寛永寺は上野公園がまるごと入るほど広大な徳川家の菩提寺

公開日:2019/2/18 更新日:2019/4/11

トラベルパートナー:トラベルパートナー: naolalala
東京出身。旅行に行くのなら絶対海外派。最近はアメリカやオーストラリアの国立公園の魅力にはまってしまって、旅行先にはなるべく自然の多いところにしています。週末はぶらぶらお散歩が好きなので、近場を歩きながら気になったモチーフなどを写真におさめます。美味しいスポットも絶対おさえます。
徳川家の菩提寺である寛永寺!当時の栄華におもいをはせながらおまいりしよう

東京都台東区にある寛永寺は、徳川家の菩提寺です。初代住職は徳川家康のブレーンとも言われた天海で、徳川家とともに歩んできた歴史あるお寺。建物からも歴史情緒を感じられ、境内には厳かな雰囲気が漂います。ここでは、寛永寺の見どころや基本的な情報などを網羅したので、東京見物に訪れる際の参考にしてください。

寛永寺は徳川家の菩提寺

寛永寺とはどういうお寺

東京都台東区にある寛永寺は、正式な名称を東叡山寛永寺といいます。天台宗の寺院で、徳川家光によって創立され天海が初代住職となりました。天海と言えば徳川家康のブレーンとして暗躍した人物としても有名。このあたりからも歴史のロマンが感じられます。徳川将軍15人のうち、6人がここに眠っており、徳川の菩提寺として歩んできました。

徳川家と共に歩んだ歴史

天海僧正には、徳川家康はもちろん、息子の秀忠やその子息の家光など3代将軍が帰依していました。その天海によって、1625年に建立されたのが寛永寺。当時の年号が寛永だったため、それをとって寛永寺となったようです。京の鬼門を守護する比叡山に対し、江戸の鬼門を守るということで東叡山と称しました。1627年には多宝塔や法華堂なども建立され、最盛期には現在の上野公園のほとんどが寛永寺の境内になりました。

寛永寺をゆっくり散策しよう

堂々とした佇まいの根本中堂

根本中堂(こんぽんちゅうどう)は寛永寺の本堂で、門をくぐるとその立派な姿が見えてきます。もともとの本堂は、上野戦争のおりに焼失してしまいましたが、その後寛永寺の子院である大慈院があった敷地に、川越の喜多院から移転してきた本地堂を本堂としたのです。普段は拝観できませんが、特別公開のときには見学が可能。厨子に秘仏本尊薬師三尊像が安置され、その周りを十二神将が守護するように囲っています。

当時の姿を残す銅鐘

正面から進んでいくと、右手に銅鐘があります。177cmとややこぶりな鐘ですが、この鐘は4代将軍家綱の一周忌である1682年に建立されたものであり、当時のまま残る大変貴重なもの。徳川の栄華はもちろん、滅びゆく徳川も見守ってきた銅鐘なのです。そう思いながら眺めると、何とも切ない気持ちになります。

尾形乾山墓碑・乾山深省蹟

著名な陶芸家である尾形乾山。日本画の尾形光琳の弟としても知られており、その名をはせました。乾山は寛永寺の加護を受ける形で作品作りに没頭し、さまざまな作品を生み出します。その尾形乾山の墓碑もこの地に建てられました。

徳川慶喜が蟄居した書院

根本中堂から左方向に歩いていくと、立派な造りの書院が見えてきます。水戸退去の前、最後の将軍徳川慶喜がこの書院で2ヶ月ほど蟄居していたのだとか。実際に慶喜公が蟄居したと言われる葵の間も、当時のまま現存しています。



将軍が眠る徳川家霊廟

徳川家の将軍6名がここに埋葬されています。4代家綱と5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定など。霊廟は法華経にしたがった構造になっているのが特徴ですが、これは寛永寺の初代住職であった天海僧正の案だとか。残念なことに、第二次世界大戦の戦火に巻き込まれ、霊廟のほとんどは焼失してしまいました。

ご霊廟勅額門のみ参拝

そのほとんどを焼失した霊廟ですが、4代家綱と5代綱吉の霊廟の門は、厳有院霊廟勅額門・常憲院霊廟勅額門として残っています。一般公開はしていないものの、5名以上の団体で訪れる場合だと予約制で見学が可能。間近で見学はできなくても、外から門が見えるので訪れたときには手を合わせておきましょう。

上野公園は寛永寺の敷地だった

上野公園がまるまる寛永寺

江戸時代には、徳川将軍家だけでなく多くの大名の帰依を受けていた寛永寺。将軍家の菩提寺ということもあり、その敷地はどんどん拡大してしまい、現在の上野公園が寛永寺の境内となりました。上野公園を歩いていると、本堂から離れたところにも寛永寺のお堂が建っているので、あわせて見学しておきましょう。

千手観音を祀る清水観音堂

上野駅の方向から上野公園に入ると、すぐ左手に見えてくるのが清水観音堂。1631年に建立された歴史ある建物であり、千手観音を祀っています。清水という名を冠している理由ですが、京都の清水寺の本堂と同じ懸造り(かけづくり)建築のため、清水という名がついたのだとか。パッと見ても分かるように、とても立派な造りをしていますし、歴史情緒もふんだんに感じられます。神聖な雰囲気も漂っていますね。

宝厳寺の弁財天を勧請した弁天堂

清水観音堂から左方向に見えるのが弁天堂。天海僧正によって、びわ湖にある宝厳寺の弁財天を観請して建立しました。1945年の東京大空襲で戦火に巻き込まれ焼失しましたが、その後1958年に再建されることになります。

徳川に殉じた上野彰義隊のお墓

上野駅の方向から公園に入ってすぐのところにあるのが上野彰義隊のお墓。まだ徳川慶喜が一橋慶喜だった時代の側近が、慶喜を助けるために結成したのが始まり。徳川家の霊廟を守るため寛永寺に立てこもっていましたが、新政府軍の激しい攻撃を受けました。その時に亡くなった彰義隊の隊士たちを鎮魂するために建てられたお墓です。

谷中霊園に徳川のお墓参りに行こう



寛永寺からすぐ近くの谷中霊園

著名な文豪や芸術家などが多く眠っている谷中霊園(やなかれいえん)。ここには、徳川最後の将軍として幕府と討幕派の板挟みになってしまった、徳川慶喜公のお墓もあります。寛永寺から徒歩約3分とすぐの場所にあるので、あわせて足を運んでおきたいスポット。谷中霊園に着くと、徳川慶喜公墓所という札を目にするので、それに従って歩いていきましょう。

徳川慶喜公のお墓まいりをしよう

悲劇の将軍としても有名な慶喜公は谷中霊園でひっそりと眠りについています。門には徳川の家紋である三つ葵の御紋があるので、すぐに徳川家のお墓だと分かるでしょう。門の外から手を合わせ、しっかりとお参りしましょう。歴史ファン、幕末ファンなら特に足を運んでおきたいですね。

Address 〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目5−24
Hours AM8:30-PM5:15
Closed なし
Tel 03-3821-4456
Web tokyo-park.or.jp

寛永寺へのアクセス

電車での行き方

寛永寺の最寄り駅は、JR山手線の鶯谷(うぐいすだに)駅となります。鶯谷はそうめったに降りるところではないと思うので、この機会に鶯谷から徒歩で向かいましょう。鶯谷駅からだと、徒歩約8分ほどで寛永寺にアクセスできます。帰りには、上野公園を抜けて弁天堂、清水観音堂などにも足を延ばすのがおすすめ。公園内をゆっくり散策するのもよいでしょう。春なら美しい桜の花を見ることもできます。

Address 〒110-0002 東京都台東区上野桜木1丁目14−11
Hours AM9:00-PM5:00
Closed なし
Tel 03-3821-4440
Web kaneiji.jp

まとめ

かつては上野公園の敷地すべてが境内だったほどの隆盛を極めた寛永寺。今では徳川家の将軍がひっそりと眠る菩提寺として佇みます。歴史ロマンも感じられるスポットなので、東京へ訪れたときにはぜひ足を運んでほしいですね。あらかじめ徳川家の歴史を学んでから訪れると、より楽しみながら見学できるかもしれません。