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すでに地に落ちていた将軍の権威
義輝が生まれたのは天文5(1536)年。
12代将軍足利義晴(よしはる)の嫡男でした。
15代の義昭は1つ下の同母弟に当たります。
この頃の室町幕府の状況について、簡単にご説明しましょう。
応仁元(1467)年から約11年間続いた応仁の乱(おうにんのらん)は終わっていましたが、それを収拾できなかった将軍の権威は地に落ち、幕府のナンバー2ポジションの管領(かんれい)などの有力大名が力をどんどんつけていました。
そのため、将軍は彼らと対立しては都落ち…というのが多かったんですよ。
11代義澄(よしずみ)や義輝の父・義晴もそうで、2人共、結局は都ではなく近江(滋賀県)で最期を迎えています。
このように混乱した政局の中、父が近江へ逃れている間に、義輝は生まれたのでした。
わずか11歳で将軍の座に
義輝の父・義晴は、管領の細川晴元(ほそかわはるもと)と争いを続けていました。
しかし、戦っては負けて近江へ逃げるという繰り返しだったんです。
父もそうでしょうが、幼い義輝にもまた、屈辱感があったはず。
そんな中、天文15(1547)年、義輝は11歳で元服し、13代将軍となります。
かなり早い将軍職就任ですが、しばらくは父が大御所として後見しています。
ちなみに、元服当初は「義藤(よしふじ)」と名乗っていますが、便宜上、この記事では「義輝」で統一しますね。
元服から2年後の天文17(1548)年、父と細川晴元が和睦し、義輝も京都へ戻ります。
さあ、これでやっと管領ともうまくやっていけるし、将軍として政治にも携われる…と思いきや、そうも行かなかったんですよ。
いったい、どうしてなんでしょうか?
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