇が病に倒れてしまったのです。
占い師が診断した結果、東寺の五重塔を建てるために伏見稲荷の木を切り倒したことが原因といわれました。
慌てた天皇は、従五位下の神階を伏見稲荷に授け、伏見稲荷に赴き不躾を詫びた上で病が治るよう願いました。
空海というスター的な存在のお坊さんが訪れたり、天皇直々のお目見えもあった伏見稲荷は「徳の高い寺」として庶民にまで広まり、東南方向の福神として信仰を集めるようになりました。

「徳のあるお寺」と大評判

「徳のあるお寺」と大評判

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承和11年(844)に従四位下になり、天慶5年(942)には、正一位の極位にまで上り詰めています。
仁寿2年(852)に加茂神社と下鴨神社の松尾大師と共に山社のひとつとされました。
延喜8年(908)に藤原時平の寄進により、社殿が造営されました。
応和3年(963)に東南方向を鎮護する神社として定められています。

この頃、伊勢神宮は天皇以外の参拝が禁じられていたため、庶民たちはこぞって伏見稲荷大社に訪れるようになりました。
『今昔物語』や『枕草子』などに登場していることでも、伏見稲荷が絶大な人気を誇っていたことが分かります。

応仁の乱で消失した伏見稲荷

応仁の乱で消失した伏見稲荷

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長暦3年(1039)には、二十二社(国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた神社。
ウィキペディアより)の上七社に列されました。
鎌倉時代には、神仏習合の信仰がはやり、神宮寺が数多く建てられています。
伏見稲荷に点在する狐が、大社の御使いとされたのもこの時期からだったとか。
伏見稲荷の眼力社名物の竹をくわえて逆立ちする、ユニークな狐像は見る価値ありですよ。

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応仁2年(1468)3月21日には、大事件が起こりました。
応仁の乱の兵火が伏見神社に襲いかかったのです。
山上、山下の社殿の大半が崩壊するという甚大な被害でした。
明応8年(1499)には、現在の本殿が再建され、同年に奥宮も造営されています。
天正16年(1588)に、関白豊臣秀吉の母大政所の病克服を祈願し、翌年成就したことに伴い寄進を行い現存する楼門を再建したとされています。
天正17年(1589)には、舞殿が造営され、天保11年(1840)に改築されました。

江戸時代の伏見稲荷

江戸時代の伏見稲荷

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戦国時代が終わり平和になりました。
朝廷は神々に対する信仰が高まり、108代の後水尾天皇は稲荷信仰にかなり関心を持ったようです。
寛永12年(1635)に権殿が造営されており、寛永18年(1641) には、後水尾上皇は御所の一部を下賜したほど。
現在は、重要文化財のお茶屋となっています。
商売繁盛にも御利益があると、全国の商人が参拝することにより賑わいを取り戻しました。

稲荷社の分社がはじまり、願いが叶ったお礼に赤い鳥居を奉納するという習慣が生まれました。
これが今、大人気となっている千本鳥居のきっかけとなっています。

廃仏棄釈に翻弄される伏見稲荷

廃仏棄釈に翻弄される伏見稲荷

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慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いでは、再び戦場となりかけましたが、幕府軍の引き上げにより被害はほとんどありませんでした。
寺院が半分以下になり、国宝級の建物や仏像の多数が破壊された、廃仏棄釈が行われました。
これにより、伏見稲荷も数棟あった仏殿と愛染寺や本殿内の仏像類が破棄されています。
もったいないですよね。

さらに、明治政府は伏見稲荷が伝承してきた神社の所領地41万坪のうち、4分の1の10万坪に減らしました。
東寺神供も一時廃止となってしまいました。
東寺神供は後に復活しています。
新政府は明治4年5月の社格制度を定め、上賀茂・下鴨・石清水・松尾・平野の各社と並び、最高位の官幣大社に列せることが許されています。
これには政府が、神道を国教化し、神社を国の統治下に置くことが狙いでした。

現在の伏見稲荷大社

現在の伏見稲荷大社

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昭和21年(1946)には、近代社格制度が廃止されることになりました。
神社本庁からは独立し、単立宗教法人となりました。
神社本庁が、伊勢神宮を本宗としたためであり、関係は現在も良好のようです。
宗教化したことにより、官幣大社稲荷神社から現在呼ばれている、宗教法人・伏見稲荷大社と改称しました。

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最近では、国内だけでなく、外国からも観光客がこぞって訪れる、日本で一番人気といっても過言ではないほどの観光地となっています。
赤い鳥居の数は現在1万基を超すほどとか。
これだけの人々の願いを叶えたということですね。

稲荷神社の総本宮と崇められる伏見稲荷大社で、神秘的な参道を巡る「お山めぐり」を体験してみませんか?

千本鳥居は朱色の鳥居が人気ですね。
一般的な寺社仏閣にも使われている、朱色には魔力に対抗する力が宿っていると信じられているとか。
この伏見稲荷大社では、稲荷大神様の、豊穣を表す色として朱色が使われているようです。
ぜひ、圧巻の鳥居の下をくぐってお願い事をしてみてくださいね。
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