革命家レーニンを想い建国の歴史を辿る旅へ

公開日:2019/4/23 更新日:2019/10/18

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外語大を卒業した後に東欧身の外国人と国際結婚し、国内外を問わず知らない国や地域に訪れるのが好きです。一眼写真が趣味の主人と現地で出会う人との会話や食事、地域に根差す文化を自由に楽しむ無計画旅行がメインスタイルです。出身である神奈川県を中心に、関東周辺やヨーロッパに関する記事を執筆しています。
レーニンが眠るレーニン廓とロシア革命ゆかりの地をご紹介

ロシアで最も有名な観光地である赤の広場にあるレーニン廟。レーニンの遺体を眼前にする事ができます。ここでは、レーニン廟の見学方法に関する情報や、赤の広場の見どころについて詳細にお伝えしていきます。

ソ連建国の父と呼ばれるレーニン

ロシア史に大きな影響を与えた革命家

レーニンというのは彼のペンネームであり、本名はウラジミール・イリイチ・ウリヤノフと言います。彼は1870年に生まれ、1924年に亡くなりました。ロシア十月革命をリーダーとして主導し、社会主義の政権を誕生させる事に成功した革命家です。コミンテルンというインターナショナルな社会主義組織を作り、自由市場を一部分だけ認めた新経済政策であるネップも開始しました。

建国の父が眠る霊廟・レーニン廓

レーニンを弔う施設が赤の広場にある

1924年にレーニンが脳梗塞で亡くなった際、赤の広場に木造の遺体安置所が3日間で急造されました。これは、全国から彼の弔問をする人々のためのものです。1930年にはこの急造の遺体安置所が石造の恒久的な施設となり、今に至ります。レーニンの遺体には、ホルムアルデヒドが主成分であるバルサム液という防腐剤で保存処理が成されています。

厳かな雰囲気のレーニン廟

レーニン廟の入り口には、ЛЕНИН(レーニン)と大きく刻まれています。いかにもお墓らしいほの暗くひんやりとした空間に、ガラスの棺に安置されたレーニンを見る事ができます。この霊廟の裏には、スターリンのようなロシアを語るには欠かせない人物のお墓もあるので、そちらもチェックしておきましょう。

入場する際の注意点

入場可能な時間は制限されており、夏季や休みの日にはたくさんの人が列をなしています。写真を撮る事はできず、私語も厳禁です。自分のペースでゆっくち立ち止まって見る事もできません。定められたルールを守って見るようにしましょう。

赤の広場の一角にあるレーニン廟

モスクワを代表する観光地・赤の広場

赤の広場はロシアで一番と言ってもいいほど有名な観光地で、レーニン廟もこの敷地内にあります。この広場は、かつてモスクワの中心地として栄えました。その大きさは長さ700メートル、幅が130メートルとかなり広い場所です。18世紀に武装蜂起を起こした民衆がこの広場に集まったり、コサックの乱のリーダーであるステンカ・ラージンが殺された場所であったりとロシアの歴史において重要な場所だったのです。



赤の広場は城前市場が起源

赤の広場の起源は、元老院を含むクレムリンという宮殿の前で、城前市場が開かれた事にあります。1493年に発生したモスクワ大火の後、イワン大帝がクレムリンとモスクワ市街の間に鍛冶対策として防火帯を置いた事で、現在の赤の広場の原型が出来上がりました。1780年代には、そこにあった木造の建物が取り壊され、広場として再構築されたのです。

赤の広場は必見スポットがたくさん

聖ワシーリー寺院は1561年に建てられた寺院で、カザン・ハン国に勝利した記念に建設されました。国立歴史博物館はロシア国内で見ても最大級の博物館で、壁は赤レンガ、屋根は白の建物がユニークです。グムという老舗の百貨店では、さまざまなモスクワのお土産が手に入るので、ぜひ立ち寄ってみてください。

レーニンの出生から晩年までを追う

生まれ故郷・シンビルスク

レーニンは17歳までシンビルスクを生活の拠点にしていました。かつてシンビルスクという名前だった場所は、現在レーニンの本名に由来するウリヤノフスクという名前に変わっています。ウリヤノフスクはモスクワから東へ行く事900キロメートルの場所に位置しており、産業の街です。

シンビルスクでの暮らし

レーニンの父は学者として名を馳せていた人物であり、レーニンは上流階級の家に生まれました。5人兄弟で5人とも革命家として活動しており、レーニンはだんだんマルクス主義にのめりこんでいきました。1887年にはロシア皇帝の暗殺の関係者として、兄が絞首刑で殺され、姉がロシアから追放されました。

ペテルブルク大学(現サンクトペテルブルク大学)を卒業

この大学は1724年にピョートル大帝によって建てられたロシアで最も古い大学です。ロシア国内において、モスクワ大学に次ぐ2番目の難関校として知られています。この大学の卒業生にはレーニンだけでなく、元素周期表を生み出したドミトリ・メンデレーエフや現在の大統領であるウラジミール・プーチンがいます。

ロシア革命を主導したレーニン

ロシア十月革命により、ソ連が誕生

レーニンは労働者階級であるプロレタリア階級による国家を目指し、労働者や兵士を動かしました。二月革命の時にできたロシア共和国の臨時の政府が壊滅し、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を建国しました。この人民委員会議議長になったレーニンは実質的に国のリーダーであり、世界で初めての社会主義国家の統率者に就任しました。



ペテルブルグの冬宮殿を制圧

かつてはロシア帝国の政府官庁としての機能を持っていましたが、レーニンが十月革命でこの宮殿を制圧しました。この宮殿はロシア皇帝が冬季に滞在するための宮殿として1750年から1760年代にかけて作られました。現在は、エルミタージュ美術館として活用されているので、ぜひ訪れてみてください。

現在のエルミタージュ美術館

かつてはロシア皇帝が冬の間過ごす場として作られたので、それぞれのホールは非常に豪華な作りになっています。紀元前4000年ごろの古代エジプトのものから、20世紀に活躍したマティスやピカソの作品まで展示されています。館内には300万点を超える作品が集められており、世界四大美術館の一つにも名を連ねているほどです。

Address Palace Square, 2, Sankt-Peterburg 190000
Hours 火木土日AM10:30-PM6:00 水金AM10:30-PM9:00
Closed 月曜日
Tel +7 812 710-90-79
Web https://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/?lng=ja

晩年に養生していた町ゴールキ・レーニンスキエ

この街には18世紀以降に、貴族の別荘地として豪華な邸宅が立ち並びました。レーニンは十月革命のあと、ここに別荘を建てた事で知られています。この別荘は、レーニンが亡くなったのちにレーニン博物館として使われています。

レーニン廓(赤の広場)へのアクセス

飛行機・電車でのアクセス

成田空港から行く場合は、シェレメチェヴォ40空港までおよそ10時間半で到着です。空港から赤の広場の最寄り駅であるAleksandrovsky Sad駅に行くには、列車で約40分です。

まとめ

偉人の遺体が展示されているという場所は、世界的に見ても珍しいスポットです。レーニンはソ連やロシアの歴史に欠かせない人物なので、彼について学ぶ事はロシアについて学ぶ事につながります。レーニンの名前が由来になっている地名が多いのも、そのためです。レーニン廟や赤の広場を訪れる前に、ロシアの偉人や歴史について予習しておくと、より楽しむ事ができるのでおすすめです。