松永久秀は稀代の悪党か?あの信長を2度も裏切った、やりたい放題の伝説まとめ

公開日:2020/1/20 更新日:2020/1/27

どこの馬の骨とも知れぬ者から、三好家の家宰へ!

天文18(1549)年、キリスト教が日本に入ってきたその年、三好長慶は政敵だった幕府ナンバー2の管領(かんれい)・細川晴元(ほそかわはるもと)と13代将軍足利義輝(あしかがよしてる)らを近江国(滋賀県)へ追放しました。 これで、将軍は存在していますが、近江に追放の身。 長慶は政権運営者として、まさに天下人となったわけです。 ということで、公家や寺社は三好家と関わりを持つようになります。 その仲介役に久秀は抜擢されたのでした。 コミュニケーション力に優れ、頭の回転も良くなければできない仕事です。 そして、長慶は細川晴元と敵対する細川氏綱(ほそかわうじつな)を管領に担ぎ出して上洛しますが、この時に久秀は三好家の家宰(かさい)に任命されました。 家宰とは、家長に代わり家の一切を取りしきる役です。 加えて、彼は長慶の娘を妻とし、三好家内でおそらく最も重要な地位に就いたのでした。

茶の湯に通じた一流の教養人

出自もはっきりしない久秀ですが、どこで学んだのか、茶の湯に通じていました。 茶の湯はただ茶を点てるだけではなく、茶器や床の間の掛物など、すべてを評価する総合芸術だったんです。 それに通じているということは、相当の教養の持ち主だったということですね。 そして、彼は多くの名茶器を所有していました。 それが彼の運命を左右することにもなるのですが…後で登場することになりますのでお待ちください。

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