館林城は城沼を天然の要塞とした城。歴史に思いを馳せ散策しよう

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トラベルパートナー: Yoshino

出身地は富山県。在住経験のある北陸・北関東の記事がメインです。読書が趣味なので、好きな作家に縁のある土地や小説の舞台となった場所を旅しています。

復元された土橋門のあたりを中心に巡るとよかんべ

現在の群馬県館林市にあった館林城。戦国時代からあった城ですが、江戸時代徳川四天王の榊原康政が近代城郭に造り替え、天守閣をそなえた城としました。また徳川綱吉が5代将軍になる前に藩主となった土地であり、その後も6代将軍家宣の弟清武が城主となるなど、徳川家と縁が深い城です。

現在は市役所などが跡地に建てられ、史跡は少ないですがそれでも見どころはあります。そんな館林城址を紹介します。

現在城跡には市の施設が建つ

群馬県は鶴が舞う形といわれています。その鶴の頭の部分にあるのが館林市。江戸時代のこの地は館林藩、そしてその藩主の居城となっていた館林城がありました。15世紀末に築城され、そのあと榊原康政によって近代城郭に建て替えられましたが、明治時代の火災により焼失。

現在城址には、市役所や市立図書館、文化会館などの施設が建ち、遺構は一部の土塁や復元された土橋門が残されているのみです。

尾曳城の伝説

築城時期には諸説ある館林城。もっとも有力な説は、この地を治めていた豪族、赤井照光によって築城されたというものです。その赤井照光が、子ぎつねを助けるとお稲荷様の化身の白きつねが現れ、尾で城の縄張りを曳いて教えてくれたという伝説から、尾曳城(おびきじょう)とも呼ばれています。

天然の要塞城沼に囲まれた平城

現在は城址の東側に残るのみですが、往事は城沼に囲まれた低い台地にあった館林城。本丸、二の丸、三の丸まである、城沼を天然の要塞とした平城でした。榊原康政が配置されたように、北関東の要所として江戸を守る役割を果たしていた城です。

かつての土橋門の周辺

赤井氏が築城した館林城ですが、越後の上杉氏が攻略。さらに北條氏、武田氏がこの地を巡って奪い合いを繰り広げますが、豊臣秀吉によって北條氏が滅ぼされると、関東は徳川家の領地になります。それに伴い1590年(天正18年)榊原康政が10万石で城主となったのです。

今も残る土塁

榊原康政の系統が3代の支配で終わったあとも、当時将軍の弟だった徳川綱吉や6代将軍家宣の弟松平清武など、親藩、譜代と徳川家に近い大名が城主となった館林城。江戸時代最後の城主は譜代大名の秋元氏です。

明治になり廃藩置県となり、廃城となったあと、火災で焼失してしまいます。そのため現在残るのは、本丸、三の丸の土塁の一部や、復元された土橋門など。それらは当時をしのばせる数少ない史跡です。

復元された土橋門

城の内部への入り口となり、三の丸へ続く土橋門。最後の館林城主であった秋元家によって、大正時代に復元されましたが崩壊。現在の土橋門は、1983年(昭和58年)に修復されたものです。防御用の黒色の鉄板が打ちつけられている事から、黒門と地元では呼ばれています。

ふるさと自慢百選にも選出

焼失した館林城の当時の姿を思い起こさせる建造物は、土橋門ぐらいしか残されていません。復元されたものとはいえ、現在も館林城のシンボルとなっている土橋門。もっとも写真映えするスポットであり、市のふるさと自慢百選にも選ばれています。

土橋門の内側へ

現在の土橋門が建つ場所は、館林市の一般の市街地。門の内側の扉から外をのぞくと、右手には公園があり左側にはアパートが建っています。まるで現代と江戸時代のタイムマシーンの入り口のような、不思議な場所にもなっています。

内側から見た土橋門

土橋門の内側は、守りが厚い枡形となっています。もともと内堀に土橋が架けられていた事から、土橋門と呼ばれるようになったといわれています。城の正門として使用されたものではなく、通用門として存在していたもの。

復元された土堀

山型になった土塁が、土橋門の内部に復元されています。この土塁はこんもりと盛り上がり、目隠しの役割を果たしていたもの。長方形の小さな鉄砲狭間が開いているのがわかる、土塁の上に立つ土塀も復元されたものです。

水に囲まれた城の復元された井戸

城沼に囲まれた要塞だった、館林城。かつては戦の籠城にそなえて、門の周辺には3つの井戸がありました。そのうちのひとつの井戸が復元されています。復元されたものであるためか、外観は江戸時代のもののように見えますが中をのぞいても深くはありません。

緑が豊かな広場で軽い散歩を楽しむ

多くの気が植樹されている、土橋門から続く土塁で囲まれた広場。土橋門の外側から、広場の前を通り土塁沿いに一周すると門の内側に着く事ができます。季節ごとの木々の色の移り変わりや今も残る土塁を見ながらの、一周約5分の短い散歩コースです。

こじんまりとした緑の美しい三の丸庭園

土橋門から入り、南に向かって歩いていくとつくのがかつての三の丸です。現在は文化会館の裏手になる三の丸庭園は、こじんまりとはしているものの緑の美しさが映える庭園。ここから東へ向かうと、二の丸、本丸跡へいく事ができます。

広場となっている本丸跡地にはわずかに残る土塁

かつて本丸のあった場所は、現在市役所と向井千秋記念子ども科学館に挟まれた辺りです。その面影を残すのは、一部の土塁のみ。広々とした芝生と緑に囲まれた広場からは、ここに大名や家臣たちが行き来した本丸を思い浮かべるのは難しそうです。

館林城へのアクセス

車でのアクセス

東北自動車道館林ICから、国道354号線、県道304号線、県道7号線を経由し約10分です。市役所の駐車場を無料で利用できます。

電車でのアクセス

東武伊勢崎線館林駅より、館林城址まで徒歩約15分。バスを利用する場合は、館林駅より乗車し館林市役所で下車すぐです。

住所|〒374-0018 群馬県館林市城町
営業時間|随時
定休日|なし
電話|0276-74-4111
公式サイトはこちら

まとめ

江戸時代に入り、徳川家康の側近榊原康政が入城し近代の館林の基礎を築いた街づくりを開始。その後も5代将軍徳川綱吉の居城ともなった館林城は、徳川家と縁が深い場所です。多くの城跡がそうであるように、市役所などの施設利用地となり痕跡をほとんど残さない館林城。

しかしそんな城址から、わずかでも当時の名残を探すのは、歴史好きにとって楽しい散策でしょう。

もし子供がいるのなら、宇宙飛行士の向井千秋記念子ども科学館など楽しめる場所もあります。ファミリーでいき、そんな施設を利用しながら休憩する時に本丸跡や土橋門などを見て、ここに城があったのだと話をするのもいいものではないでしょうか。