平戸城は元海賊の城。明治天皇とも縁のある眺望抜群な名城へ行こう

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長崎県在住。海外旅行が大好きで、現在までに25か国旅しました。何の計画もなくぶらりと行く一人旅が殆ど。行きたい国はまだまだあります! 訪れた国の文化を肌で感じることができる、路線バスの旅が得意です。 国内では九州北部を中心に、素敵なおすすめスポットを紹介します。 趣味は御朱印集め・インド映画鑑賞・動物とふれあうこと。

倭寇でもあった松浦党や天皇家などとの繋がりを感じる平戸城は海に囲まれて綺麗かよ~

長崎県平戸市にある平戸城は三方を海に囲まれた風光明媚な梯郭式(ていかくしき)の名城。狸櫓(たぬきやぐら)と北虎口門(搦手門)が現存している日本100名城のひとつとしても有名で、天守閣からは平戸市街や玄界灘を一望できるため絶景スポットとしても大変有名です。そんな平戸城の歴史と魅力をご紹介します。

平戸城は歴史に翻弄された元海賊の城

平戸城は自ら焼却された日の岳城の後に再建された山鹿流梯郭式の城で、数々の歴史が残っています。

徳川家康に疑われて一度焼却された城

長崎県平戸市の平戸島にある平戸城は、山鹿流の建築による日本唯一の梯郭式による名城。もともと松浦家26代鎮信(しげのぶ)がここに日の岳城を築きましたが、豊臣秀吉との深い親交を疑った徳川家康に忠誠を誓うため自ら城を焼却しました。

そのため、29代重信が再び築城にかかり、30代雄香公棟が宝永元年(1704年)に完成させたのが平戸城。しかし明治6年には廃城され、昭和37年に平戸市が復元した経緯があります。

お殿様は海賊倭寇の末裔

平戸城の城主は松浦姓で、初代は松浦久という平安時代後期の武士だったそうです。松浦久は松浦党という水軍の始祖。この地方を治めた武家の民主的な合議集団であり、倭寇の中心勢力でもあったそうです。 水軍として水先案内をするほか、東アジアの国々との貿易も行なっていました。一方、海賊行為もうわさされていたとも伝えられています。

平戸城は山鹿流築城法の魅力がたっぷり

山鹿流築城法を用いた日本唯一の城としても名高い平山城は、随所に様々な工夫がされています。

山鹿流の櫓(やぐら)をくぐる

亀岡公園グランド駐車場から緩やかな坂道を登って、天守閣へのチケット売場で入城券を購入。その後、櫓門へ向かいます。山鹿流築城法を用いた日本唯一の梯郭式の平戸城は、城周りに配された櫓の配置や通路、塀なども山鹿流の考えに沿っています。

山鹿流兵学は会津藩の山鹿素行(やまがそこう)によって作られたもので、29代松浦鎮信は山鹿素行と同い年で江戸で交流があったため、その後山鹿素行の弟と孫を平戸に招き山鹿流を学びました。城内の石垣には寒竹の群生がありますが、これは戦争中は根元から鋭利に刈り取って敵の侵入を防ぐために用いたと言われます。

青空と青い海に映える白い天守閣

櫓をくぐり、すぐ左手にある石の階段を登ると天守閣が見えてきます。この立派な天守閣は平戸市によって復元されたもの。平戸城の白壁は青空と海に映えて大変美しく見応えがあります。また、夜にはライトアップされ、時期によってプロジェクションマッピングなどのイベントも実施。

桜の頃もまた美しく大勢のお花見客でにぎわいます。お城前の顔出しでは茶目っ気たっぷりの記念写真ができますよ。

天守閣の展示室は長崎らしい品々でいっぱい

アジア貿易の要として栄えた平戸には珍しい陶器や貴重なゆかりの品、撮影用の甲冑や城スタンプなども充実しています。

撮影用の甲冑でポーズを決めよう

入城すると窓口の右手には、紙製の甲冑やおもちゃの刀などが置いてあり、自由に身につけて撮影を楽しめます。これは着用して外に出て天守閣とともに撮影するためのもの。平戸城の美しい天守閣と勇ましい甲冑姿の写真は、五月のこどもの日の記念などにも大変人気があります。

ただし、甲冑をつけたままで天守閣の中を歩くのは禁止ですのでくれぐれもご注意を。

静かなブームの城スタンプ

平戸城は狸櫓と北虎口門が現存している日本100名城のひとつ。現在、日本城郭協会が日本100名城のスタンプラリーを行なっています。専用のスタンプ帳に100城のスタンプを集めると、日本城郭協会が100城達成と認定してくれますよ。平戸城のスタンプ台は2階に上がる階段の踊り場に設置されています

東アジア貿易の拠点だった平戸

鎖国中の江戸幕府から唯一貿易を許可されたオランダの東インド会社は、1609年に平戸でオランダ商館を作ったことで知られています。平戸は当時から東アジアの貿易拠点であり、東インド会社のマークであるVOCがデザインされた皿は佐賀県有田町で作られた有田焼の陶磁器です。

オランダ商館は1641年に長崎の出島に移転しました。その後幕府によって一時は破壊されたものの、現在は平戸オランダ商館として復元され国指定史跡となっています。ほかにも平戸城には長崎らしく海外との交流に関する展示品が多くあります。特に隠れキリシタンの品々や遣唐使船の模型、神功皇后の朝鮮出兵時の刀などが見どころです。

長崎古版画が面白く興味深い

城内の長崎古版画のコーナーには、様々な国と交易があった当時の長崎を知る貴重な資料が展示されています。中国人、朝鮮人、沖縄人、オランダ人、ロシア人の特徴を描き分けた版画や象やダチョウが長崎にやってきたときの版画など、面白いテーマの版画が数多くありとても楽しめますよ。

これらの版画は1644年から1870年にかけて土産用に作られたもので、現存しているものは極めて少ないそう。土産用の版画なので落款も作者のサインもありませんが、とても味わいがあります。

平戸城と明治天皇との間には深い縁があった

松浦家の愛子姫は明治天皇の祖母であり、大正天皇の里親でもあったことで有名な平戸城の姫君です。

明治天皇の祖母で大正天皇の里親でもあった愛子様

34代の藩主である松浦清の第11女・愛子姫の嫁ぎ先は京都の中山大納言家でした。愛子様と中山大納言の間に生まれた慶子(よしこ)姫は、その後宮中に仕える女官となりましたが、孝明天皇の典侍として仕えていたところ、天皇の子供を懐妊。その後中山家に戻り祐宮(さちのみや)を出産しています。その祐宮こそが後の明治天皇です。 

明治天皇の産着はおめでたい柄が織り込まれている

皇子誕生の知らせと共に、孝明天皇から中山家に贈られた御七夜産着。美しい衣には天皇家の家紋と松・竹・霊亀・鶴というおめでたいデザインが織り込まれています。孝明天皇の皇子であり、後の明治天皇となる祐宮(さちのみや)は5歳になるまで愛子姫の嫁ぎ先である中山家で過ごしたそうです。

孝明天皇には他に男の子が産まれなかったため、祐宮は位の高い女御の実子ということにされ、睦仁という名になり後に明治天皇となりました。

愛子様は大正天皇の里親でもあった

平戸城から京都の中山家に嫁いだ愛子様。彼女は二男一女の母となり、娘の慶子姫が出産した孝明天皇の御子を5歳頃まで里親として養育し、また、大正天皇の養育にも携わったことで有名です。天皇は愛子様と中山家で過ごした質素な日々を大変よく覚えていたそうです。

天守閣からの絶景を堪能しよう

平戸城の天守閣は高台にあるため、平戸市街や晴れた日には玄界灘まできれいに見渡せる絶景スポットです。

見奏櫓と懐柔櫓の後ろに広がる青い海

天守閣に上がると見奏櫓(けんそうやぐら)と懐柔櫓(かいじゅうやぐら)の向こうに、赤い平戸大橋が印象的な平戸市街の眺望を楽しむことができます。ここは晴れた日には遠く玄界灘まで見渡すことができる絶景スポット。

見奏櫓には陶磁器や火縄銃などが展示されていて、現存品がとても少ない中野窯の器もあるので必見です。懐柔櫓には入ることはできませんが、懐柔櫓の前には相撲の土俵が置かれています。

対岸に白いオランダ商館

天守閣の手すりは大変低く、大人の腰以下の低さなので海風が強い日には落ちそうになるのでご注意を。 ここからは平戸城が三方を海で囲まれていることが目視でよくわかります。対岸に白いオランダ商館が見えますが、近年できた平戸文化センターの赤い屋根が少々景観を邪魔している感じもして少し残念です。

また、オランダ商館の方から平戸城を見ると、青い海に浮かんだ山の上に白い城が映えて大変美しく見えますので、ぜひ見てくださいね。

平戸城へのアクセス

車でのアクセス

佐世保駅から国道204号線を経由し、平戸城まで50分ほどで到着します。本土の平戸市田平町からは平戸大橋を渡り平戸島へ。そこから市街地方面に3分ほど進み、猶興館高校入口の歩道橋を潜ります。右手に平戸城入り口と書かれた看板があるので、道沿いに進んで到着です。

駐車場は、細い坂道を登る途中に右手に数台分の駐車場がありますが、そこよりも、通り越して左手テニスコートを過ぎたあたりの亀岡公園グランド駐車場が便利です。

住所|〒859-5121 長崎県平戸市岩の上町1458
営業時間|午前8時30分~午後5時30分(入館は午後5時まで)
定休日|12月30日、31日
電話|0950-22-2201
公式サイトはこちら

まとめ

海に囲まれた美しい平戸城巡り。明治天皇大正天皇との縁も深く江戸時代の異国交易の品々の貴重な展示をはじめ、見所がたくさんあって名城ファンにも人気がある理由がよくわかります。長崎県に行く際にはぜひ立ち寄ってみてください。

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