人類史でも類稀なるの複雑な地区「エルサレムの旧市街」の歴史まとめ

世界遺産に登録されている「エルサレムの旧市街とその城壁群」は、現在はイスラエルが首都と主張している場所ではあるものの、国際的な紛争が続いている地域でもあります。危機遺産リストにも登録されています。複雑な歴史ですが、簡単にまとめてみました。

エルサレムの旧市街とその城壁群ってこんなところ

エルサレムの旧市街とその城壁群ってこんなところ

エルサレム旧市街とその城壁群の住所・アクセスや営業時間など

名称 エルサレム旧市街とその城壁群
住所 Jerusalem, Israel
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%97%A7%E5%B8%82%E8%A1%97%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%9F%8E%E5%A3%81%E7%BE%A4
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

3つの宗教の聖地とされるエルサレムの始まり

3つの宗教の聖地とされるエルサレムの始まり
城壁に囲まれたエルサレム旧市街は、1㎢ほどしかない小さな城郭都市。
世界三大宗教の聖地が集っているため、「世界でもっとも聖なる都市」とも呼ばれています。
聖地はイスラム教の「岩のドーム」、ユダヤ教の「嘆きの壁」、キリスト教の「聖墳墓教会」の3つです。

三大宗教の聖地をめぐり、3000年にも渡る民族と宗教間の抗争を繰り広げました。
今でこそ、歴史観光地として時空間を越えて旅することができる聖地ですが、迷路のような街を巡ると何か新鮮な気持ちになれるのは、ここが3つの神聖なる地だからでしょうか?

市街地は、紀元前997年にダビデ王(在位前1000年ごろ~961年)により建国されたイスラエル統一王国の首都でした。

後を継いだソロモン王(在位前971年ごろ~931年)が、紀元前963年にソロモン神殿を建立し、有名な神がモーセに与えた律法の石版を収めた「契約の箱」が安置されユダヤ民族の聖地となりました。

ユダヤ人初の王国の首都。1つ目の宗教「ユダヤ教」の聖地となる経緯

ユダヤ人初の王国の首都。1つ目の宗教「ユダヤ教」の聖地となる経緯
ソロモン王が亡くなると王国は、南北2つに分裂します。
イスラエル王国は紀元前722年にアッシリア(現在のイラク)に、南部のユダ王国も紀元前586年に新バビロニア王国(メソポタミアからシリア)によって滅ぼされ、ソロモン神殿も破壊されました。
この時ユダ王国の人々はバビロンへ連行されています。
「バビロン捕囚」と呼ばれる事件で、70年間に渡る流刑に処せられました。

紀元前538年に、新バビロニア王国がペルシアのアケメネス朝によって滅ぼされた後、やっと解放されています。
紀元前515年ごろエルサレムで神殿(第二神殿)を立て直すことが許され、これを機にユダヤ教が成立しました。

この時に建てられた神殿はとても美しく壮大なものだったようです。
ユダヤ人はエジプトやシリアなどの周辺国に支配され、紀元前140年ごろにハスモン朝を設立して神殿も大改装されています。

「エルサレム神殿」はローマ軍によって放火されほぼすべてを失った

「エルサレム神殿」はローマ軍によって放火されほぼすべてを失った
ローマの後ろ盾もあり、エムド人のヘロデ王(在位紀元前37年-4年)がヘドロ朝を設立しました。
彼の死後はほとんどの領地がローマ直轄領になり、一端支配地を取り戻しますが、ローマの管轄下に戻されます。
ローマの支配に対するユダヤ人の反感心が強くなり、2度に渡るユダヤ戦争が勃発します。
一次ユダヤ戦争に敗北し、70年にエルサレム神殿はローマ軍によって放火され、神殿の外壁の西側部分だけが残りました。
これが「嘆きの壁」と呼ばれるユダヤ教の聖地です。
この戦争でユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁じられます。
この戦争の後はローマ帝国の支配が続きます。
ハドリアヌス帝統治の時代に、ユダヤ人は改宗を迫られ、名前もエルサレムからアエリア・カピトリナへと変更されました。
完全にローマ人のための都市に造りかえられています。

132~135年の間に起こった第二次ユダヤ戦争で完全に陥落し、反乱軍は殺戮され生存者は奴隷とされました。

2つ目の宗教「キリスト教」の聖地となるローマ帝国の時代

2つ目の宗教「キリスト教」の聖地となるローマ帝国の時代
313年に皇帝コンスタンティヌス1世(在位306-337年)がキリスト教を公認しました。
320年ごろの皇帝の母エレナの巡礼を機に、再びエルサレムの名に戻されました。
エルサレムで、イエス・キリストが十字架の刑を受けたゴルゴダの丘に、埋葬され蘇ったとされる墓を覆う聖墳墓教会が母ヘレナによって335年に建てられています。
その後破壊と再建が繰り返され、十字軍の占領によって1199年に再建されたものが現在の聖堂です。
主身廊と4つの側廊から成るロマネスク様式になっています。
聖堂内は西洋の絢爛な装飾と十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油を塗布した赤大理石の板があり、深い歴史の重みを感じます。
キリストの石墓やイエスと使途のフレスコ画も必見です。

3つ目の宗教「イスラム教」の支配時代

3つ目の宗教「イスラム教」の支配時代
638年からウマイヤ朝ウマル1世(在位在位634-644年)のイスラム教支配が始まり1099年まで続きます。

ユダヤが造った宮殿の丘にはイスラム教によって、黄金のドームを持つ岩のドームが建てられました。
このドームは、現存する最古のイスラム建築の一つで、八角形の円堂内には壮麗なアラベスク模様とモザイクが輝いています。
外壁には緑と青のペルシア彩軸の美しいタイルで飾られています。

1099~1291年頃にはヨーロッパ各地から十字軍が攻撃し、1099年7月にはキリスト教徒を惨殺。
1187年にクルド人のサラディン(在位1169-1193年)が十字軍を破り、ユダヤ人も住めるようになりました。
1291~1516年まで変遷が続き、1517~1917年までオスマン・トルコに支配されます。

その後の解説は近代史に譲りますが、第二次世界大戦を経て「パレスチナ分割決議」を根拠としたイスラエルの独立や、その直後からの戦争がまたはじまります。

エルサレムに平和が訪れますように…

平和な街という名を持つエルサレムですが、設立後3000年の間に十数回にも及ぶ戦いを繰り広げています。
イスラエルとアラブの関係修復の日が、一日も早く訪れたらいいなと心より思います。