松永久秀は稀代の悪党か?あの信長を2度も裏切った、やりたい放題の伝説まとめ

公開日:2020/1/20 更新日:2020/1/27

皆が「なんで?」…再び信長を裏切る!

そんな鬱屈した思いが爆発したのでしょうか。 天正5(1577)年、石山本願寺攻めの最中、久秀は突如として戦線を離脱し、居城の信貴山城に立てこもってしまいました。 これには誰もが「は?」という思いでした。 新たな反信長勢力の上杉謙信や毛利輝元、石山本願寺らと呼応を考えていたという説もありますが、はっきりとはしていません。 信長ですら久秀の裏切りに戸惑い、使者を派遣して理由を尋ねるほどでした。 しかも「何か問題があるなら話してほしい、そしたら対応する」という割と誠実なニュアンスだったようですが、久秀は使者に会おうともせず、追い返してしまったんです。 ようやく、ここで信長は激怒しました。 そして、息子の信忠(のぶただ)を総大将とした4万の大群で信貴山城を包囲したのです。

平蜘蛛と共に炎の中へ…壮絶な最期

4万の相手に対し、久秀の軍はわずか8千。 しかし築城の名手と言われた彼が建てた信貴山城は簡単には落ちず、かなりの時間を要しました。 が、やがて内通者によって城に火の手が上がりました。 信長は、この期に及んで最後の交渉を持ちかけています。 久秀所有の名茶器「古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)」を差し出したら許してやる、というんです。 久秀が惜しいのか、はたまた茶器が惜しいのか。 信長の考えもよくわかりません。 久秀の返事は「否」でした。 「我々の首と平蜘蛛は信長公にお目にかけぬ。 鉄砲の薬で粉々にしよう」と言うなり、彼は平蜘蛛を叩き割り、天守に火を放って息子と共に自害したのでした。 ちなみに、久秀が「鉄砲の薬で粉々に」と言ったという話に尾ひれがつき、後世、平蜘蛛に火薬を仕込んで爆死したという説が流布しました。 しかしこれはあくまで創作です。 実際には、落城後に4つの首が安土城へと運ばれています。 久秀の胴体は、宿敵・筒井順慶が達磨寺(奈良県北葛城郡王寺町)へと運び、丁重に埋葬しました。

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