砂漠の中の街「ラスベガス」が世界一の歓楽都市になった理由

「不夜城」と呼ばれるにふさわしい、眠らない街・ラスベガス。カジノあり、エンターテイメントあり、世界中から集まった観光客は誰しも、ネオン輝く街中で笑いさざめき、夢のひとときに酔いしれます。もちろんもともとカジノで有名な都市でしたが、2000年から放送されたアメリカのテレビドラマ『CSI:科学捜査班』で街の様子を詳しく知った、という人も多いでしょう。映画やドラマの舞台にもなる華やかな街ですが、しかし中心街から少し離れると周囲はなんと広大な砂漠。どうしてこんなところに巨大歓楽街が誕生したのでしょう?ラスベガスの歴史と魅力、たっぷりお伝えしてまいります!

ラスベガスの歴史(1)始まりは小さなカジノタウン

ラスベガスって何州にあるの?人口は?

ラスベガスって何州にあるの?人口は?

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まずは、現在のラスベガスについて、どんな街なのか、おさらいしておきたいと思います。

ラスベガス(Las Vegas)はアメリカ合衆国の西部にあるネバダ州の南部にある都市。
ネバダの州都はカーソンシティですが、州最大の都市と言えばやはりラスベガスということになるようです。

人口はおよそ58万人(2010年調べ)。
カーソンシティはおよそ5万5000人なので、その差は歴然です。
しかしネバダ州は山脈と砂漠の州。
山に囲まれたネバダ砂漠の盆地に固まるようにラスベガスの市街地が集中しています。
砂漠の中ということで常に空気が乾燥しているので、夏は暑いですがそれほど不快感はなく、逆に冬の冷え込みは大変厳しいものに。
決して暮らしやすい土地ではないと思われますが、広大な砂漠の中であるにもかかわらず、ラスベガスの街中には高級ホテルが建ち並び、巨大な噴水が大量の水を噴き上げています。

街の主要産業はやはりカジノ。
市内の主だったホテルにカジノがあるのはもちろんのこと、空港ターミナルにも24時間営業のスロットマシンが設置されています。
長年、カジノの売り上げ世界一を誇っていましたが、その座は2006年にマカオに奪われてしまいました。
2013年の売上ランキングデータでは、マカオが4兆6,104億円で1位、2位のラスベガスが6,630億円、3位はシンガポールで6,222億円と、かなり水をあけられている状態に。
マカオが急成長を遂げていることと共に、ラスベガスの観光ビジネスが、カジノ中心型から、ショーやテーマパーク型ホテルなどを含めた総合エンターテイメント型へと移行しつつあるため、との見方もあるようです。

街の歴史は100年そこそこ?砂漠のオアシスからカジノへの転換

街の歴史は100年そこそこ?砂漠のオアシスからカジノへの転換

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1800年代半ば頃、カリフォルニア州で金が発見され、アメリカはゴールドラッシュに沸いていました。
一攫千金、金脈を求めてカリフォルニアを目指す者は後を絶たず、そんなカリフォルニアへ向かう中継地点として着目されたのが、砂漠の中のわずかな窪地でした。
砂漠の中の窪地はオアシスのような役割を果たし、やがてこの窪地に定住する者が現れます。
これがラスベガスの前身。
とはいっても、初めはそれほど大きな集落ではなかったそうです。

1905年、ユニオン・パシフィック鉄道の駅が開通。
砂漠の中の貴重な水源であったラスベガスに駅が造られ、蒸気機関車が行き来するようになります。
しかし、カリフォルニアのゴールドラッシュはカリフォルニア金鉱の金はまもなく取り尽くされ、金脈ブームは過ぎようとしていました。

さらにそこへ、1929年に始まった世界恐慌の波が。
株が大暴落し、アメリカ経済は大きく傾きます。
カリフォルニアは金鉱から農業への転換を図っていましたが、ネバダではこれといった産業がありません。
州の財源確保のため、1931年、ネバダは賭博の合法化に踏み切ります。
時を同じくして1931年、世界恐慌の経済対策の一環「フーバーダム」の建設が始まり、ラスベガスに多くの労働者たちが集まるようになりました。

ラスベガスの東南、アリゾナ州との州境付近に建設が開始されたフーバーダム。
黒部ダムの10倍とも言われる巨大なダムは1936年に完成し、砂漠の真ん中にありながら、ラスベガスは豊富な水と電力を得ることができるようになったのです。

ラスベガスを変えた一人の男

ラスベガスを変えた一人の男

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しかし、1940代前半頃はまだ、それほど大きな街ではなかったのだそうです。
そんなラスベガスに一人の男が現れます。
ベンジャミン・シーゲル(1905年~1947年)、通称「バグジー(虫けら)」です。

ニューヨークのマフィアだったシーゲルは1930年代後半、西海岸での組織拡大を目論みカリフォルニア州に拠点を移します。
当時はまだ、小さなカジノが集まる街に過ぎなかったラスベガス。
シーゲルの当初の拠点はハリウッドでしたが、徐々にラスベガスのカジノやホテルの経営にも手を伸ばすようになったのだそうで、カジノとマフィアが結びついて、ラスベガスは大きく変化していきます。
そして、建設途中だったホテルを買収し、600万ドルとも言われる巨額の費用を投じて超豪華なホテルを建設。
カジノやプール、ゴルフ場などを揃えた一大リゾートホテルが1946年12月に誕生します。
名前は「フラミンゴ」。
シーゲルの愛人ヴァージニア・ヒルの愛称なのだそうです。

しかし、大金を投じたにも関わらず、オープン当初のフラミンゴの客足はまばらで、わずか2週間で臨時休業に。
600万ドルも出資したのに成果が出せず、さらにシーゲルの派手な生活ぶりや浪費の様子も相まって、シーゲルはその責任をマフィアから糾弾されるようになります。
ホテルオープンから半年後、シーゲルは愛人の自宅でくつろいでいるところを襲われ、9発の弾丸を浴びて暗殺されてしまうのです。

シーゲル亡き後、フラミンゴの経営は別のマフィアに受け継がれていきます。
しかも、そんなフラミンゴホテルを一目見ようとラスベガスに人が集まり始めたのだとか。
マフィアは周辺に次々とホテルを建設し、ラスベガスは華やかに賑わう街へと変貌を遂げていきます。

ラスベガスの歴史(2)カジノ街から一大リゾート地へ

大富豪・ハワード・ヒューズとラスベガス

大富豪・ハワード・ヒューズとラスベガス

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こうしてラスベガスは、巨大カジノタウンへと発展していきました。
きっとシーゲルも、こんな光景を夢見ていたのでしょう。
彼自身は成功には至りませんでしたが、シーゲルがド派手なホテルを造ろうとしたことが、ラスベガスに人を呼び、莫大なマフィアの資金を生むという結果に繋がった、と言えるのかもしれません。

しかし、1960年代の後半頃になると、徐々に賭博への取り締まりが厳しくなってきます。
ラスベガスのホテル経営から手を引くマフィアが出てくると、入れ替わるように次々と、一般の不動産業者や企業が参入。
中でも抜きんでていたのが、航空業や映画産業を中心としたビジネスで財を成した大富豪、ハワード・ヒューズでした。

ラスベガスの高級ホテルのスイートルームに長期滞在していたヒューズが、ホテル側から「部屋を移ってほしい」と言われ、そのホテルごと買い取った、という武勇伝の持ち主。
2004年公開の映画『アビエイター』でレオナルド・ディカプリオがその生涯を演じ、大変話題になった人物です。

数々の破天荒なエピソードを持つ大富豪は、ラスベガスのホテルやカジノなどをバンバン買収。
知り合いの政治家たちに働きかけ、1969年のカジノライセンス法の改正にも貢献。
それまでマフィアのものだったラスベガスのカジノに、一般の企業が参入できるよう道筋をつけました。
ヒューズにそういった意識があったかどうかわかりませんが、結果的に、マフィアのイメージから脱却し、クリーンなラスベガスの誕生を促すことに繋がっていったのです。

スフィンクス?ピラミッド?テーマパーク型ホテルの台頭

スフィンクス?ピラミッド?テーマパーク型ホテルの台頭

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1980年代に入ると、ラスベガスの街に、奇抜な演出で集客を狙う”テーマパーク型”のホテルが次々にオープンします。

1966年にオープンした「シーザーズパレス」は古代ローマ帝国調の荘厳な佇まいが話題を呼び、その翌年オープンの「サーカス・サーカス」は大掛かりなサーカスを売り物にした巨大ホテル。
これらのホテルの躍進は、カジノだけでなく、家族連れで楽しめる一大リゾート地としてのイメージを築くに十分なものでした。

そして1989年、満を持してオープンしたのがミラージュ・ホテル。
”ラスベガスを変えた男”と称されるスティーヴ・ウィンによって建てられた、火山のアトラクションが売り物の巨大ホテルです。
スティーブ・ウィンはさらに、1993年に海賊をテーマにしたホテル「トレジャー・アイランド」をオープン。
本物の帆船を使ったダイナミックなショーが大人気となります。
さらにエジプトをテーマにしたピラミッド型のホテル「ルクソール」や、巨大な滝や湖、ゴルフコースを持つホテルなどを次々と建設。
その費用は27億ドルとも。
ラスベガスは単なるカジノだけではない、エンターテイメントシティへと生まれ変わっていったのです。

カジノだけじゃない!エンターテイメントシティ・ラスベガス

カジノだけじゃない!エンターテイメントシティ・ラスベガス

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「全ての人々を楽しませることが、カジノの収益にもつながる」

スティーブ・ウィンはそう考えていたと言われています。
それまでの「カジノありき」の考え方を逆転させ、楽しいホテルをたくさん建てて街全体を盛り上げれば、カジノにもお金が落ちるはず。
この目論見は大当たりし、ウィンは大成功をおさめます。

その後も、たくさんのテーマパーク型ホテルが建設され、ラスベガスは人々の笑い声の絶えない、世界一の歓楽街へと成長していきました。
1990年代以降には、観光客向けのホテルだけでなく、ホールやコンベンションセンターなど大型施設も数多く建てられ、ビジネスでラスベガスを訪れる人の数も増えてきています。
その勢いに押され、本来主役であるところのカジノのよりホテル街のほうが賑わう、という現象も。
これを受けてカジノ側も、1995年、集客を狙って「フレモント・ストリート・エクスペリエンス」をオープン。
210万個の電球で彩られ、音楽と映像で派手な演出をかけた、アトラクションを兼ねたアーケードで、カジノ街を盛り上げました。
現在でも、こうした様々なエンターテイメントが、ラスベガスの魅力の根幹となっています。

経済政策の一環でダムができ、豊富な水と電力を得た砂漠の中の小さな街から、破天荒な男たちが武勇を繰り広げる場となり、やがて老若男女誰でも楽しめるエンターテイメントシティへ。
眠らない街・ラスベガスは多くの人々の笑い声と共にこれからの輝き続けるのでしょう。

歴史が分かると10倍楽しい!是非訪れたいラスベガスのオススメスポット

街の全貌を俯瞰で見てみよう「ストラトスフィア・タワー」

街の全貌を俯瞰で見てみよう「ストラトスフィア・タワー」

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高さ350m、街の至るところからはっきり見える、ラスベガスのランドマーク、ストラトスフィア・タワー。
名前の由来は大気圏の区分のひとつである「成層圏(stratosphere)」で、その高さにちなんで付けられました。

ラスベガスの中心街からは少し離れたところにあるせいか、1996年の開業以来、何度も経営者が変わっているのだとか。
基本的にはカジノホテルなのですが、建物の高さや展望台からの眺望のほうが話題になりやすい傾向にあるかもしれません。

地上260mほどの場所には、展望台の他に、屋外に絶叫系のアトラクションが。
「世界一怖い絶叫マシン」とも呼ばれ観光客にも人気のスポットとなっています。

ここから見る景色はラスベガスの歴史そのもの。
はるか彼方には砂漠が広がり、平らな土地に道路が張り巡らされ、巨大な建造物が空間をつなぐように建てられています。
フラミンゴやミラージュなど、歴史あるホテルの場所をあらかじめチェックしてから眺めると街の変遷がよくわかり、まるで街づくりのゲームをしているような気分に。
ラスベガスがどういった土地なのか観察できるので昼間の展望台もオススメですが、醍醐味はやはり夜景でしょう。
宝石をちりばめたような光り輝く街の光景は唯一無二の美しさ。
ピラミッドあり、エッフェル塔あり、自由の女神あり、どこを見ても楽しいラスベガスを独り占めできる展望台からの眺め、是非ご堪能下さい。

ベガスの歴史がわかる意外なスポット「ネオン博物館」

ラスベガスと言えばネオン。
そう連想する人も多いのではないでしょうか。

ネオン(Neon)とは原子番号10の元素のこと。
無味無臭の気体で、電気を通すと光るという特色があります。
このネオンをガラス管に入れ、添加物を加えていろいろな色に光るよう作ったものがネオン管。
ネオン街はこのネオン管の光で彩られたものなのです。

しかし現在では、電気の灯りはLEDが主流になりつつあり、ラスベガスも例外ではありません。
ネオン管は外され、LEDによるサイン看板や、巨大モニターによる看板などに架け替えられつつある今日この頃。
たとえ光の正体がLEDであったとしても「ネオン」と言ったほうがピンとくるような気もしますが、とにかく、本来のネオンは姿を消しつつあるのです。

そんな中、ラスベガスで使われなくなったネオン管を展示しようとオープンしたのが「ネオン博物館」。
別名”ネオンの墓場”とも呼ばれており、現役を退いた古いネオンがそこかしこに100点以上、放置…いや展示されています。
たかがネオンと思うなかれ、これがなかなか面白いんです。

有名なホテルやショップのネオンもあり、文字を読んでいるだけで若干の英語の勉強にも。
驚くべきは各ネオンの大きさで、しかもおそらくひとつひとつ手作り。
電球の交換が必要になったり、いろいろ手間もかかったことと思います。

けっこう痛んでいるものも多く、電球などに触れると危ないということもあるのか、自由見学ではなく申込制のツアー方式。
ナイトツアーもオススメです。

これぞアメリカ!ベガスを支える巨大ダム「フーバーダム」

これぞアメリカ!ベガスを支える巨大ダム「フーバーダム」

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ラスベガスの歴史を語る上で、なくてはならない存在なのがこのダム。
ラスベガスの中心街から車で1時間ほど行くと、荒涼とした砂漠の谷に巨大なダムが現れます。
1931年着工・1936年完成。
80年前にこんな巨大なものを作ったのかと思うと、もう言葉も出ません。

建設当初はボールダーダムという名前になる予定だったそうですが、着工当時の大統領ハーバート・フーヴァーにちなんでこう名づけられました。

型式は重力式アーチダム。
堤高は221m、堤頂長は379m、堤体積250万立方m。
ダム湖はミード湖と呼ばれており、人造湖としてはアメリカ最大。
その貯水量は約400億立方m!日本一の貯水量を誇る岐阜の徳山ダムが6億6000万立方mなので、その大きさ、まさにアメリカンサイズ。
桁違いです。

下流側のバイパスとしてコロラド川に架かるアーチ橋はコロラドリバー橋で、コンクリートアーチ橋としては北米最長。
この橋は日本企業が施工したことでも話題になりました。
橋の上からだとフーバーダムを見下ろすことができるため、わざわざここを車で通る人も多いです。

進化し続けるラスベガスは「眠らない街」!

100年ちょっとの間に巨大都市に成長したラスベガス。
ゴールドラッシュ、世界恐慌、経済政策、ダム建設…紆余曲折あって、誰でも気軽に足を踏み入れられる楽しい街へと大きく変貌を遂げました。
奇妙な思考を凝らした面白いホテルがたくさん建っていて、どこに宿泊するか迷ってしまいそう。
カジノだけでなく、それほどお金を使わなくても楽しめるスポットがたくさんあるのも魅力的です。
ラスベガスで、日常を忘れて夢のようなひとときを過ごしてみませんか?
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