世田谷の歴史がぎっしりつまっている世田谷代官屋敷。区民でなくとも訪れてみよう

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トラベルパートナー: naolalala

東京出身。旅行に行くのなら絶対海外派。最近はアメリカやオーストラリアの国立公園の魅力にはまってしまって、旅行先にはなるべく自然の多いところにしています。週末はぶらぶらお散歩が好きなので、近場を歩きながら気になったモチーフなどを写真におさめます。美味しいスポットも絶対おさえます。

世田谷区一番地にある世田谷代官屋敷では世田谷の歴史をがっつり学ぶことができる

毎年2万人の人出がある世田谷ボロ市が行われる、通称ボロ市通りの中央に世田谷代官屋敷があります。世襲で代官を務めた大場家の居宅が、そのまま代官屋敷として使用された萱葺の寄棟造りで、表門や土蔵、白洲跡が現存。江戸中期の雰囲気を残す建物です。そんな世田谷代官屋敷を紹介します。

世田谷代官屋敷の歴史

世田谷代官屋敷とは

彦根藩井伊家の江戸の領地であった世田谷。その代官を世襲で務めたのが大場家です。現在はあまり交通の便は良くありませんが近隣に区役所があるなど、江戸時代まではこの辺りが世田谷の中心地だったことが垣間見られます。

大場家の居宅が、そのまま使われた世田谷代官屋敷。そのため別名 大場代官屋敷ともいわれています。1978年には大場家住宅主屋と表門の2棟が、住宅建造物として都内では初めて国の重要文化財に指定されました。

補修工事が行われるため見学できないことも

1578年、関東を治めていた小田原北條氏が世田谷新宿を設け、この地域で楽市を開きました。これが、現在のボロ市の始まりといわれています。400年の歴史をもつボロ市は、毎年12月15日、16日、1月15日、16日に決まって行われ、およそ2万人の人でにぎわいます。

世田谷代官屋敷は保存改修のため入場できない場合もあるので、ホームページでチェックしておきましょう。

世田谷代官屋敷の見どころ

世田谷の代官であった大場家

世田谷の代官を務めた大場家のルーツは、桓武平氏大庭景親だと伝わっています。鎌倉時代に武蔵の国世田谷へ移り、世田谷城主吉良家の家臣となったそうです。その当時は元町(現在の世田谷区役所の辺り)に屋敷を構えていましたが、天正のころ、現在の場所に移転したといわれています。しかし、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めにより、北條方の吉良家の世田谷城も落城しました。

その後帰農して世田谷にとどまっていましたが、1633年彦根井伊家が世田谷領を拝領した際、大場盛長が初代代官に任じられます。それ以降、廃藩置県まで大場家が世襲で務めてきました。

邸宅をそのまま代官屋敷として使用

世田谷代官屋敷は陣屋として建てられたものではなく、大場家の宅地をそのまま役所として利用したものです。一時帰農していたこともあって、江戸時代の豪農の邸宅という造り。武家というより、江戸中期の上層民家の様子が伝わる建物です。

立派な茅葺屋根の主屋

萱葺屋根の木造平屋の主屋。玄関には式台があり、18畳もの板の間が広がっています。役所の間は西側にあり、隣の部屋は代官の執務室として使われていたものです。西南にある部屋は切腹の間といわれている部屋。実際に切腹をしたというわけではなく、いつでもその覚悟があることを表すための部屋です。

世田谷代官の仕事

彦根藩世田谷領の石高は2300石。代官である大場家の仕事は、主に年貢の取り立てと治安維持だったといわれています。また主家である彦根藩井伊家のために、普請や法要のための人員の手配、年中行事や生活必需品の調達も行っていました。

区の名木百選のタブノキがある美しい庭園

樹齢180年、世田谷の銘木百選に選ばれた高さ19メートルのタブノキが、表門脇で客人を出迎えるように立っています。内側には、名木コンクール入選のケヤキ、樹齢70年のクスノキは、郷土資料館入り口の目印です。都内でも自然の多い世田谷区ですが、代官屋敷の庭園内は、特別雰囲気に重みを感じさせます。

郷土資料館で世田谷の歴史を学ぼう

敷地内にある世田谷区立郷土資料館

世田谷代官屋敷の敷地内にある、入場無料の世田谷区立郷土資料館。本館・新館からなる2階建ての建物で、常設展示では世田谷の歴史が紹介され、季節によって特別展などの企画展示も行われています。新館1階のビデオ室では、世田谷の歴史を映像で鑑賞ができます。

世田谷の歴史を学べる貴重な資料館

世田谷区郷土資料館は1964年に区政30年を記念して開館しされました。世田谷区市編纂、区内資料の収集と公開が役割です。館内には古文書が2000点以上あり、代官の大場家の書簡がそのうちの1366点を占めています。写真は庚申塔(こうしんとう)。道標の役割を果たしていたものです。

縄文時代まで遡る

区の歴史はもちろんのこと、周辺の土地で発掘された土器や石器が見られるのも、この郷土資料館の特徴。多摩川沿いには、遠い昔から人が住んでいたことを表す、古墳や貝塚が発見されています。ここに展示されているのは、旧石器時代から、縄文・弥生時代のものです。幅広い古代の展示物が並んでいます。

自分の好きなテーマの動画を見られる

新館1階のビデオルームでは、ボロ市の歴史や玉電(現在の田園都市線、世田谷線の元となった鉄道)、桜田門外の変の世田谷、名刹九品仏浄真寺など、10個のテーマの映像から、好きなものが選べます。どの映像も最大で20分程度。ビデオブースは2室だけですが、それほど混みあうことはありません。

世田谷だけでなく全国規模の資料室

世田谷郷土資料館ですが、郷土史の資料は日本全国のものがそろい、閲覧することができます。世田谷を走る鉄道の資料も豊富です。見学し興味をもった方のために、世田谷区立郷土資料館展示ガイドブックの「世田谷の歴史と文化」が販売されています。

世田谷城址公園に行ってみよう

木々に囲まれた世田谷城の跡

世田谷代官屋敷から世田谷線を挟んで北側、城山通りの交差点の角に、小高い丘をもつ公園があります。ここが世田谷城址公園。1940年には世田谷唯一の歴史公園として、東京都指定文化財に指定されています。南北城時代、関東管領(かんとうかんれい)足利基氏から、戦の手柄として武蔵国世田谷領をもらい受けた際、武蔵吉良氏が築城したのが世田谷城です。

それ以降、吉良氏は8代に渡りこの地を治めましたが、1590年豊臣秀吉に北條氏が滅ぼされた際、世田谷城も落城。吉良氏はその後徳川家に仕えることになります。蒔田(まきた)の姓を名乗っていましたが、これは忠臣蔵で有名な吉良上野介の三河吉良氏と区別するためです。この赤穂事件で三河吉良家が没落すると、吉良姓に復姓しています。

世田谷城を垣間見られる

1590年に廃城となったため、城跡には見えませんが、わずかに残る土塁などに面影を感じられます。意外と小さいと思うかもしれませんが、当時はすぐそばにある豪徳寺も城内の一部。豪徳寺の参道にも、遺構がわずかに残ります。

大場家は吉良家の家臣であり、江戸時代には井伊家の代官を務めた家柄。吉良家が城主であった世田谷城、豪徳寺は井伊家の江戸の菩提寺です。どちらも大場家にゆかりのある場所だけに、散歩がてら、世田谷城址公園、豪徳寺も合わせて見るのは、歴史を振り返る意味でもおすすめ。その際、中間地点となる世田谷城址公園は、ベンチもあるので休憩にぴったりです。

住所|〒154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2丁目14−1
営業時間|24時間営業
定休日|なし
電話|03-5431-1822
公式サイトはこちら

世田谷代官屋敷へのアクセス

電車での行き方

渋谷から田園都市線三軒茶屋で、世田谷線に乗り換えで、上町下車徒歩約5分。すべての路線ではありませんが、世田谷に残る唯一の路面電車世田谷線で、街並みを眺めることができます。

バスでの行き方

バスは渋谷駅から、東急バス渋谷21系統、22系統、23系統、24系統で上町下車、徒歩約5分です。ボロ市は毎年、12月15、16日、1月15、16日に行われていて、平日開催にもなります。その際バスは大渋滞を起こすので、気をつけておきましょう。

車での行き方

渋谷方面から、国道246号線で世田谷警察署前を右折、弦巻一丁目を右折、世田谷中央公園を左折です。駐車場はありません。周辺の有料パーキングをご利用ください。

住所|〒154-0017 東京都世田谷区世田谷1丁目29−18
営業時間|AM9:00-PM5:00(ただし2019年11月までは改修のため閉館)
定休日|毎週月曜日(ただし2019年11月までは改修のため閉館)
電話|03-3429-4237
公式サイトはこちら

まとめ

世田谷というと、住宅街のイメージが強いと思います。実際小田急線、京王線、田園都市線の駅周辺は、商店街が並び住宅街が広がっています。ただこの世田谷代官屋敷周辺は、最寄りの電車がターミナル駅を通らない世田谷線ということもあり、世田谷の本来の街並みが見られるエリア。代官屋敷はその街の中心に、どっしりと構えています。