きっとまた行きたくなる!由布院温泉の成り立ちと歴史的スポット

大分県のほぼ中央部に位置する人気の温泉地、由布院温泉。古い歴史ある温泉なのかと思いきや、温泉地としての歴史は意外にもそれほど古くなく、人気の観光地として知られるようになったのは平成になってからと言われています。旅行雑誌などによる人気温泉地ランキングでも常に上位に入り、リピート率も高いという由布院温泉。どんな歴史があるの?「由布院」と「湯布院」の違いは?どうしてそんなに人気があるの?由布院温泉の観光スポットをご紹介しながら、その歴史と魅力に迫りたいと思います。

「由布院」と「湯布院」~名前の由来と温泉の歴史

意外と新しい?由布院温泉の歩み

意外と新しい?由布院温泉の歩み

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由布院温泉(ゆふいんおんせん)は湧出量・源泉数共に全国第2位。
標高1,584mの活火山・由布岳の麓に位置し、毎分38,600リットルという豊富な湯量を誇る温泉地です。
現在では、リピート率の高さでも常に上位に位置する人気の温泉地ですが、観光温泉地としての歴史はそれほど古くありません。

もともと由布院は、東側の別府湾一帯に点在する別府十湯(べっぷじっとう)のひとつに数えられていました。
しかし明治末期から大正にかけて行われた区画整理の一環で由布院温泉と塚原温泉が除かれ、別府湾に近い地域にある温泉が「別府八湯」と呼ばれるようになったのです。
外された2つの温泉地も別府の奥座敷として親しまれていましたが、別府のような歓楽街や大型ホテルが進出してくることはありませんでした。
40年ほど前まで、由布院温泉は小さな旅館が十数軒建つだけの、小さな温泉街でしたが、そのことが逆に由布院を人気の温泉街へと引き上げる原動力となったのです。

飲み屋街もネオンもなく、自然豊かで静かな温泉街。
それがファミリー層や女性客からの支持を集め、由布院は人気の温泉街へと成長していきました。

由布院の名前が人気観光地として認識されるようになったのは、昭和の終わりから平成に入ってから。
一時はダムやゴルフ場の建設計画が持ち上がったこともあったそうですが、地元の人々の尽力によって、温かくくつろげる古き良き景観は現在も守られ続けています。

「由布院」と「湯布院」どちらが正しい?

「由布院」と「湯布院」どちらが正しい?

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もともとの地名は「由布院町」だったそうですが、戦後陥った財政危機から、1955年(昭和30年)、湯平村と合併。
両方の地名を取り入れて「湯布院町」という地名が誕生しました。
その後、2005年(平成17年)に近隣の挾間町・庄内町と合併して由布市が誕生。
湯布院町という地名は消滅しました。
名前の経緯から考えると、もともとあった地名が由布院で、湯布院は合併によって誕生した地名、ということになります。
そして現在の由布院温泉の住所は”大分県由布市湯布院町”と大変ややこしいことに。
観光ガイドなどでも「由布院温泉」と記している場合もあれば、「湯布院温泉」と書かれることもあります。

旧湯平村を含む地域全体を表す場合は”湯布院”、温泉地や駅名など合併前からあった地域や施設には”由布院”と、湯布院町という地名が誕生した当初は使い分けをしていたそうです。
しかし、実際の地名が「湯布院町」であることや”湯”という文字が含まれることなどから、県外の観光客にもわかりやすいよう「湯布院温泉」と表記することも。
さらに平成に入って「由布市」が誕生したことで混乱はさらに深まり、現在に至っています。

こうした地名の変遷を熟知している地元の皆さんはというと、どちらがどう、と強くこだわっているわけではない様子。
「由布院」でも「湯布院」でも正解。
さらに、最近ではひらがなで”ゆふいん”と表記されるケースも出てきているとか。
地名の歴史はややこしいけど、難しく考えずにお湯を楽しんでもよさそうです。

「由布」ってどういう意味?由来は?

「由布」ってどういう意味?由来は?

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「ゆふいん」とは、何とも不思議な響きの地名です。
どんな由来があるんでしょうか。

由布院温泉に恵みをもたらす由布岳は綺麗な円錐形をした活火山で、別名「豊後富士(ぶんごふじ)」とも呼ばれている名峰。
古くから多くの人々の信仰を集めてきました。

奈良時代初期、現在の大分県周辺の風土をまとめ編纂された『豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)』では「柚冨峯(ゆふのみね)」と書かれています。
柚冨とは木綿(ゆう)のこと。
風土記によれば、山の周辺の里の木の皮を取って木綿(ゆう)を作っていたのだそうです。
『万葉集』の中にも由布岳を「木綿山」と詠んだ歌があるそうで、古くは木綿の郷、木綿岳などと表記されていたと考えられています。
律令時代に入って各地地名が整備されていく中で、より地名にふさわしい字が選ばれ、”柚冨”という文字があてられるように。
”由布”という字が用いられるようになったのはさらにその後、平安時代に入ってからなのだそうです。

後ろにくっついている”院”の意味はというと、おそらく正倉院などに代表されるような「官倉」が、この地にもあったことを示しているのではないかと考えられています。

由布院温泉の歴史と歩みに触れるスポット巡り

由布院温泉のメインストリート「湯の坪街道」

由布院温泉のメインストリート「湯の坪街道」

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JR由布院駅を出て少し正面の道を進むと、オシャレなスイーツショップやレストラン、工芸品を販売する土産物店や小さなギャラリーなどがずらりと建ち並んだ通りがあります。
人呼んで「湯の坪街道」。
由布院のメインストリートです。

別府や熱海のような華やかな歓楽街ではありませんが、長屋を思わせるような古びた街並みが風情を感じさせ、老若男女に愛される雰囲気を作り出しています。
この街並みこそ、由布院の人気の理由でもあるのです。

由布岳の麓にありながら、由布院温泉の周囲は平坦で開けた土地。
同じく風情ある光景が人気の黒川温泉や日田温泉といった山間の温泉場とも異なり、江戸時代の宿場町のような、そんな雰囲気があります。
メインとなる湯の坪街道はもちろんですが、一本外れた、並行して流れる大分川の川沿いの道もオススメ。
のどかな田園風景を眺めながらの散策が楽しめます。

食事を楽しむもよし、お土産選びにそぞろ歩くもよし。
通りはいつも多くの観光客で賑わい、活気があります。
食べ歩きや買い物をしながら通りをぶらぶら散策したその先には、由布院のシンボル、金鱗湖の湖畔が。
地元の人々が様々な大型開拓プロジェクトを退けながら守り続けた情緒あふれる風景が、由布院温泉のもうひとつのメインスポットへといざなってくれるのです。

由布院温泉のシンボル「金鱗湖」

由布院温泉のシンボル「金鱗湖」

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金鱗湖(きんりんこ)は由布院温泉を代表する観光スポット。
面積はおよそ0.8ha。
水深2mほど。
湖というより池と表現したほうがいいかもしれません。
湖底から温泉と清水が湧き出していると言われていて、水は常に清らかな流れを保ち、温度が比較的高めなため、冬場の朝方、気温が下がると湖面から霧が立ち上って幻想的な風景を作り出します。
丸い金鱗湖の湖面をお盆に見立てて「霧盆」とも呼ばれる光景を一目見ようと、早起きして湖のまわりを散策する人の姿も多いのです。

その昔、この湖は由布岳の麓にあることから、「岳下(岳本)の池」「岳ん下ん池」などと呼ばれていました。
1884年(明治17年)に大分の儒学者の毛利空桑(もうりくうそう)が、湖で泳ぐ魚の鱗が夕日で金色に輝くのを見て「金鱗湖」と名付け、そこからそう呼ばれるようになったと伝わっています。

湖の周囲はだいたい400mくらい。
あたりは緑に囲まれていて日中でもゆったりとした時が流れてくつろげます。
それほど広くありませんので、ぶらりと散歩がてら一周することが可能。
湖畔に建つ「マルク・シャガールゆふいん金鱗湖美術館」もオススメです。

憧れの老舗旅館「亀の井別荘」

由布院には、温泉人気を牽引する「御三家」と呼ばれる3軒の高級旅館があり、この地を訪れる人々の憧れとなっています。
「由布院 玉の湯」、「山荘無量塔(むらた)」、そして金鱗湖の湖畔に広大な敷地を持つ「亀の井別荘」。
金鱗湖まで来たら、是非、亀の井別荘にも足を運んでみてください。
宿泊でなくても、ショップやカフェを併設しているので、しばし贅沢な気分を味わうことができます。

亀の井別荘は1921年(大正10年)創業の、由布院を代表する老舗旅館。
別府にある「別府亀の井ホテル」の前身である亀の井旅館を開き、別府の観光開発に力を注いだ実業家・油屋熊八と中谷巳次郎が、賓客をもてなすために建てた別荘がもとになっています。

1万坪を超える、自然林を活かした緑あふれる広大な敷地の中に洋室6室と離れの和室15室のみという、何とも贅沢な造り。
宿泊しないと部屋は見ることができませんが、和の趣きある建物の中でワインやステーキをいただけるレストランや、テラス席があるカフェ、思わず手に取りたくなる手作り商品が並ぶショップなどがあるので、高級旅館の雰囲気を味わうことが可能。
慌ただしい日常から少しだけ離れて、ゆったりした時間を過ごすことができそうです。

由布院温泉の歴史が秘められた神社を巡る

古い伝説が残る神社「宇奈岐日女神社」

古い伝説が残る神社「宇奈岐日女神社」

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宇奈岐日女神社(うなぐ・うなぎひめじんじゃ)は別名「六所宮(ろくしょぐう)」「木綿神社(ゆふじんじゃ)」とも呼ばれる、由布院の中心街から徒歩20分ほど、山間に建つ静かな神社。
歴史はかなり古く、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父である景行天皇(けいこうてんのう)がこの地で祭りを営んだことが始まりと言われています。

神社の名前となっている「宇奈岐日女」とは由布岳の神であるウナグヒメのこと。
この神社には、由布院に関する古い伝説が伝わっています。

伝説によれば、その昔、由布院一帯の盆地は大きな湖だったのだそうです。
そこへ宇奈岐日女が従者の権現(仏や菩薩の人々を救うための仮の姿)に「この湖を干拓すれば肥沃な土地が現れて多くの民が豊かに暮らせるはず」と言って、湖の堤を裂いて水を外に出すよう命じます。
権現が堤を蹴ると湖の水は大きな川となって外に流れ出し、湖底がそのまま由布院盆地になりました。
地の民は社を建てて宇奈岐日女を祀り、それが今日の宇奈岐日女神社であると伝わっています。

小さなお社ですが、杉の巨木に囲まれた荘厳な雰囲気は一見の価値あり。
境内の脇には、1991年(平成3年)に台風の際に倒れた御神木(杉)の大きな切株は圧巻です。

由布院有数のパワースポット「大杵社」

由布院有数のパワースポット「大杵社」

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そんな宇奈岐日女神社にはいくつかの末社がありますが、そのうちのひとつ、大杵社(おおごしゃ)には国の天然記念物となっている「大杵社の大スギ」を始め、多くの杉の巨木に囲まれたパワースポットとして大変人気があります。

「大杵社の大スギ」は根元の周囲13.3m、胸高(地上1.5mの位置)の周囲10.9m、樹高38m。
樹齢は1000年以上と言われており、幹の裏側にある空洞には畳が3枚敷けるほどの広さが。
長い歴史の中で何度となく火事にあい、部分的に焼けてしまっているのだそうですが、それでもたくましく、枯れることなく、凛とした姿で枝葉を伸ばし続けているのです。

木の保護のため幹に直接触れることはできませんが、目の前に立つだけでもかなりのパワーが感じられます。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』に出てくる動く木を連想する人も多いはず。
見上げていると、何かありがたいお言葉をいただけそうな、そんな静粛な気持ちになります。

宮司さんの姿も見えない、小さなお社があるだけのこじんまりとした神社ですが、巨木に囲まれ夏でもひんやりとした境内を歩くと穏やかな気持ちになること間違いなしです。

金鱗湖のほとりに鎮座する古社「天祖神社」

金鱗湖のほとりに鎮座する古社「天祖神社」

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由布院の象徴、金鱗湖の湖畔にひっそりと佇む「天祖神社(てんそじんじゃ)」。
言われないと見逃してしまうほど小さなお社ですが、池の中に建つ鳥居と大きな杉の木が目印。
観光客の多い金鱗湖畔の中では比較的静かな一角にあり、金鱗湖散策の途中でお参りすることができるのでオススメです。

こちらの神社も非常に歴史が古く、宇奈岐日女神社と同じく景行天皇の時代に始まったものと伝えられています。

大昔からこの地に伝わる伝説によれば、この地にあった大きな湖から水が流れ出て盆地となった際、湖底に棲んでいた一匹の龍が住処を失い神通力を無くして困り果て、この地に辿り着いたのだそうです。
龍は天祖神に、湖全部とは言わないが安住の地を少しばかり与えてほしいと懇願。
天祖神は龍の願いを聞き入れて「岳本の池」を残しました。
これが現在の金鱗湖であると言われています。
龍はほどなくして神通力を取り戻し昇天したのだそうです。

天祖神社から見る金鱗湖はとても穏やか。
緑に囲まれた境内は夏でも涼しげで、温泉街の喧騒を忘れてゆったり過ごすことができます。
御神木となっている杉の木も見ごたえありです。

ゆったりほっこり・さりげなくオシャレな由布院温泉

温泉のお湯がよいのはもちろんですが、由布院の魅力はそれだけじゃありません。
由布院を訪れてまず感じることは、”歩いて楽しい街”であること。
ギラギラしていない、一見ひなびたように見えて活気ある、昔ながらの風情を持ち続ける温かな街並みは、日本のどこにでもある原風景のようで唯一無二のもの。
少し足を延ばせばありのままの自然を肌で感じることもできます。
着いたその日に「絶対また来よう」と笑顔になる街、由布院温泉。
ゆったりした時間を過ごしに、是非お出かけください!
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