チェコの世界遺産「プラハ歴史地区」の歴史を絶景写真と共に紐解く

wondertripでは様々な世界遺産や絶景を紹介していますが、世界各国の「歴史地区」も、人気の世界遺産として認知されています。そこで、歴史地区のもつ「歴史」についてクローズアップするシリーズを開始しました。中世ヨーロッパの雰囲気を色濃く残し人気の観光地であるチェコ「プラハ歴史地区」について、絶景写真を眺めながら過去に思いを馳せてみませんか。

プラハ歴史地区ってこんなところ

プラハ歴史地区ってこんなところ

Historic Centre of Pragueの住所・アクセスや営業時間など

名称 Historic Centre of Prague
住所 Široká, Praha, Česká republika
営業時間・開場時間 施設による
利用料金や入場料 施設による
参考サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%9C%B0%E5%8C%BA
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

様々な民族が出入りしたチェコの首都プラハの起源

様々な民族が出入りしたチェコの首都プラハの起源
チェコ発祥の地は伝説によると、ヴィシェフラドという、プラハの少し南にあった地域であるといわれています。
紀元前500年ごろにこの周辺にあった「ヴルタヴァ川」流域に住んでいたケルト人の一部族に、「ボイイ族」が定住していました。
このことから、ボイイ族の土地という名前を持つ「ボヘミア」という地名がついたのです。

欧州の中心地として、様々な民族が征服しては滅ぼされ、出入りをしました。
10世紀頃、ハンガリー系民族「マジャル人」がこの地を征服し、ボヘミアに王国を作ったところから、本格的なプラハの長い歴史が始まります。

プラハ歴史地区は、11世紀から18世紀にかけての歴史的建築物の数々が登録されていますが、まさしくプラハの歴史のスタートが今も保存されているわけです。

カレル四世(カール四世)の誕生

カレル四世(カール四世)の誕生
プラハは、10世紀半ばにはすでに外来商人で賑わう交易地として栄えていました。
またドイツ系民族の移住も進み、ドイツ文化が浸透します。
12世紀頃には、人口が一万人にも及ぶアルプス以北にあるヨーロッパで最大級の都市に成長しています。

14世紀になると、ルクセンブルク家のもとに新たな王朝が開かれました。
この頃が中世でプラハが最も栄えた時代!

プラハの歴史で忘れてはならない人物は、国王カレル四世(在位1346―1378年)です。
フランスの王家と親戚で諸国との強い繋がりと教皇庁にも縁があり、神聖ローマ皇帝という高い地位にまで上りつめました。
1346年選挙侯によってドイツの4代目の王に選ばれ、父ヨハンの戦死後チェコの王も引き継ぎました。
1355年のローマ遠征でついに皇帝の座を手中に収めました。

カレル四世の功績と王朝の衰退

カレル四世の功績と王朝の衰退
カレル四世は頭のきれる君主で、チェコ、ドイツ、フランス語など5ヶ国語を自由に扱い文化人との交流も深かったようです。

カレルはヨーロッパ中から芸術家を集めて、皇帝のいる都にふさわしい街として、パリの街をモデルに「ヨーロッパで最も美しい」といわれるプラハの街を造ったのです。
なるほど、彼らしい文化への造詣をもとに、最初からセンスのよい街を作ろうと思ってプラハが出来たわけですね。

川の右岸にある旧市街地を取り囲むように新市街地を、左岸のお城の下には小市街を造り、複数の市街地から形成される複合都市を造りました。
銀山の開発、教会や修道院、プラハ城、カレル橋などを建設し、貧困に苦しむ人々を救済するため壁を作るなど偉業を遂げています。

プラハを独立国家に導き、1356年に最初の帝国法の金印勅書、中欧最古の大学建設も彼の功績です。

宗教紛争時代から三十年戦争へ

宗教紛争時代から三十年戦争へ
15世紀に入るとフス派とカトリックが対立し宗教紛争時代へと突入。
神聖ローマ皇帝の地位がなくなり国際的地位も低下し、1437年にはルクセンブルク家も断絶しました。

オーストリアのハプスブルク家が王家となった時代には、神聖ローマ皇帝とボヘミア王を兼ね政治や文化の中心として発展します。
1575年にはルドルフ二世に引き継がれ文化や芸術を保護したので、プラハは文化的に栄えました。
絶えない紛争のなかでも、重要な文化財は守ろうと努力されていたことがわかります。

ボヘミアではプロテスタントが勢力を増し、皇帝のカソリックと対立が絶えなくなります。
1618年にプラハの市庁舎で代官が民衆に窓から投げ落とされる事件が勃発し、三十年戦争(1618-1648年)が始まりました。
諸国を巻き込んだ戦争で、ボヘミアとドイツでは500万人が命を落としたほどの戦争でした。

1648年に終結しましたが、名門ハプスブルク家が弱体し、ヨーロッパは王権国家乱立時代へと突入します。

戦争が終わり新たな発展期へ

戦争が終わり新たな発展期へ
17世紀に入り宗教紛争も終結し、ハプスブルク家も安定期を迎えます。
王に代わって貴族たちが実権を握り始めます。
大きな貴族屋敷やバロック様式の教会があらゆるところに建ちました。

その後フランス革命やナポレオン戦争などヨーロッパ混乱期へと激動の渦に巻き込まれていきます。

かつて、プラハと共にハプスブルク帝国の3都と呼ばれたウィーンやブタペストは第二次世界大戦で大きな被害を受けてしまいました。

しかし、プラハは旧市庁舎などの一部を除いて奇跡的に、中世の街並みが無傷に近い状態で残っています。
「プラハの春」(1968年に起こったチェコスロヴァキアの変革運動)など悲しい経験も乗り越え、中世でヨーロッパ一の繁栄ぶりを誇った街並は今も健在です。

奇跡的に残った歴史地区

プラハ歴史地区の歴史を、かんたんではありますが振り返ってみました。
14世紀頃に活躍したカレル四世(カール四世)の存在が大きいこと、ひとりのカリスマによる国の運営がいまに影響を与えていることを思うと驚きます。
プラハ歴史地区をただ美しいと見た目に感動するだけでなく、その歴史的価値も味わってみてください。
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