寂光院は平家の悲哀を伝える古刹。建礼門院の生涯に涙する

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晴れの日だけやのうて、雪や雨の寂光院も美しおすぇ!

古くからある由緒正しきお寺や神社など、歴史ある建物が残っている京都の中でもひときわ静かで悲壮な歴史が残された厳かな尼寺が寂光院です。こちらは古典で有名な「平家物語」ゆかりの尼寺として、知る人ぞ知るお寺となっています。寂光院の歴史を紐解きながら尼寺の中身まで詳しくご紹介します。

京都大原の寂光院は「平家物語」ゆかりの尼寺

京都府左京区大原にひっそりと佇んでいる、聖徳太子が建立したと言われているのが寂光院。あまり目立たない場所にあるお寺ですが、歴史を感じるスポットとしておすすめです。

御由緒はなお古く聖徳太子建立の古寺

寂光院(じゃっこういん)は「平家物語」はもちろん、聖徳太子にもゆかりのあるお寺です。一度焼失してしまったという歴史を持ちながら、今でも大切に祀られている、いわば心に寄り添う尼寺として現在もその歴史を刻みながら現存しています。

寂光院は、推古2年(594年)に創建され、京都大原にある古刹で、山号を清香山・寺号を玉泉寺といい、その玉泉寺の子院となります。聖徳太子が父である用明天皇の菩提を弔うために建立したと伝えられ、当初のご本尊は六万体地蔵尊でした。

六万体地蔵尊は、平成12年の放火により真っ黒に焼かれましたが、胎内仏であった3417体の地蔵菩薩の小像は無事で、それらの小像は宝物殿である鳳智松殿(ほうちしょうでん)にて公開されています。現在は、新たなご本尊として地蔵菩薩像が本堂に安置されています。

第3代住持は平清盛の娘、建礼門院徳子

建礼門院は平清盛の娘で、高倉天皇(後白河法皇の子)の中宮となった人物です。後に高倉天皇の第1皇子となる安徳天皇を生んで国母となります。しかし高倉天皇は生前に小督局(こごうのつぼね)という女性を溺愛し、自分の御陵までも遺言によって小督局の墓の近くに作らせたとして、妻としては寂しい時間を過ごしました。

高倉天皇や平清盛の病死を経験し、源氏に追われた後に壇ノ浦の戦いで安徳天皇や実母とともに入水しましたが、ただ1人生き残ったので出家を決意。29歳からは安徳天皇と平家一族を弔って生きてきました。中宮として栄華を極めてから、日常の中で常に孤独で寂しい人生を歩んだ人です。写真は平成28年限定の御朱印をご朱印帳に貼付したもので、建礼門院について安徳天皇 国母と記されていることがわかります。

悲劇のヒロイン建礼門院を偲ぶ

建礼門院徳子のお墓 大原西陵

寂光院の裏手の山腹には、建礼門院の墓 大原西陵があります。こちらは同じ大原の三千院の北にある後鳥羽天皇と順德天皇の大原陵に対して西陵とも呼ばれている場所です。また、寂光院の門の東側には、建礼門院徳子大原西陵へと続く1本道の石畳があり、行楽シーズンの紅葉の季節は特に美しい見どことなっています。

建礼門院徳子の隠棲地 御庵室跡

後白河天皇の大原御幸の際には、なんと牛車で6時間余りかかったと言われており、隠棲とはいえ安徳天皇の生母の家としては、かなり寂しい場所にあったと思われます。訪れた際に気づきますが、御庵室跡(ごあんしつあと)もまたあまりに小さな土地で驚くほどです。栄華を極めた平家の滅亡の後の寂しい生涯には涙を禁じ得ないほどの思いが伝わってきます。

寂光院の見どころは無常観にあり

放火による焼失から復興した本堂

寂光院の本堂は、放火によって全焼した後に復興されました。そのため、全てのものは移り変わり永久不変なものはないとする、諸行無常という仏教の考え方をリアルに体現したお寺となっています。旧本堂の特徴としては、柱が飛鳥様式や平安時代の様式を持っており、外陣は慶8年(1603年)に豊臣秀頼が修理したことから桃山様式を持つという、歴史的にも貴重なもの。

新本堂では、新しいことで雰囲気が変わったとも言われていますが、すべて元の通りにするよう、焼失前の寂光院の良さを引き出しています。本堂では作務衣を来た尼僧が、寂光院の由緒や歴史・ご本尊についてなどの説明をしてくださることがあるので、とてもわかりやすいのでぜひお聞きになることをおすすめします。

幽翠な庭園に無常をあらわす四方正面の池

庭園にある四方正面の池は、本堂の東側にあり北側の山腹から水を引き込んでいることや、四方のどこから見ても正面と感じられるように設計されています。林泉・木立・清浄の池として表現され、見る場所によって違った趣を持つ池に。様々な顔を見せる、1つとして永遠に変わらぬものはないという無常観を表現しています。

平家物語の時代そのままの姿を残す汀の池

汀の池(みぎわのいけ)は、本堂の前にある小さな池で古来より桜と松が寄り添うように立っている場所があります。桜は汀の桜と言われ、松は千年姫小松と名付けられています。

こちらは現在の千年姫子松で、寂光院の姫小松は樹高15メートルまで伸びており樹齢がなんと100年になるものでした。しかし、本堂火災の際に被災し倒木の危険があるので伐採となってしまったので、現在はご神木として祀られています。

こちらは、汀の池近くにある汀の桜です。建礼門院のかつての舅である後白河法皇が、秘かに建礼門院を訪ねた大原御幸の際に詠んだこの歌に汀の桜が登場しています。

「池水に 汀の桜 散り敷きて 波の花こそ 盛なりけり」

この歌は、汀の池と汀の桜は平家物語の時代そのままの姿を見せていると言われていますが、千年姫子松は火災により伐採となったことで、ここでも諸行無常が具現されていると納得できます。

諸行無常の鐘

こちらの鐘楼は、江戸時代に建立され、鐘楼には諸行無常の鐘が懸かっていますが、鐘もまた宝暦2年(1975年)に鋳出されたとの記録があるので、江戸時代のものであることは有力説です。

「平家物語」の冒頭で「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とあるのでこの鐘が使われていたのではないかと言われています。参拝者が鐘を打つことは残念ながらできませんが、時を告げる鐘として打ち鳴らされるので、訪問時間によっては諸行無常の鐘の音を味わうことができます。

季節とともにめぐる寂光院歳時記

大原女まつり時代行列

5月に行われるのが大原女まつり時代行列は、大原観光保勝会が催すイベントです。室町時代から近代までその時代毎の大原女の衣装を身にまとった子供から大人までが練り歩きます。大原女さんたちが寂光院に集まり、住持さんから簡単なお話を聞き、寂光院から勝林院まで巡行した後、再び寂光院に戻って終了となります。

炭や柴などを頭にのせて京の町で売り歩く大原女の装束は、建礼門院の侍女 阿波内侍(あわのないじ)の着物姿がもとの姿となっていると言われています。行列には事前申し込みが必要ですが、一般の参加もOKです。

しば漬け作り

夏の7月には、しば漬け作りが開催されます。京都大原発祥のしば漬けは、建礼門院が名付けたとも伝えられます。それは、大原の人々がかつて中宮でありながら大原の地で寂しい暮らしをしている建礼門院を慰めるために、当時高貴な色とされていた紫色の漬物を献上したところ、女院がたいそう喜ばれ「紫葉漬け」と名付けました。

寂光院では、古くから保存食とされるしば漬けを毎年畑で紫蘇を育てるところから行っており、9月にはしば漬け法要と言って参拝者に配られています。

地蔵盆

こちらは地蔵盆のしつらえをした本堂となり、毎年8月24日は地域の地蔵盆の日と伝えられています。寂光院本堂では午前中に法要が行われ、午後からは子どもたちのための数珠回しという行事も行われています。

寂光院へのアクセス

バスでの行き方

寂光院に訪れる際は、京都バス 大原を下車して徒歩15分頃で到着しますが、主なバスルートは4つあります。

  • 京阪電鉄 出町柳から京都バス17系統で約33分
  • 市営地下鉄 国際会館から京都バス19系統で約23分
  • JR・近鉄・市営地下鉄の京都駅から京都バス17系統にて約62分
  • 叡山電鉄鞍馬線 貴船口から京都バス55系統で約23分

車での行き方

車でのアクセス方法としては、主に3つ。1つ目は琵琶湖大橋から477号線を京都方面へ約30分、2つ目は名神高速道路の京都東インターより約40分、3つ目は名神高速道路の京都南インターから約60分です。

駐車場は、寂光院前駐車場があるので、大原でいろんな場所へ出向く際は駐車場を寂光院近くではなく訪問ルートに合わせて駐車場を選ぶことがおすすめです。

住所|〒601-1248 京都府京都市左京区大原草生町676
営業時間|通常:3月1日~11月30日 AM9:00 - PM5:00 冬季:1月1日~3日 AM10:00 - PM4:00 左記を除く12月1日~2月28日 AM9:00 - PM4:30
定休日|なし
電話|075-744-3341
公式サイトはこちら

まとめ

寂光院は平家物語の盛者必衰・諸行無常をあらわしている悲壮感ある尼寺として有名な場所です。そのため、いつもと違った雰囲気のあるお寺と歴史を感じにぜひ一度訪れてみませんか。