玄界灘を望む麗しき海城「唐津城」の歴史と見どころをご紹介!

佐賀県の北西に位置する唐津市。市の北側には玄界灘に面していて、深くえぐるように入り込んだ唐津湾と、灘に突き出るように北に伸びる東松浦半島が特徴的な地形を作り出していて、海岸線は入り組んだリアス式。この地形は古代から、朝鮮半島や中国大陸など海外との海上交通の拠点となっていました。そんな唐津湾に面した場所に”舞鶴城”の異名をとる美しい白、唐津城があります。江戸時代は唐津藩の城でしたが、今は唐津市のシンボルとして市民や観光客に愛されています。どんな城だったのか、なぜ海に面しているのか?唐津城の歴史と魅力、たっぷりとお伝え致します。

唐津城の歴史

 

唐津とはどんなところ?

 

唐津とはどんなところ?

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唐津市内には「菜畑遺跡」をはじめ、縄文時代や弥生時代の遺跡や古墳などが多数発見されており、先史時代から既に、多くの集落があったようです。
大陸からの船が流れ着く場所のひとつとも言われており、邪馬台国の記述があることで有名な『魏志倭人伝』に出てくる末盧国(まつろこく・まつらこく)は、現在の唐津市周辺にあったと考えられています。

7世紀末頃には律令制のもと、肥前国(ひぜんのくに)の松浦郡の一部となっていました。
末盧国の”まつら”から”松浦”と呼ばれるようになったのでは、とも言われています。
平安時代の中頃、都の政治が乱れ地方政治が不安定になり始めると、この周辺の豪族たちが結束し「松浦党」という武士連合のようなものを結成。
最大勢力であった波多氏をはじめ、48もの豪族たちが結集して、時には都の勢力や周辺の戦国大名と対峙することもあったようです。

1591年(天正19年)、松浦郡に大きな転機が訪れます。
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が次の一歩として打ち立てた朝鮮出兵の拠点として、東松浦半島の北部(現在の呼子町付近)、玄界灘を間近に望む小高い場所に巨大な城「名護屋城(なごやじょう)」を築城。
ここにはもともと波多氏の城がありましたが、地理的条件から秀吉はこの地を大陸への拠点とします。

しかし1598年(慶長3年)、秀吉がこの世を去り、朝鮮出兵は終了。
名護屋城も廃城となり、時代は戦国から徳川の時代へと移っていきます。

その地形から、海外との窓口にも出兵の拠点にもなり得た唐津。
名護屋城廃城の後、いよいよこの地に唐津城が誕生します。

戦国から江戸時代へ・唐津城の誕生

 

戦国から江戸時代へ・唐津城の誕生

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松浦党最大の一族であった波多氏は朝鮮出兵にも加わりますが、命令に背いて勝手な行動をとったことから秀吉の逆鱗に触れ、1593年(文禄2年)、一族もろとも滅ぼされてしまいます。
代わりに唐津周辺の地域を治めるべく送られてきたのが秀吉の家臣、寺沢広高(てらざわ ひろたか)でした。
寺沢広高は名護屋城の台所を取り仕切り、大名たちの取りまとめや交渉などに尽力した人物。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは東軍につき、後に肥後国天草郡を含む12万3千石の外様大名となります。

関ヶ原の戦いの後、寺沢広高は唐津城の築城を開始。
7年ほどの歳月をかけ、城は1608年に完成します。

城は主要な街道に近い場所ではなく、唐津湾の深く入り込んだところ、松浦川の河口部分に突き出た満島山という小高い山の上に建てられました。
ここは唐津湾を見渡せる絶好の場所。
城は山を利用した平山式ですが、周辺の港や海を監視するための海城の機能も果たしていたと思われます。

築城に際しては、直線距離にして15kmほど離れたところにある名護屋城から資材を運び出して使用しました。
難攻不落の名護屋城を完全な廃城にするためだったとの見方もありますが、名護屋城の普請を努めていた寺沢広高からすれば、資材の流用はごく当たり前の行動だったのかもしれません。

ところで、築城当初の唐津城には、天守閣がありませんでした(現在の天守閣は模擬天守)。
江戸に入ってから完成した城ですので、徳川幕府の目を気にしたため天守を作らなかったのではないか、との見方が濃厚ですが、名護屋城の天守を移築するつもりだったがうまくいかなかったのでは、との説も。
名護屋城は大坂城に次ぐ巨大城で、天守閣は金色だったとも言われています。
世が世なら、唐津城は海辺に輝く黄金の城になっていたかも…あくまでも、世が世なら、のお話です。

幕末から明治、そして現代へ

 

幕末から明治、そして現代へ

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広高の子の堅高の代に島原の乱が勃発し、その責任を取らされ石高を減らされた堅高は江戸藩邸で自害。
寺沢家は断絶してしまいます。
唐津城は一時期幕府の直轄地となりますが、その後、いくつかの大名が入れ替わり立ち替わりで唐津城に入城。
1800年代初めからは陸奥棚倉藩から移ってきた小笠原氏の居城となります。
入れ替わった大名は総勢6家。
唐津城は”雇われ城主”のような形でころころと主を代えながら江戸時代を過ごし、幕末を迎えます。

明治に入って唐津藩がなくなると、唐津城は廃城に。
建造物は壊され、本丸周辺の土地は1877年(明治10年)に「舞鶴公園」となって整備され、一般に開放されます。
城の東西に伸びる松原が、両翼を広げた鶴のように見えることから、常々”舞鶴城”とも呼ばれていたのだそうです(舞鶴城の呼称を持つ城は他にもいくつかあります)。

1966年(昭和41年)、唐津城を観光施設として再建することが決まり、5層5階の美しい天守が築かれます。
唐津城には天守閣が築かれた記録がないので、あくまでも”模擬天守”ということになるようです。
天守と同時に門や櫓も築かれ、唐津城は観光資源として再び息を吹き返します。

海に突き出した小高い山の上に立つ唐津城は、市内の至るところから見ることができ、押しも押されぬ唐津市民のシンボル。
観光スポットなって、唐津の歴史を今に伝える役割を担いながら、今日も静かに人々の暮らしを見守っています。

唐津城の見どころ

 

城内をのんびり散策

 

城内をのんびり散策

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明治に入ってから公園として整備された唐津城本丸周辺の敷地は、それほど広くはありません。
天守を始め、門や櫓は戦後、観光資源となるよう築かれたものですが、山の地形は築城当時のまま。
石垣を辿っていけば江戸時代の城の雰囲気を感じることができます。

唐津駅から唐津城に行くには、唐津市内を流れる町田川に架かる城内橋を渡って城内に入るルートがオススメ。
橋の手前から見る天守閣の美しさはまた格別。
海に突き出した小高い満島山の地形が築城のに適していたことがよくわかります。
きっと唐津湾を行き交う船を監視するのにもってこいの場所です。

小高い山の上、といっても、天守へ行くには230段余りの石段を上がる必要があります。
これが結構きつい。
やや幅の狭い、緑に覆われた石段を上がっていくと、現在は「中段広場」として整備されている二の曲輪に出ます。
呼吸を整えつつ広場をぶらぶら。
ここには天然記念物に指定されている紫藤が植えられていて、花の季節になると多くの観光客で賑わいます。

二ノ曲輪を抜けると再び石段が続き、本丸櫓門をくぐって本丸へ。
江戸時代の雰囲気を知りたいなら石段を使って上がりたいところですが、しんどい場合は、天守台の脇から出ているエレベーターを利用するとよいでしょう。

本丸は「上段広場」として整備され、晴れた日には玄界灘の絶景を楽しむことができます。

天守閣最上階からの眺望にうっとり

 

天守閣最上階からの眺望にうっとり

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本丸まで上がってきたら、いよいよ天守の中へ。
唐津城には代々天守が築かれた記録がなく、この天守はあくまで観光のために築かれた想像上の模擬天守ですが、それでも5層の美しい天守を目の前にすると気持ちが高まります。

天守の中は5階建てになっていて、1階には江戸時代の城下町のジオラマや天守閣の模型の展示が、2階と3階には唐津藩所蔵の武具や刀などの品々や唐津焼の名品の展示。
スペースはそれほど広くはありませんが、内容はとても充実しています。

5階に上がると、底は海に面した絶景が広がる展望フロア。
天守へはエレベーターではなく、少々急な、レトロな雰囲気の内階段を、手すりにつかまりながら上がっていきます。
文明の利器で一気に上がるより、展望フロアから見える眺望に対する期待度が高まること請け合いです。

言うまでもなく展望フロアからの眺望は絶品。
北に唐津湾、南は唐津の城下町、360度のパノラマが広がります。
すぐ足元、桜や藤、ツツジ、紅葉など、四季折々様々な色に染まる本丸広場も魅力的です。

築400年!石垣の修復工事

 

築400年!石垣の修復工事

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2008年(平成20年)に築城400年を迎えた唐津城。
強固な石垣も、長い年月を経て、ゆるんだりもろくなったり、隙間ができて不安定な個所が見つかったり、石そのものがひび割れたりと、全体的に劣化が見られるようになってきたのだそうです。
そこで、1993年(平成5年)、唐津城の石垣の状態の調査が行われ、その結果を受けて専門家による視察が行われました。
一部、崩落の危険性が指摘されたことから、行政主導のもと「唐津城石垣再築整備事業」と銘打って、2019年を目処に石垣の朱副工事が行われることに。
作業は鋭意進められています。
工事現場のような状態が続いている唐津城ですが、修復作業中でなければ見ることができない光景も。
工事の様子は石垣ファン必見です。

石垣修復工事中の唐津城では、石垣の石の表面のコケや汚れを洗浄機で洗浄した後、石の表面に番号を貼り付けてナンバリング。
写真を撮ってから大きな足場を組み、石をひとつずつ慎重にクレーンで吊って取り外す、といった作業が繰り返されています。
唐津城の石垣には、かなり大きな石がたくさん使われており、作業は慎重に、少しずつ。
石は積み戻すときに元の位置に戻す必要があるため、写真撮影が作業の大きなカギを握っているのかもしれません。

城内には、既に積み上がって修復が完了している石垣もあるため、ビフォーアフター、石積みの様子を見比べながら散策するのもオススメです。

唐津城周辺の歴史的スポット

 

日本最長!美しき松原「虹の松原」

 

日本最長!美しき松原「虹の松原」

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唐津城の東側、松浦川に沿うように細く長く伸びた海岸線に、長さ4㎞、幅500mにも及ぶ松林が伸びています。
唐津城の展望フロアから眺めるとひときわ目を引く、美しく弓なりに広がる緑。
ここは「虹の松原」と呼ばれ、静岡の「三保の松原」、福井の「気比の松原」と共に「日本三大松原」と称されています。
しかも、三保の松原が34ha、気比の松原が32haなのに対し、虹の松原の松林の面積は216haと桁違いの広さなのです。

虹の松原は、唐津城の築城主である寺沢広高が、新田開発の一環として植樹したもの。
潮風や飛砂から農地を守るための防砂林として植えたため、伐採することは許されず、今日まで残ったものなのです。

1771年、増税に反発した農民たちによる「虹の松原一揆」が起きた際、唐津城に近いこの松原が農民たちの集団立てこもりの場となりました。
最終的には、唐津藩は増税を撤回したそうですが、メンツをつぶされた藩による農民たちへの重圧は一層激しくなったと言われています。
この頃は「二里松原」と呼ばれていたらしく、後々、”二里”が”虹”に言い換えられていった可能性があるようです。

植えられている松はおよそ100万本。
ほぼ全てクロマツだそうで、海風を受けてやや斜めに生えている松や、変わった形をしている松もあります。
面白い松を探しながら歩くのも楽しそうです。

「石垣の散歩道」から「旧高取邸」へ

 

「石垣の散歩道」から「旧高取邸」へ

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虹の松原とは反対側、城の西側には、いかにも”城下町”といった風情ある街並みが広がっています。
浜に沿って整備された道には、かつて二の丸、三の丸を囲んでいた石垣の北側部分が残されており、観光客はもとより、地元民の散歩コースとしても親しまれているのです。

高さは高いところでも3mほど。
城郭らしく、ところどころカクカクと曲がっているところも、何とも雰囲気があります。
振り返れば木々の間から唐津城の天守閣が。
江戸時代にタイムスリップしたような感覚を覚えながら、趣きある町並みの散策を楽しむことができます。

石垣沿いにしばらく歩くと、風格ある瓦屋根の建物が見えてきます。
明治時代に活躍した佐賀藩出身の実業家で、炭鉱王として成功した高取伊好(たかとりこれよし)の旧宅、旧高取邸です。

和風の造りながら内部には洋間が設けられている、近代的な造りの豪邸。
外観も荘厳で見ごたえがありますが、内部はさらに美しい。
能を好んだという高取氏の意向で、邸宅内には能舞台まで造られているのだそうです。

2階からは貴重な手すきガラスの建具越しに唐津湾を見渡すことも。
中にはガイドスタッフの方が常駐していて、解説を聞くこともできます。

あの赤くて大きな魚は何?「唐津神社」と「曳山展示場」

 

あの赤くて大きな魚は何?「唐津神社」と「曳山展示場」

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唐津といえば何といっても「唐津くんち」。
毎年11月の初旬に行われる豊穣の秋祭、唐津神社の秋季例大祭です。
色鮮やかで巨大な曳山(祭りの時に引いたり担いだりする出し物の総称・山車)が街中を練り歩き、期間中に唐津を訪れる人は50万人にも及ぶといいます。
唐津くんちの曳山は全部で14ありますが、どれも愛嬌たっぷりでとてもユニーク。
そんな唐津曳山14台が展示されているのが唐津城の西側、高取邸からほど近い場所にある「曳山展示場」です。

唐津神社は1000年以上の歴史を持つ唐津の鎮守。
寺沢広高が唐津城を築いて唐津に入る際、この唐津神社を城内に移して再建したのだとか。
寺沢広高は城造り・町造りの達人。
古くから人々の信仰を集める神社を城内に移したことが、唐津の人々の結束強化につながったのです。
この唐津神社も高取邸から一本路地を入ったところにあります。

展示場の中には、高さ6mにもなる曳山を、ガラス越しではありますが間近に見ることが可能。
曳山は町を練り歩く姿がカッコイイので機会があれば是非、おくんちを生で見ていただきたいところですが、展示場だとすぐ近くで曳山を独り占めしてみることができるので、これはこれでよいかもしれません。

どの曳山も見ごたえ抜群ですが、一番人気はやはり五番曳山の”鯛”でしょう。
大きくくりっとした目玉とにんまりした口がとってもチャーミング。
展示場に併設のお土産コーナーでは曳山関連のグッズも揃っていて、見てまわるだけでも楽しいです。

「佐賀のモン・サン=ミシェル」と密かに呼びたい唐津城

 

海に突き出した小高い山の上に建つ唐津城。
見る角度によっては、島のようにも、海の上に浮いているようにも見えて幻想的。
「佐賀のモン・サン=ミシェル」なんて言ったら、だいぶ言い過ぎかもしれませんが、でも、思わずそんなこと考えてしまうほど、唐津城は美しいのです。
2017年には天守閣がリニューアルオープン。
2019年には石垣もきれいになって、ますます磨きがかかる唐津城に是非お出かけください!
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