織田信長が建てた安土城跡!静かな城跡で歴史ロマンを感じよう

公開日:2019/4/12 更新日:2019/12/27

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滋賀県出身。滋賀県の楽しいところや魅力の記事を書いています。1人でマイペースに旅したり美味しいものを食べ歩くのが好きです。
安土城は焼かれる前も焼かれた跡も感動もんやな

本能寺の変でこの世を去った織田信長の最後の居城安土城。石垣の上に天主閣が建った初めての城であり、その後の築城に大きな影響を与えたものです。現在では石垣などの一部の遺構だけしか残っていませんが、当時の琵琶湖畔の安土山に建っていた天主閣の豪華絢爛さは宣教師の文書に残されています。

ただし本来の姿は、いまだ研究の余地がある謎も残す城跡。そんな戦国時代に終焉を伝えた魅惑の安土城を紹介します。

安土城を建てた織田信長と本能寺の変

近世城郭のモデルとなった安土城

標高約200メートルの安土山に建っていた安土城天主閣。織田信長が1576年(天正4年)に築城したもので、当時は琵琶湖畔にあったといわれています。日本で初めて完全に石垣の上に建てられた天主閣をもつ城で、その後の近代城郭に大きな影響を与えています。

また通常城主は御殿に住み、攻められた場合の最終防衛地点としての役割をもっていたのが天守閣。しかし信長はそこを住居としてしました。そのため安土城の場合は天守閣ではなく天主閣と呼ばれています。

本能寺の変と山崎の戦いなどが相次いだあと、安土城の天主閣は炎上し廃城。そのため資料が少なく、天主閣の姿はいまだ研究段階です。ただ残されたものから5重6階地下1階で、朱色の八角堂で最上階は金だったといわれています。

天下統一を目指した織田信長

戦国時代の武将の中で、もっとも人気が高い織田信長。1534年織田信秀の嫡男として生まれ、幼名は吉法師。跡を継いだ際は尾張一国の戦国大名したが、桶狭間の戦いで駿河の今川義元を撃破。天下布武を掲げ国内統一を目指していきます。

幼いころはうつけもの、武将として名を上げたあとは鬼や残虐非道の性格と後世の世には伝えられましたが、最近の研究では違う見方も多く出てきています。共通点は、前例に流されない合理主義というもの。美的感覚に優れたアーティストのような人物だったともいわれています。

謀反による織田信長が討たれた本能寺の変

天下統一を目前にして、織田信長が家臣の明智光秀に京都本能寺で討たれたのは1582年(天正10年)。そのあと天下統一は、やはり家臣で明智光秀を破った羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)、盟友徳川家康へと受け継がれていきます。

志半ばで命が断たれた悲運、また本能寺からでなかった遺骸の行方などさまざまな謎も残した本能寺の変。そんなミステリアスなところも信長人気の高さの秘密にもなっているのでしょう。

安土城跡は日本一の城跡と絶賛

焼失し廃城となったため、残されているのは石垣や礎石のみとなっている安土城址。しかしその石垣などからはスケールの大きさがうかがえるだけでなく、復興された建物がない事が逆に歴史ファンの想像を膨らませる事につながっているようです。これ以上ない城跡と絶賛されるのは、それぞれの安土城の姿がもてるからなのでしょう。

想像ふくらむ安土城跡

安土山のふもとの春はお花見スポット

安土城が焼失した際、織田信長が作り出した城下町も焼かれてしまいました。そのためここに巨大な城があったとは思えないほど現在は静かな町です。

ただ町の繁栄は消えても、自然は残りました。安土山のふもとには約400本のソメイヨシノがあり、4月上旬の見ごろを迎えると多くの花見客が訪れてきます。白とピンクのコントラストが、とても美しい季節です。

ずっと続く階段と石垣

大手門から、幅約6メートル長さ180メートルの石段が山頂の天主閣まで続いています。戦国期の城は敵の侵入を防ぐため門からの道は曲がりくねっているものが多く、安土城は異例なレイアウトとなっています。

一説には天皇を迎えるための道だったとも。神をも恐れぬ覇王という織田信長のイメージを変える説となっています。石垣が積まれている石段の両脇には、かつて信長の家臣団の屋敷があったそうです。



安土城跡に着くまではまるで登山

天主閣へと続く石段は、登山だと思った方がいいでしょう。その証拠に、入り口では無料で天然木の杖が貸し出されています。強がったりせず借りて歩きやすい靴で向かいましょう。また石段も史跡の一部という事を忘れず歩きましょう。途中トイレなどの施設はないので注意してください。

安土城跡に到着

石段を登りきって現れるのは、家臣の邸宅跡や二の丸、本丸跡。もちろん建物はありませんが、礎石が並んでいます。周囲に大きな建物がないだけに、まるでタイムスリップしたような雰囲気に包まれます。木々に囲まれたこの地に立ち、織田信長のいた時代に思いを馳せてみましょう。

山頂からの絶景は爽快

春は桜、秋には紅葉が見られる安土山。山頂から見渡す町は田園が広がる田舎町の風景で、遠くに見える山々の姿も含め近代的ではありません。織田信長や家臣に豊臣秀吉が見た風景と、それほど大きな違いはないでしょう。だからこそ安土城址は見る価値があるのです。

安土城跡の観光なら摠見寺もおすすめ

信長創建の摠見寺

安土城内にある織田信長創建の摠見寺(そうけんじ)は、臨済宗妙心寺派の寺院。安土城を建立した際、自らを神として祀るために建立したといわれています。三重塔や仁王門など重要文化財に指定されており、見どころも多くあります。

摠見寺に入ってみよう

撮影は禁止ですが、寺内には織田信長の像があります。そのほかの部屋や襖絵は美しく、まるで時代劇の世界。安土城跡から出てきた金箔瓦も展示されています。安土城とほぼ同時期に建てられたお寺だけに、当時の栄華を感じさせてくれます。

お茶室で休憩

織田信長自身も茶の湯をたしなみ茶器の収集をしていたのは有名な話。ゆかりの総見寺には当然のようにお茶室があり、お抹茶とお菓子をいただく事ができます。お菓子は住職自慢の手作りようかん。庭園を眺めながら抹茶と甘いようかんで、ほっと一息つける場所です。

安土城跡へ観光なら博物館や資料館も行こう



原寸大で再現安土城天主信長の館

安土城址から東南に徒歩で約30分いった場所に、天主閣の上部が実寸で再現展示されています。朱と金の豪華な城の華やかさは、歴史の好き嫌いを超越する美しさです。1992年に開催されたセビリア万国博覧会の時にも出展されました。

Address 〒521-1321 滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800
Hours 9:00 am - 17:00 pm
Closed 毎週月曜日
Tel 0748-46-6512
Web http://www.azuchi-shiga.com/n-yakata.htm

近江の考古を伝える滋賀県立安土城考古博物館

安土城天主信長の館のすぐそば、城跡や遺跡がある歴史公園にある安土城考古博物館。安土城だけでなく、戦国大名が競って京から近いこの国を欲しがったといわれる近江の古墳時代から戦国期までの展示品が並んでいます。講座や体験、お茶会など大人が楽しめるもののほか、子ども考古学研究などさまざまなイベントも行われています。

Address 〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6678
Hours 9:00 am - 17:00 pm
Closed 毎週月曜日
Tel 0748-46-2424
Web http://azuchi-museum.or.jp/

安土駅南広場にある安土町城郭資料館

安土駅に隣接しているのが、安土町城郭資料館。20分の1サイズで再現された安土城天主閣の中では信長の人形もみる事ができます。電車で観光に来た場合は、ここへ寄ってから城址へいくとより深く知る事ができるでしょう。

Address 〒521-1343 滋賀県近江八幡市安土町小中700
Hours 9:00 am - 17:00 pm
Closed 毎週月曜日
Tel 0748-46-5616
Web http://www.azuchi-shiga.com/n-jyoukakusiryoukan.htm

安土城跡へのアクセス

電車でのアクセス

JR琵琶湖線安土駅から徒歩で約25分。駅前にレンタサイクルがあります。自転車であれば約10分です。

車でのアクセス

名神高速彦根IC利用の場合は、国道8号経由約40分。竜王ICからは国道8号経由で約20分です。駐車場は総見寺駐車場が無料で利用可能。近江八幡市市営の有料駐車場もあります。

Address 〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
Hours 8:30 am - 16:00 pm
Closed なし
Tel 0748-46-6594
Web http://www.azuchi-shiga.com/n-adutijyouato.htm

まとめ

世界でもまれな建造物として、宣教師が世界に伝えた安土城。豪華絢爛な天主閣をもっていたといわれますが、その全容はいまだはっきりとはわかっていません。築城した織田信長も彗星のように戦国時代に現れ呆気なく49歳で生涯を終えましたが、その死にも謎が残されています。

そんなミステリーの多い織田信長と安土城だからこそ、人気なのでしょう。理由はわかりませんが、江戸時代に入っても手つかずとなったため建物はなくても景観は当時の面影を残すもの。それがより想像力を膨らませる、そんな城址です。