1001体の千手観音像がある三十三間堂の基礎知識。その歴史から外せない見所

京都駅からほど近い距離にある三十三間堂。江戸時代に舞台になった通し矢や、1001体もある千手観音像でその名は知れ、京都の観光名所になっている一つです。そんな三十三間堂を京都旅行常連の筆者が、歴史やおすすめスポット含めて紹介します。京都駅からはバスで約10分、京阪七条駅から徒歩約7分とアクセスがよく、駐車場は無料で50台のスペースがありますので、この機会に足をのばしてみませんか?【京都常連が徹底ガイドのおすすめ記事】

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1.三十三間堂ってどんな寺院?歴史を見てみよう

1.三十三間堂ってどんな寺院?歴史を見てみよう

三十三間堂でしられているこの寺院は、正式名称は蓮華王院本堂と言います。
三十三間というのは、「三十三間四面」に由来し、お堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴があります。
ちなみに外部から見ると柱間が35になります。もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があり、その一画に造営されました。
1249年火災で焼失。
後嵯峨上皇によって本堂が再建され、当時は朱塗りの建物だったそうです。

桃山時代になると交通の要所だったことに目を付けた豊臣秀吉が大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営。
三十三間堂も境内に含まれ土塀を築きます。
現在も重要文化財に指定され太閤塀として残っています。
お堂の修復も秀頼にわたり行われます。

江戸時代には「通し矢」の舞台となります。
通し矢は縁の北端に的を置き、お堂西縁の南端から120メートルの距離を弓で射通し、矢数を競い合ったもので、矢数を決めて的中率を競うものもありました。
現在は「三十三間堂大的全国大会」が行われています。

2.三十三間堂の観音様は何体あるの?

2.三十三間堂の観音様は何体あるの?

三十三間堂の正式名称、蓮華王院の蓮華王は千手観音の別称。
三十三間堂には千手観音像がたくさんあり、現在の数は1001体、すべてご本尊です。
国宝の千手観音像、重要文化財の千体千手観音立像。
なぜ1000体もあるかというと、千手観音には40本の手があり、1本に25の救いが働いていると言われています。
つまり40×25で1000の救いがあるんですね。
後白河法皇は千の手によって無数の救いを願い、千体作ったと伝えられています。
1000体の中で124体は124体は創建時代の平安期の尊像、その他は鎌倉期に造られその約500体には作者名が残されているそうです。
運慶、快慶などの慶派をはじめ、国家的規模で参加されています。千手観音像を眺めていると、「会いたい人の顔をした千手観音像」に出会えるそうですよ。

3.三十三間堂の見どころは?

3.三十三間堂の見どころは?

1001体の千手観音像、三十三間もある本堂以外にも、三十三間堂には見どころは随所あります。
その一部を紹介しますので、見逃さず散策してくださいね。

3-1.豊臣家によって作られた、「南大門」

3-1.豊臣家によって作られた、「南大門」

重要文化財に指定されている南大門。
当時は豊臣秀吉によって造られ、秀頼によって再建されたと言われています。
最初は西大門もありましたが、1895年の京都国立博物館の建設の関係で、現在は東寺の南大門として移築され、こちらも重要文化財に指定されています。
南大門は当初は秀吉が建立したと言われていましたが、修復時に秀頼が建立したものだとわかり、現存するのは秀頼が再建したのでは、と言われています。

3-2.建仁寺の風神雷神図屏風のモデル、「風神・雷神と二十八部衆」

3-2.建仁寺の風神雷神図屏風のモデル、「風神・雷神と二十八部衆」

国宝に指定されている風神・雷神と二十八部衆。
風神・雷神は堂内の左右に置かれ、二十八部衆は観音立像の前方と中尊の四方に置かれています。
この風神・雷神は鎌倉時代につくられた日本最古のものとされ、建仁寺の風神雷神図屏風のモデルになっているそうですよ。
二十八部衆は、千手観音の眷属で、千手観音を信仰する者を守護するとされています。

3-3.三十三間堂の不思議

三十三間堂にも不思議がいっぱいあります。
その数は三十三間堂の周辺を含めたらなんと11個。
その中でも三十三間堂には5つありますので、簡単に紹介します。
興味がある方はチェックしてみてくださいね。

(1)頭痛が治る?、「棟木の柳(むなぎのやなぎ)」

頭痛に悩まされていた後白河法皇はが熊野参拝をした際、前世が蓮華坊という修行僧で、蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでおり、その髑髏を貫いて柳の木が生えていて風が吹くと柳の木が揺れて髑髏に触れ上皇の頭が痛むのだというお告げがありました。
その後川を調べたところ髑髏が見つかり、髑髏を千手観音像に納め、柳を棟木に使ったところ頭痛が治ったと言われています。
浄瑠璃の話としても残っていますが、実際には棟木には使われていないとか。現在は「楊枝のお加持」という行事が1月に行われています。
ちなみに三十三間堂はこのお話の由来から頭痛山平癒寺とも呼ばれているそうですよ。

(2)夜泣き封じのご利益、「夜泣泉(よなきせん)」

(2)夜泣き封じのご利益、「夜泣泉(よなきせん)」

1165年、僧によって発見された夜泣泉。
水の湧き出る音がすすり泣きの似ていることからその名がついたそうです。
子どもの夜泣き封じに良いと言われ、お地蔵様によだれかけを奉納し、1週間後持って帰って子どもの枕の下に敷くと夜泣きが治るそうですよ。
ちなみにこの夜泣泉のお水はいくら飲んでもお腹が痛むことがないそうです。

(3)南無阿弥陀仏が刻まれた、「法然塔(名号石)」

夜泣泉の近くにあります。
1204年に土御門天皇が後白河法皇の十三回忌を行った際、法然上人が「六時礼讃」の法要を勤め、「南無阿弥陀仏」書写して人々に分け与えました。
この6文字の各号が石に刻まれ名号石とも呼ばれています。

(4)江戸時代の舞台、「通し矢(とおしや)」

(4)江戸時代の舞台、「通し矢(とおしや)」

三十三間堂の歴史についても触れた通し矢ですが、通し矢の始まりは定かではなく室町時代、桃山時代にはすでに行われていたと言われています。
通し矢の名前の由来は、三十三間堂の軒下を通すことに由来しているそうですよ。
強弓を強く射なければ軒下を射通すことができなかったので、弓術家の名誉となりました。

(5)豊臣家が建立、「太閤塀と南大門」

(5)豊臣家が建立、「太閤塀と南大門」

重要文化財に指定されている太閤塀と南大門。
太閤塀は豊臣秀吉が大仏殿を建立する際に造られ、長さ92メートル、高さ5.3メートルになります。
かつては西の方にもこの太閤塀があったそうですよ。
太閤塀と南大門は方広寺の遺構とされています。

4.御朱印はどこでいただけるの?

4.御朱印はどこでいただけるの?

三十三間堂の御朱印は、本堂の中でいただくことができます。いただける時間は拝観時間と同じ時間帯で、

4月1日~11月15日は、8時~17時。

11月16日~3月31日は、9時~16時。

いずれも受付終了は30分前になっていますので、ご注意ください。

三十三間堂にはオリジナルの御朱印帳もあり、「納証帖」というものになります。
春と秋には限定の納証帖も販売されます。
納証帖には千手観音の御影が描かれてますよ。

なお、最近人気のある御朱印集めですが、スタンプラリーとは違い納経と同じ意味合いを持ち大変ありがたいものです。
軽々しく転売をしたり、お土産感覚で複数お願いしたりないようにしましょう。

不思議な世界が広がる、三十三間堂へ

不思議な世界が広がる、三十三間堂へ

1001体もの千手観音像、通し矢など他では見ることができない世界が三十三間堂には広がります。
かつての通し矢のや矢数帳も残っておりますので、通し矢に興味がある方も楽しめますよ。
なお帰りはバスは大変混みあい、夕方になると乗れないことが多くあります。
あまり混雑しない午前中や午後の早めに時間の参拝や、帰りはタクシーで移動すると便利ですよ。