ビッグ・ベンって何だっけ?知っておきたいイギリスの歴史的建造物6選

EU離脱問題で揺れたかと思えば、ヘンリー王子ご婚約で一気にお祝いムードに湧き立つ、昨今、何かと話題のイギリス。ニュース映像に石造りの荘厳な建物や青々とした芝生に彩られた古城が映ることも多く、ついつい見入ってしまいます。長い歴史を持つ国ゆえに、絵になる建物も多いイギリスですが、写真や映像でよく見るのに、何のために建てられたのかよく知らないものもちらほら。歴史がわかれば名所観光もさらに楽しくなるはず!そこで今回は、イギリスの有名な建造物の歴史について調べてみたいと思います。

イギリスの歴史的建造物(1)あの有名建造物について知りたい!

世界一有名な時計台の正体は?「ビッグ・ベン」

世界一有名な時計台の正体は?「ビッグ・ベン」

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ビッグ・ベン (Big Ben) とは、ロンドン中心部、テムズ川河畔にあるウェストミンスター宮殿の時計台の鐘(大時鐘)の愛称。
時計台そのものを指してそう呼ぶこともあるそうです。
ウェストミンスター宮殿とは11世紀頃に建てられたと言われている宮殿で、1529年に大火災が起きるまでは王の宮殿として使われていました。
火事の翌年、ヘンリ8世が別の宮殿に移ってから現在に至るまで、英国議会が議事堂として使用しています。

大火災は1834年にも起きており、建物の大半が焼失。
この時計塔はその再建の際に建設されました。
完成したのは1859年。
その当時は”世界最大の時計”と言われていたそうです。
もちろん、現在も現役で、時を刻み鐘を鳴らし続けています。

時計台の高さはおよそ96m。
時計面は直径7m。
鐘の重さは13.5t、高さ2.2m、直径2.9mと超ビッグサイズ。
振子の重さだけでも300㎏はあるそうです。

なぜビッグ・ベンと呼ばれるようになったのかは、工事を担当した国会議員ベンジャミン・ホール卿の功績を称えたという説や、建設当時のヘビー級ボクサーだったベン・カウントからきているという説など諸説あります。
また、2012年、エリザベス2世の在位60周年を記念して時計塔の名称が「クロック・タワー」を「エリザベス・タワー」に変更されたので、鐘も含めてそう呼ばれる機会が増えてくるかもしれません。

ウェストミンスター宮殿は1987年、ウェストミンスター寺院(同じ敷地内にある聖マーガレット教会を含む)と共に世界遺産に登録されています。

ロイヤルウェディングも行われる超豪華建築「ウェストミンスター寺院」

ロイヤルウェディングも行われる超豪華建築「ウェストミンスター寺院」

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ロンドンを流れるテムズ川沿いに、ウェストミンスターという地区があります。

道を挟んですぐお隣に「ウェストミンスター宮殿(現国会議事堂)」があり、さらに少し離れたところに「ウェストミンスター大聖堂(英国カトリック教会)」があるので、混同して行き先を間違えてしまう人も。
「ウェストミンスター寺院」はイングランド国教会の教会で、1000年以上もの間、英国国王の戴冠式など王室行事が執り行われてきた由緒伝統ある建物。
ウェストミンスター宮殿と共に1987年、世界遺産に登録されています。
”宮殿”にはビッグ・ベンがあり、”大聖堂”はビザンチン様式の赤と白の縞模様の独特の外観。
そしてウェストミンスター寺院は白い石造りの外観と二本の塔が特徴の巨大建造物となっています。

建設時期は10世紀頃。
その後、何度か改装されていて様相は変わっているようですが、現在残る建物は中世の大規模なゴシック建築を取り入れた荘厳な造りになっています。
建物内の祭壇や天井、花のように艶やかなステンドグラスなど、どこを見ても目を見張るほどの美しさです。

近年では1997年、ダイアナ妃の葬儀が行われた場所としても有名に。
また、2011年4月にウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式が行われたことでも大変話題になりました。

中には歴代の王や女王はもちろんのこと、ニュートンやダーウィンなど、著名人も数多く埋葬されています。

<知っておきたいイギリス豆知識>イギリスとイングランドはどう違う?

<知っておきたいイギリス豆知識>イギリスとイングランドはどう違う?

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ところで、サッカーの試合などを見ていると「イングランド」とか「スコットランド」といった国名が登場します。
オリンピックではGBR(グレートブリテン)、経済のニュースでUKと表記されていることも。
いろいろな呼び方があるイギリスですが、どんな違いがあるのでしょうか。

イギリスの正式国名は『United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国)』といいます。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4カ国からなる連合国なのです。

イギリスは島国、と言いますが、あのギザギザした縦長の形をした島のことを「グレートブリテン島」と呼び、その西側(左側)にある丸っこい島を「アイルランド島」といい、この2つの島とその周囲の島々をまとめて「ブリテン諸島」と呼びます。

イギリスとは、これらの島々のうち、グレートブリテン島と、アイルランド島の一部(北東部)、そしてその周辺の島々のこと。
アイルランド島には他に、アイルランド共和国という国があります。

グレートブリテン島のうち、面積の3分の2を占めるのがイングランドです。
人口も最も多く、8割以上がイングランド人。
首都はロンドン。
南東部分、ヨーロッパ大陸に最も近い部分は全部イングランドの領地とうことになります。

スコットランドはグレートブリテン島の北の方の先端部分に位置し、首都のエディンバラ。
ウェールズは島の南西側のアイルランド島に近い部分で、首都はカーディフ。
海を渡って北アイルランドの首都はベルファストという都市。
4つとも、君主はエリザベス女王ですが、首相はそれぞれの国に一人ずつ存在していて、政府機関は別々です。

つまり、イギリスとは4つの国が集まった連合国のことを指し、正式名称は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」であり、イングランドは4つの国のうちのひとつである、ということになります。

イギリスの歴史的建造物(2)有名なあの橋を訪ねて

船が通るたびに上がったり下がったり「タワーブリッジ」

船が通るたびに上がったり下がったり「タワーブリッジ」

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タワーブリッジはテムズ川に架かる跳開橋(可動橋)。
川を下ってくる大きな船を通すために、橋の真ん中からハの字に跳ね上がって開きます。
日本にも隅田川にかかる勝鬨橋など、同じ仕組みの橋が見られましたが、今ではこうした仕組みの橋は非常に珍しくなりました。

端の仕組みもさることながら、特に目を引くのが両岸にある2基の尖塔。
まるで中世のお城のようなゴシック様式の塔は高さ65mにもなり、高さ40mほどの位置に双方をつなぐガラス張りの展望通路があってロンドンの観光名所に。
また、塔の内部は博物館になっており、タワーブリッジの仕組みや歴史などについての展示を見ることができます。

19世紀後半、ロンドンの産業発展に伴い、テムズ川に橋を求める声が高まっていました。
しかし下流域は既に港として栄えていたため、固定橋を架けてしまうと大型船の行き来ができなくなってしまいます。
そこで考案されたのが跳ね橋だったのです。

1886年に着工、1894年に完成したタワーブリッジは、橋の長さ244mの巨大橋。
完成当初の跳ね橋の動力は蒸気機関と水圧で、シーソーの原理を利用して上にあげるというもので、世界的に見ても当時はまだ珍しい技術だったのだそうです。
現在は電力で橋を動かしています。

あの童謡に登場する橋はこちら「ロンドンブリッジ」

あの童謡に登場する橋はこちら「ロンドンブリッジ」

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『ロンドン橋落ちた(London Bridge Is Falling Down)』という歌をご存知でしょうか。
マザー・グースの歌の中のひとつで、イギリスに古くからある童謡です。
この歌詞に登場する”ロンドン橋”は架空の橋ではなく、実際にテムズ川に架かっている橋のこと。
先にご紹介したタワーブリッジのことだと思っている人も多いのですが、タワーブリッジより少し上流にある橋が歌のモデルになっています。

見た目はごく普通の近代的な橋で、特に見どころがあるわけではありません。
この橋がどうこう、ということではなく、橋が架かっているこの位置に、様々な”いわく”があるのです。

この場所に橋が架けられたのは2000年近く昔、46年ことだそうで、橋は木製。
1013年にデーン人(北欧・デンマーク地方のノルマン民族)に対抗するため焼き落とされ、橋は無くなります。
半世紀以上後に新しい橋が架けられましたが、すぐ嵐で流され、1136年には火災で焼失。
さらに14世紀~15世紀の間には、内乱や紛争で何度か損傷しています。
一時期は橋の上に住居や礼拝堂などを設けたり、通行税をとったりしていたこともありました。

19世紀初頭には、なんと大理石で造られたことも。
交通量の激増に加え、渋滞を緩和するため橋の幅を広くしましたが完全に重量オーバー。
童謡の歌詞さながら、橋がジリジリ沈むという結果になってしまったのです。

大理石の橋は結局1968年に解体され、なんと売却に成功。
買い手はアメリカ人で、現在ではアリゾナ州のハバス湖の湖岸と島を結ぶ橋となっています。
今のところ、沈んではいないようです。

さて大理石の橋を解体した後の1973年、現在のロンドンブリッジが完成。
何度も何度も焼けたり壊れたりし続け、童謡にまでなったロンドンブリッジ。
橋そのものはさして珍しくもありませんが、話のタネに訪れる観光客も多いとか。
タワーブリッジの雄姿がよく見える、というオマケ付きです。

<知っておきたいイギリス豆知識>「イギリス」って呼ぶのは日本だけ?

<知っておきたいイギリス豆知識>「イギリス」って呼ぶのは日本だけ?

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ところで”イギリス”って何なんでしょう?

実は”イギリス”という単語を使っているのは日本だけ。
日本独特の呼び方なんです。

400年以上前のこと。
日本にまずヨーロッパの様子を伝えたのがオランダ人やポルトガル人だったため、ポルトガル語の「Inglez(イングレス)」やオランダ語の「Engelsch(エンゲルシュ)」が語源となっているようです。
特にポルトガル人は、日本が鎖国に入る前からキリスト教布教などの目的で頻繁に行き来しており、”ビスケット”や”かるた”など、ポルトガル語がもとになっている単語は日本に数多く残されています。
そんなポルトガル人が、ヨーロッパの他の国のことを当時の日本人に伝える機会があり、耳で聞いた国名を他の人に口伝えに伝えたり、仮名で書き留めたりしているうちに「イギリス」という言葉が定着していったのかもしれません。

その後、日本は鎖国に入り、ポルトガル人が伝えた単語がそのままオランダ人とのやり取りの中で使われ続け、現在まで残っている、と考えられます。
遠い異国の地の政治的な様子など詳しくわからないまま、ざっくりと「イギリス」という呼び方が広く使われていたのでしょう。

江戸末期頃には「英吉利(エイギリス)」や「大不列顛(大ブリテン)」と漢字を当てて表記することもあったようです。
英吉利から「英国」という表記が誕生しました。

「イギリス」と呼ぶのは日本人だけで、正式な呼び方ではないのかもしれませんが、長い長い歴史の中で使い続けられてきた呼称なのだということも、心に留めておきたいと思います。

イギリスの歴史的建造物(3)王様気分で古城を満喫!

女王が休日を過ごす巨大城「ウィンザー城」

女王が休日を過ごす巨大城「ウィンザー城」

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ロンドンの中心部から車で小一時間ほど離れると景色は一変。
緑豊かでのどかな風景が広がります。

そんな景色の中にどんと構えるウィンザー城は、英国王室の所有で、エリザベス女王の公邸のひとつ。
現在も使われている城としては最も古く、最も大きいと言われています。
敷地面積は45,000平方mと広大で、建物も大きく、とにかく広いです。
女王が不在のときは中を見学することができ、観光スポットとしても大変人気があります。

見た感じは、お城というより砦といった造形。
それもそのはずで、もともとこの地には11世紀頃、木造の砦が築かれていました。
その後、900年にも渡って増築・改修が行われたため、建物には様々な建築様式が見られ、見どころのひとつとなっています。

フランスのベルサイユ宮殿やドイツのノイシュヴァンシュタイン城のような華やかさ・きらびやかさはなく、ゴツゴツとして地味な印象。
しかし、もともと城壁であったことを考えれば納得がいきます。
ロールプレイングゲームに出てきそうな強固な要塞で、女王はどんな休日を過ごすのでしょうか。

ハリーポッター誕生の地に建つ古城「エディンバラ城」

ハリーポッター誕生の地に建つ古城「エディンバラ城」

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エディンバラとはスコットランドの首都であり、政治の中心地でもある都市。
中世の街並みを残す古都でもあり、旧市街地の町並みは世界遺産にも登録されています。
そんなエディンバラの小高い岩山の上に建つエディンバラ城は、古い歴史を持つ要塞であり、街のシンボルでもあるのです。

その歴史は古く、6世紀頃にケルト人が築いた砦が起源であると言われています。
強固な岩山はまさに天然の要塞。
エディンバラ城に攻め込んできた敵軍は断崖絶壁をよじ登らなければなりません。
難攻不落の城塞として数百年もの間イングランドとの争いの歴史を刻み、国王の居城としての役割も果たしてきました。

映画『ハリー・ポッター』シリーズでハリーたちが通う学校「ホグワーツ」のモデルになったと言われています。
作者のJ.K.ローリングはエディンバラで第1巻を書き上げたのだとか。
歴史や古城ファンだけでなくポッターマニアも集うというエディンバラ城。
城からの眺望も一見の価値あり、です。

<知っておきたいイギリス豆知識>どうして4つに分かれてるの?

<知っておきたいイギリス豆知識>どうして4つに分かれてるの?

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4つに分かれているのではなく、最初から別の国だった、と考えたほうがよさそうです。

ブリテン諸島は紀元前9000年くらいまではヨーロッパ大陸と陸続きだったと考えられており、石器時代から人が住んでいました。

正確な時期は不詳ですが、おそらく紀元前9世紀頃から紀元前5世紀頃にかけて、グレートブリテン島にケルト系民族が侵攻してきます。
馬や馬車を使い、ケルトとは中央アジアからヨーロッパを広く移動していった民族。
鉄器を持って先住民族を支配し、ブリテン島各地にケルト系の部族国家が成立したのです。

紀元前後頃にローマ帝国に征服されますがあまり定着せず、4~5世紀頃にはローマ帝国に変わってアングロ・サクソン系のゲルマン民族がブリテン島にやってきて、まず島の南部を制圧。
小国家がいくつか誕生します。
また、島の北部や西側などにはゲルマン民族の力がそれほど及ばず、ケルト人たちの国家が継続した地域もありました。
そしてそれぞれの地域ごとに独自の歴史を歩んでいったのです。

スコットランド王国、イングランド王国、ウェールズ公国、アイルランド王国の4国は、10世紀頃から1000年以上もの時の中で、まとまったり分離したり敵対したり征服したりしながら歴史を刻み、今日に至ります。
つまり、4つの国に分かれたのではなく、ひとつの場所(ブリテン諸島)に4つの大きな勢力がもともとあってもともと分立していた、ということなんです。

知れば知るほど深い!イギリスの歴史的建造物たち

4つの国から成る連合国・イギリス。
小さな規模のものも合わせれば、城の数は数千にもなるとか。
長い歴史の中で、それぞれの国が同盟や対立を繰り返してきたことが伺えます。
歴史がわかると観光名所巡りも一層楽しいものになるはず!今回は日本でもよく目にする有名どころをメインにご紹介したので、ロンドン周辺の建造物が中心となりましたが、興味深い建物、まだまだたくさんありそうです。
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