足利義輝の生涯を追う。室町幕府末期に鮮烈に散った剣豪将軍

公開日:2020/3/5 更新日:2020/3/5

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室町幕府末期の将軍のイメージってどんな感じですか?正直、印象ないですよね。最後の足利義昭(よしあき)が織田信長(おだのぶなが)に追い出されたっていうイメージくらいでしょうか。しかし、その義昭の実兄にして13代将軍だった義輝(よしてる)は、小説やミュージカルの題材となるくらいドラマチックな人生を送った人物でした。剣豪将軍と呼ばれたとか…!?そんな彼の波乱の生涯、ぜひ追いかけてみることにしましょう。

すでに地に落ちていた将軍の権威

義輝が生まれたのは天文5(1536)年。
12代将軍足利義晴(よしはる)の嫡男でした。
15代の義昭は1つ下の同母弟に当たります。
この頃の室町幕府の状況について、簡単にご説明しましょう。

応仁元(1467)年から約11年間続いた応仁の乱(おうにんのらん)は終わっていましたが、それを収拾できなかった将軍の権威は地に落ち、幕府のナンバー2ポジションの管領(かんれい)などの有力大名が力をどんどんつけていました。
そのため、将軍は彼らと対立しては都落ち…というのが多かったんですよ。

11代義澄(よしずみ)や義輝の父・義晴もそうで、2人共、結局は都ではなく近江(滋賀県)で最期を迎えています。

このように混乱した政局の中、父が近江へ逃れている間に、義輝は生まれたのでした。

わずか11歳で将軍の座に

義輝の父・義晴は、管領の細川晴元(ほそかわはるもと)と争いを続けていました。
しかし、戦っては負けて近江へ逃げるという繰り返しだったんです。
父もそうでしょうが、幼い義輝にもまた、屈辱感があったはず。
そんな中、天文15(1547)年、義輝は11歳で元服し、13代将軍となります。
かなり早い将軍職就任ですが、しばらくは父が大御所として後見しています。

ちなみに、元服当初は「義藤(よしふじ)」と名乗っていますが、便宜上、この記事では「義輝」で統一しますね。

元服から2年後の天文17(1548)年、父と細川晴元が和睦し、義輝も京都へ戻ります。

さあ、これでやっと管領ともうまくやっていけるし、将軍として政治にも携われる…と思いきや、そうも行かなかったんですよ。

いったい、どうしてなんでしょうか?

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