立待岬は断崖とハマナスの景勝地。津軽海峡を眺める絶好のビューポイント

トラベルパートナー: Kitako

生まれも育ちも北海道で観光案内員の経験あり。デジタルマップよりも紙の地図を持って旅行するのが大好きなアナログトラベラーです。北海道定番の観光スポットから穴場グルメや裏話など、どさんこKitakoが北海道の隅から隅までご紹介します!

立待岬のツブ串はコリコリしててなまら美味しいよ~!

北海道函館市の南部にある立待岬は、函館山の裏側にあたり、断崖絶壁の上から太平洋を眺望することができる有数の観光スポット。有名演歌歌手の森昌子さんが歌った「立待岬」のモチーフになった場所なんですよ。今回は、そんな立待岬の魅力をご紹介したいと思います。

立待岬ってどんな場所

津軽海峡に面した断崖の岬

立待岬(たちあいみさき)は津軽海峡に突き出す岬。展望所の先端辺りは海抜30mの高さがあります。天気が良くても強風や突風に煽られることが多く、海面から直角に切り立つ断崖の風景を見るとより一層荒々しい印象を受けます。立待岬は、1982年に森昌子さんが歌った「立待岬」で有名。「雨の慕情」や「舟唄」などのヒット曲を世に送り出した浜圭介さんが作曲し、その年の紅白歌合戦でも歌われた名曲なんです。

函館山の左裾野が海に交わるところ

函館山の麓に広がる市街地から、山に向かって左に突き出しているのが立待岬。函館のシンボルである函館山は、大昔は海に独立した島だったところで、長い年月をかけて溜まった砂が北海道本島との間に陸を作り、その上に函館の街が形成されました。津軽海峡に面している函館山の南西部は海岸侵食が進んだ様子、立待岬から山の裏側は断崖やゴロゴロと荒く削られた岩肌が目立ちます。

戦時中は見張り台として活用された

かつてはアイヌ語で「ピウス」あるいは「ピーウシ」と呼ばれた場所。食料となる魚を仕留めるために立って待つところという意味だったことから「立待」の名前がつきました。

寛永年間は北辺警備の拠点として、また明治時代から第二次世界大戦終戦までは函館山全体が要塞としての役割を持ち、津軽海峡を航行する船の見張りが行われた場所でもあります。戦後に函館山が一般開放されると、立待岬も本州を眺む展望地として観光客が足を運ぶようになりました。

立待岬から見える景色

朝日がのぼる景勝地

立待岬は南東方向に突き出しており、全面に海が広がり遮るものがないため、東の水平線からのぼる朝日をはっきりと見ることができます。朝日を眺める絶好のスポットですが、冬期は車両の通行を禁止し、夏場も20時から朝6時までは交通規制を行っています。ですので、朝日を見たいなら徒歩かサイクリングで現地に出向く必要がありますので注意しましょう。

対岸は本州最北の青森県

立待岬から見える津軽海峡の向こう側には本州最北端の青森県下北半島があり、大間崎までの距離は約28kmです。津軽海峡の最挟部は北海道函館市の汐首岬と大間町大間崎の間で、その距離は約18km。北海道と本州を結ぶ唯一の陸路である青函海底トンネルは当初最挟部での建設が計画されましたが、水深の都合から最挟部よりも西側の福島町と今別町を結んだルートで完成しました。

イカ釣り漁船の漁り火

函館周辺はイカの水揚げが豊富で、夏頃になると立待岬や函館山からもイカ釣り漁船の漁り火が賑わって見えます。集魚灯の明かりで海中のプランクトンが浮かび上がり、これを狙って上昇するイカを捕獲するため、漁は暗くなる時間帯から始まり明け方に港に戻ります。

昔は、早朝に水揚げされたばかりのイカを売る行商がたくさんいて、住宅街を練り歩き「イガーイガイガー」の声をかけて回っていましたが、今では少なくなりごくたまに売り子の声が聞こえる程度。夏にじゃイカ釣り漁船の集魚灯にちなんで、漁り火まつりを開催し、イカの形の花火を打ち上げたりイカ踊りに興じたりしています。

立待岬の売店と歌碑

与謝野鉄幹と晶子夫妻の歌碑

立待岬には遊歩道がありますが、メインの道を外れたところには与謝野寛と晶子夫妻の歌碑があるんです。1931年に函館を訪れたことがある与謝野夫妻がそれぞれ詠んだ歌が刻まれていて、生前に親交があった石川啄木や市立函館図書館創設者の岡田健蔵の名が登場します。

絵になるベンチ

立待岬の遊歩道は海側に柵が設置されていますが、場所によっては柵の高さよりも少し高い位置にベンチがあり、座ると邪魔するものがなにもないので、綺麗に景色が眼前に広がり、思わず息を飲んでしまうほど。海に向かって左側には立待岬から続く大森浜海岸や湯の川温泉街、汐首岬が突き出す亀田半島が見えます。正面には下北半島と少し奥まった津軽半島、右側には北海道松前半島が見えます。

季節限定の売店はまなす

立待岬には夏期限定の売店はまなすがあり、揚げじゃがや焼とうもろこしを販売。一番人気は立待岬名物として売り出しているつぶ串で、おでん鍋の中で出汁に浸かった状態で販売されています。景色を見ながら食べるおでんは格別。また、ジャンボフランクやホタテ串などもありますが、用意していない場合もあるので注意してください。

浜風に揺られるハマナス

名曲「立待岬」にも登場するように、ハマナスが咲き誇り、初夏の訪れと共に濃いピンク色の花が目立ちます。ハマナスはバラ科の花で、茎や葉の間には小さなトゲがたくさんついているので、触れないでください。夏は風にのってハマナスの上品な香りが漂い、秋にはミニトマトのような赤い実が実っています。北海道ではどこでも見られる花で、お土産や雑貨などのモチーフにもなっているんですよ。

周辺のおすすめスポット

石川啄木一族の墓

立待岬にたどり着くまでの道中には大規模な墓地があり、道路の左右にたくさんの墓石が並んで、彼岸の頃には狭い道に多くの墓参者が歩きます。その中の一角には、白い案内標識と横書きで啄木一族墓と刻まれた四角い墓石があり、石川啄木と妻の節子をはじめ、合わせて8名が埋葬されています。

石川啄木は函館で過ごしていたことがあり、函館を離れたあとに義理の兄である宮崎郁雨にあてて「函館で死にたいように思う」という手紙を残していたことから、東京で亡くなった啄木の遺骨を移して建立されたとのこと。

住所|〒040-0045 北海道函館市住吉町16
営業時間|なし
定休日|なし(冬期は車両通行止め)
電話|なし
公式サイト|なし

土方歳三も祀られている碧血碑

立待岬から1.4kmほどのところには、碧血碑という見上げるほど大きな石碑があります。戊辰戦争の最終決戦地となった函館では、明治新政府軍と旧幕府軍の両軍で多くの戦死者が出ましたが、終結後に賊軍の汚名を着せられた旧幕府軍方の犠牲者の供養は禁止されていました。

それを見かねた柳川熊吉という人物が、実行寺と協力して旧幕府軍兵士たちの埋葬と供養にあたり、1875年に慰霊碑として碧血碑が建立されました。碑の表書きは「義に殉じた武士の血は三年経つと碧くなる」という中国の古事記に由来し、函館戦争で犠牲となった旧幕府軍兵士を祀って毎年慰霊祭も開催しています。

住所|〒040-0046 北海道函館市谷地頭町1
営業時間|なし
定休日|なし
電話|なし
公式サイト|なし

函館八幡宮

函館八幡宮は、河野政通が築いた宇須岸館(ウスケシのたて)の鎮守として建立され、宇須岸館が陥落したのちに八幡宮も移設され現在地に。もともと宇須岸館は現在の元町公園付近にあったもので、鎮守八幡宮の下の坂道を八幡坂と呼んでいましたが、八幡宮が移設された後も八幡坂の名前だけがその場に残され、函館観光の名所の1つになっています。

河野政通が建てた宇須岸館が四角い箱のような形をしていたことから、箱館という呼び名が一般的になり、明治時代を迎えた頃から漢字を変えて函館の地名が使われています。

住所|〒040-0046 北海道函館市谷地頭町2番5号
営業時間|なし
定休日|なし
電話|0138-22-3636
公式サイトはこちら

立待岬へのアクセス

車での行き方

立待岬駐車場周辺の道路は道幅が狭く一方通行になっているため、往路は墓地の間の道を走り、復路は来た道は戻らずに碧血碑方面へ進むようにしましょう。墓地の辺りから碧血碑入口付近までは交通規制の範囲内なので、時期によっては車輌が入れないことも。交通規制の詳しい情報は函館市のホームページにその都度のせられるので事前にチェックしておきましょうね。

路面電車での行き方

旅行の思い出をより一層濃くしてくれる、路面電車もあります。函館市電・谷地頭電停から徒歩20分(1.1km)で行くことができます。緩やかですが上り道が多いため、距離から予想するよりも時間がかかるので、時間に余裕を持っていくことをおすすめします。

住所|〒040-0045 北海道函館市住吉町16
営業時間|なし
定休日|なし
電話|0138-21-3324(函館市コンベンション推進課)
公式サイト|なし

まとめ

自然豊かな北海道の観光スポット、立待岬はいかがでしたでしょうか。立待岬だけでなく周辺にも見どころがありますし、満喫できること間違いなしです。是非北海道へ行かれた際は、立待岬に立ち寄ってみて下さいね。

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