松陰神社は吉田松陰を祀る神社!幕末好き必見スポット

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トラベルパートナー: Nana

北海道出身・東京在住で、歴史を感じられる観光名所が大好き。本州をメインに一人旅をする事と、城や寺院など建築物を見る事が好きなので各名所の見どころや魅力を多くの方々にお届けできればと思っています。

松下村塾も見る事ができる!世田谷にある松陰神社へ行ってみよう

幕末の教育者であり思想家である吉田松陰が祀られる世田谷区の松陰神社を紹介します。この場所は吉田松蔭の名言やゆかりに触れることができるスポットで、高杉晋作や伊藤博文などを輩出した松下村塾も見ることもできます。

幕末の教育者・吉田松陰を祀る松陰神社とは

幕末にかかせない人物である吉田松陰。思想家で教育者の吉田松陰は門下生をはじめとして多くの人に愛されてきました。

吉田松陰の門下生たちが建立した神社

東京都世田谷区にある松陰神社は吉田松陰をお祀りしている神社です。吉田松陰はNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」でも話題となった人物です。

幕末の教育者であり思想家でもあり、その門下生である高杉晋作や伊藤博文らが、小塚原の回向院にあった吉田松陰の墓をこの場所に埋葬し直し、さらに明治15年に弟子たちが墓の隣接地に神社を建立したのが松陰神社のはじまりと言われています。

吉田松陰とはどのような人物

吉田松陰の生い立ちを調べてみると、出身は長州藩(山口県)で、下級武士の家の次男として誕生しました。9歳で日本三大学府の一つである明倫館の兵学師範に就任し、11歳の時には藩主であった毛利慶親への御前講義を開き、その才能が評価されます。

20歳の時には西洋兵学を学ぶために山口県を離れ長崎に留学をし、その後江戸に向かい、洋式兵学や砲術、蘭学の知識が豊かだった佐久間象山に師事しました。23歳の時には佐久間象山の勧めもあり海外渡航を決意したものの、ペリーの艦隊に乗りこもうとして失敗し、萩(山口県)の野山獄に投じられます。その後出獄を許され、27歳の時に生まれ育った場所に松下村塾を開いています。

多くの偉人を輩出した松下村塾

松下村塾は松陰の叔父である玉木文之進が天保13年に寺子屋を開いて、松下村塾の看板を掲げたことがはじまりで、吉田松陰がこの名を引き継ぎました。

この松下村塾で吉田松陰が塾生に教育を施した年月はたった2年半ほどでしたが、高杉晋作や伊藤博文、山県有朋、久坂玄瑞、吉田稔麿など幕末から明治にかけて活躍した人物を多数輩出しました。

いざ境内へ!松陰神社の魅力を余すことなくご紹介

松陰神社に訪れた際、まず目に入るのが漆黒の大鳥居です。赤い鳥居の神社が多い中、松陰神社では威厳のある黒を使っています。

堂々と立ちはだかる漆黒の大鳥居

松陰神社の入り口には、モダンな印象を受ける漆黒の大鳥居が立ちはだかっており、この漆黒の大鳥居とさらにその後ろに広がる四季折々の色彩を見せる景色は最高のロケーションです。特に桜の開花時期は、ピンク色と鳥居のコントラストが美しく一見の価値があります。

明治41年に建造された旧鳥居柱が残されている

漆黒の大鳥居の横には、明治41年の吉田松陰50年祭の際に建造された旧鳥居の柱の一部である旧鳥居柱が設置されています。

旧鳥居は平成23年10月に新鳥居の建造にあたり解体されていますが、旧鳥居が御影石製ででき、台座含めて総重量が20トンもあったことなどが柱の脇にあるガイド看板に記されています。

掲示板には松陰先生のお言葉が!

境内に沿って歩いていくと、右側に木でできた立派な掲示板が出現。この掲示板には月ごとに松陰先生の言葉が掲示されているため、毎回行くたびに違う言葉を見られる楽しみがあります。数多くの名言を残している吉田松陰とあって、身になる言葉の数々は刺激を受けます。

ブロンズ製の正座している吉田松陰先生像

正座をしているブロンズ製の吉田松陰先生像も松陰神社の見どころです。この像は明治23年に近代彫刻の先駆者である大熊氏廣によって製作された吉田松陰先生像を基に鋳造したブロンズ像です。

平成24年の松陰神社130周年記念事業として、東京芸術大学が約1年をかけて石膏像の調査修復、像の鋳造を行い、平成25年4月に完成しました。

吉田松陰の門下生から奉献された石燈籠

境内には吉田松陰の門下生から奉献された石灯篭も並びます。その数は全32基で、毛利元昭や伊藤博文、山縣有朋を始めとする門下生や縁故者などから明治41年に奉献されたものです。石灯篭付近には案内板も設置され、これを見ると6番目の石燈籠が伊藤博文によって奉献されたものということが分かります。

多くの受験生が合格祈願に訪れる御社殿

石灯篭の先には御社殿が現れます。吉田松陰神社は「学問の神」としても定着しているため、受験シーズンになるとこの御社殿には多くの受験生が合格祈願に訪れます。

この御社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたもので、現在でこそ大変立派なものとなっていますが、明治15年に門下生により創建された時には茅葺き屋根の小さな祠だったそうです。

松下村塾の模造で雰囲気を体験

御社殿に向かって右側には、松下村塾が建てられています。こちらは、山口県萩市に保存されている村塾を模したもので、90名近くの塾生を指導していたという松下村塾の雰囲気を体感することが可能。また、建物の前に設置された案内板には、松下村塾の成り立ちや塾生達が紹介されています。

境内に眠る吉田松陰の墓碑

境内にある吉田松陰のお墓です。このお墓の案内板には、高杉晋作や伊藤博文ら門下生が吉田松陰の亡骸を小塚原の回向院から現在の場所にあった楓の木の下に改葬したこと、さらには長州征伐の際に幕府によって墓が破壊されたものの明治元年に木戸孝允らの手によって修復されたことが記載されています。

松陰神社でしか見られない絵馬やおみくじをご紹介

松陰神社の主役は吉田松陰。ここでは、吉田松陰が描かれた絵馬や生前に発した言葉のおみくじを購入することができます。

松陰先生が描かれた勝絵馬

松陰神社ではここでしか購入できない絵馬やおみくじがあります。まず紹介するのは、吉田松陰直筆の「勝」の文字と肖像画が描かれた「勝絵馬」です。この勝絵馬には、合格祈願のみではなく「自分の弱い心に負けない様に」との願いが込められています。

松陰神社オリジナル!松陰先生の御言葉みくじ


松陰神社オリジナルの松陰先生の御言葉みくじは、綺麗な若草色をしたおみくじで、吉田松陰が残した名言や有り難いお言葉が書かれています。この神社には他の種類のおみくじもありますが、多くの人が松陰先生の御言葉みくじを引いていて、おみくじ掛は緑一色に染まっています。

勝守・志守には松陰先生直筆文字が

松陰先生の直筆文字が刺繍されている「勝守」と「志守」も評判です。勝守には自分の弱い心に負けないようにとの願いが込められ、志守には初志を忘れず困難に立ち向かえますようにとの願いが込められており、松陰は勝因を連想させるため縁起が良いと人気です。

松陰神社へのアクセス

電車でのアクセス


電車の場合は、東急世田谷線松陰神社前で降車し、そこから松陰神社通り商店街を抜けて徒歩3分ほどで到着です。

車でのアクセス

自動車の場合は、環状七号線と世田谷通りの交差点から車で5分ほどで、20台駐車可能な有料駐車場が併設されています。なお、駐車場の営業時間は午前7時から午後5時までです。

住所|〒154-0023 東京都世田谷区若林4丁目35−1
営業時間|参拝 7:00-17:00 社務所 9:00-17:00 祈祷 9:00-16:30
定休日|無休
電話|03-3421-4834
公式サイトはこちら

まとめ

松下村塾で多くの偉人を輩出した幕末の教育者、吉田松陰。心に響く言葉を多く残してくれた思想家でもある吉田松陰を祀る松陰神社は、境内の雰囲気を味わうだけでも精神がリセットされてパワーが湧いてくるスポットです。是非一度松陰神社に足を運び、松陰先生の有り難いお言葉に耳を傾けてみませんか。

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