アレイからすこじまで間近に潜水艦を見ることができる

トラベルパートナー: wakame

31歳1児のママ。秋田県出身。 転勤族のため全国11箇所に住んだ経験があり、特に青森県中心に書いています。東北地方の歴史・文化・民間伝承が好き。実際に住んだからこそわかる情報を盛り込んだ記事作成を心がけています。

潜水艦が見たい?ほいならアレイからすこじまがぶち近く見れるけぇ

掃海(そうかい)とは、戦時中に海に沈められた魚雷や不発爆弾を処理すること。現在の潜水艦はこんな仕事を担っています。そんな潜水艦が間近に見られるのはここ、アレイからすこじまだけ。戦争だけではない人と海との関わりを見てみませんか。

呉市の人気の観光スポット

古くから天然の良港と言われていた呉市。現在は海上自衛隊の潜水艦基地として利用されています。

海軍の街である呉市

海軍の街として有名な呉市。最近では映画やドラマになった「この世界の片隅に」の舞台となったことでも有名になりました。地形に恵まれていて、古くから天然の良港と言われており、村上水軍の一派が根城にしていたこともあるほど。潮の満ち引きを利用した江戸時代以前の舟のドック跡も残っており、呉市と海は古くから切っても切り離せない関係であることがうかがえます。

海上自衛隊の基地

戦後、旧海軍が解体した後も、海上自衛隊の潜水艦基地として使われたアレイからすこじま。現在でも多数の海上自衛隊の潜水艦が停泊し、護衛艦も見ることができます。海上自衛隊の呉基地は普段は中に入ることはできませんが、日曜日には護衛艦の一般開放があったり、年に一度カレーフェスタがあったりと、一般の人が基地の中にが入る機会も設けられています。

間近で見られる潜水艦

日本国内には横須賀・佐世保・舞鶴・呉・大湊の5つの海上自衛隊の総監部がありますが、潜水艦が間近に見られるのはここだけです。アレイからすこじま という名前は、呉に明治時代まであった周囲30〜40mのからすこじま という小島の名前と、英語で小道を意味するアレイを合わせた造語なのです。

ちなみにからすこじまは大正時代に魚雷発射訓練場として埋立てられました。戦前は極秘で戦艦の停泊や建造を行っていたこの地は、今では誰でもが自由に散策できる公園になっています。

呉市とアレイからすこじまの歴史

かつては漁業を営む小さな村でしたが、日本海軍の基地が設置されてから、都市化・近代化が進みました。

もともとは小さな漁村だった呉

呉は遣唐使船の停泊地でもあったことから、古より造船の技術が発達していて職人も多く住んでいました。呉は江戸時代末期まで呉浦と呼ばれ、現在も呉周辺は吉浦など浦のつく地名が多く残っていて、一帯で漁業を営む小さな村でした。もともとのりの生産などもさかんで、漁業を中心とした暮らしを送っていたことが想像できます。

海軍の基地が建造され一気に近代化

日本海軍の基地がおかれると決まった翌年、呉の海界隈一帯は海軍に買い上げられ、景色は一変しました。短期間に人口は激増し、一気に都市化が進んだのです。広島県で初めて路面電車が通り、検疫などの貿易の仕組みも整いました。

レンガ造りの建物もとても多く、横浜・函館に次いで日本で3番目に上下水道が整えられました。呉は海軍にとって最も重要な都市のひとつとなり、当時の日本で最も近代化が進んだ街のひとつとなったのでした。

海軍の基地のなかでも呉は本拠地

天然の良港で外海からの攻撃を受けにくい地形であるため、呉には多数の戦艦が在籍することとなりました。南以外、北・東・西の3方は険しい山に囲まれた地形だったため、陸からの攻撃にも強い城のような場所でした。呉は東洋一の軍港であり日本一の工廠と言われるほど、船のドッグや造船所の技術も天下一でした。

空襲で壊滅するも息を吹き返した呉市

太平洋戦争のミッドウェー海戦で大敗をし、米軍が日本の本土に侵攻してくると、呉は米軍に真っ先に狙われることとなりました。呉の戦艦と、戦艦を建造・修理する工場を中心に市街地も激しい空襲を何度も受け、そのたびになんとか凌いできた歴史があります。

呉も空襲で大きな被害を受け、ついに広島に原爆も落とされ日本は降伏しました。しかしその後も造船技術はずっと受け継がれ、今に至っています。

現代では海自の潜水艦桟橋に

任務にあたるために出港したり着岸したりする潜水艦を間近で見られます。潜水艦は掃海という戦時中に海に沈められた魚雷や不発爆弾を処理する業務を行っています。

旧海軍が解体した後も残っている

戦後、呉の造船工場はジャパンマリンユナイテッドが引き継ぎ、大型船舶を建造・修理などをしている風景を道路からも見ることができます。かの有名な戦艦大和が建造されたことでも知られる呉市には、現在でもファンが多数訪れています。アレイからすこじまからは潜水艦だけでなく、護衛艦も見ることができ、特に空母が停泊しているときはその大きさに圧倒されることでしょう。

潜水艦も停泊

アレイからすこじまは、潜水艦が実際に任務にあたるために出港や着岸するところを間近で見ることができます。潜水艦が少なくとも1隻以上いることが多いですが、まれに1隻もいないこともあるようです。多いときには8隻くらいの潜水艦が停泊することも。

日本の潜水艦には うずしお型と そうりゅう型という2種があり、それぞれ形状が異なっています。アレイからすこじまでは、その形の違いもわかるほど、近くで潜水艦を見ることができるので、とても貴重な体験になるでしょう。

掃海を行っている潜水艦

掃海とは、戦時中に海に沈められた魚雷や不発爆弾を処理すること。失敗できない危険な業務ですが、同時にとても大切な業務でもあります。潜水艦の任務は過酷で、時には十数日もの間太陽の光を浴びることも外の景色を見ることもなく、淡々と業務をこなさなければなりません。

そのため潜水艦乗りは海上自衛官のなかでもエリートと言われています。潜水艦の業務については、呉市の てつのくじら館に詳しい展示と説明がされていて、かつて使われていた潜水艦の中に入って見学もできます。

航行中の潜水艦が見られることも

見晴らしの良いアレイからすこじまでは、ときどき出港したり入港する潜水艦の様子を見ることができます。潜水艦桟橋のすぐ手前には街路樹とベンチがいくつかあるので、長い時間見学したい方にもおすすめです。潜水艦桟橋のすぐ近くにはカフェがあり、テラスや窓側の席から潜水艦桟橋をながめながらお茶を楽しむこともできます。

合わせて観光したい周辺の海軍ゆかりの地

レンガ倉庫群や魚雷積載用クレーンなど、合わせて見学したいスポットについて紹介します。

旧呉海軍工廠(こうしょう)本部前

海上自衛隊第一潜水隊群司令部前から約300mほどの車道に沿った遊歩道のような公園で、レンガ色を基調にした雰囲気が特徴です。レンガ倉庫群は1897年~1903年に建てられたもので、空襲で被害を受けたものの修復され現在は民間会社の倉庫として利用されています。潜水艦桟橋から徒歩1~2分のところにあります。

住所|〒737-0027 呉市昭和町
営業時間|終日解放
定休日|なし
電話|呉市観光振興課 0823-25-3309
公式サイトはこちら

旧魚雷積載用クレーン

戦前に呉が軍港だった頃、魚雷などの揚げ下しに使用されたクレーンが今も近くに設置されています。奇跡的に戦火をまぬがれたクレーンは、戦後もしばらくは稼動していたそう。こちらも岸壁のすぐ近くにあり、潜水艦桟橋から徒歩2分ほどの場所にあるため、合わせて観光したい場所のひとつです。

住所|〒737-0027 呉市昭和町
営業時間|終日解放
定休日|なし
電話|呉市観光振興課 0823-25-3309
公式サイトはこちら

アレイからすこじまへのアクセス

車での行き方

広島呉道路(クレアライン)呉ICから約10分です。アレイからすこじまの見学は24時間自由にできますが、無料駐車場の利用時間は8:00〜20:00までのため、時間には注意してください。駐車可能台数は普通車28台・バス10台。駐車場の近くには海軍技手養成所跡の石碑があります。

バスでの行き方

広電バスで、呉倉橋島線・阿賀音戸の瀬戸線、音戸倉橋方面ゆきに乗ります。潜水隊前バス停で下車すると、そこから徒歩約1分です。

住所|〒737-0027 広島県呉市昭和町
営業時間|終日解放
定休日|なし
電話|0823-25-3309
公式サイトはこちら

まとめ

海軍の街として知られている呉市には、潜水艦を間近で見られたり、海のと人々との関わりの歴史を感じられたりするものがたくさんあります。歴史的建造物も数多く残っているので、ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。