「パナマの歴史地区」の歴史を調べてみたら意外と壮大だった

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。本日は「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区」をご紹介します。この地で起こった政治的な動きにより、南北アメリカの政治・経済協定につながりヨーロッパの干渉から逃れる機運となったということです。

パナマ・ビエホとパナマシティ

パナマ・ビエホとパナマシティ
中米でも最南端に位置する国パナマは、南北アメリカを結ぶ要衝。
首都はパナマシティの旧市街がパナマ歴史地区となっています。
そしてここから7.5㎞ほど離れたところにパナマ・ビエホ古代遺跡があります。
大航海時代の真っ只中の1513年、スペイン人バルボアが初めて大西洋から太平洋側へ到達し、6年後にはパナマに植民地を建設します。
これがパナマ・ビエホでした。
南米への拠点にもなり、1532年にペルーのインカ帝国を制圧したピサロはここを経由していきました。
しかし1671年、イギリス海賊のヘンリー・モーガンにより焼き討ちされ、街は壊滅しました。
その後再建された街がパナマシティとなります。

Archaeological Site of Panama Viejo and Historic District of Panamaの住所・アクセスや営業時間など

名称 Archaeological Site of Panama Viejo and Historic District of Panama
住所 Panama Viejo
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 施設による
参考サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%81%A8%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%9C%B0%E5%8C%BA
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パナマ・ビエホ古代遺跡

パナマ・ビエホ古代遺跡
パナマシティの北東にあるパナマ・ビエホ古代遺跡は、モーガンによる焼き討ちの爪痕を残した遺跡群が残されています。
多くは破壊され一部のみしか姿を見ることはできません。
しかしここには修道院や大聖堂、病院、橋、統治府などがあったのです。
大聖堂の鐘楼は、内部に階段が設置されて昇ることができるようになりました。
鐘楼の上から見える新市街の高層ビル群は、朽ち果てたこの遺跡との対比に驚き ます。
同じ国とは思えないほどですが、得てして旧市街と新市街にはこのような違いが生まれることがあります。
遺跡は徐々に修復されており、緑が多く公園の ような佇まいです。
かつて栄えた街の姿に思いを馳せつつ散策したいですね。

パナマ歴史地区:旧市街カスコ・ビエホ

パナマ歴史地区:旧市街カスコ・ビエホ
パナマシティの旧市街地区はカスコ・ビエホと呼ばれています。
パナマ・ビエホの壊滅後1673年に新たな植民地として建設され、街並みは西洋風です。
特にスペインやフランスの影響が感じられます。
その土地の要素と支配国の要素が入り混じった建築様式はコロニアル様式と言い、ここにもその雰囲気が感じられます。
そのため、中米と言うより気候のいい西欧の街を歩いているような気分になります。
旧市街は独立広場を中心に建造物が集中しており、パナマ政庁舎や大聖堂、修道院などがあります。
街のシンボルである大聖堂は、美しいステンドグラスが有名です。
パナマ・ビエホの鐘楼から移された3つの鐘もここにあります。

サン・ホセ教会の黄金と植民地

サン・ホセ教会の黄金と植民地
旧市街にあるサン・ホセ教会も見逃せません。
巨大な黄金の祭壇はゴージャスの一言。
モーガンによる焼き討ちの際は、この祭壇に漆喰を塗って隠し、略奪を免れたそうです。
現地の人はここで結婚式を挙げることもあるそうで、世界遺産の中での式とはロマンチックですね。
しかしこの黄金は、ピサロが制圧したペルーのインカ帝国から奪ってきたものでした。
南米からヨーロッパへの道はパナマを経由するしかな かったので、自動的に物資などはここへ届いたのです。
いつの時代も金銀財宝は略奪のターゲットになり、世界を巡っていきます。
このような黄金の残り方に も、争いの激しかった植民地時代の様子がうかがえるような気がします。

シモン・ボリバルとパナマ

シモン・ボリバルとパナマ
南アメリカ解放の父と呼ばれ、ラテンアメリカ各国の独立運動の指導者となったシモン・ボリバルは、1826年にパナマシティでパナマ会議を開きました。
独立を果たした中南米諸国が集まり、ボリバルはヨーロッパからの干渉に対する連帯を呼びかけたのです。
この考えは後に南北アメリカの政治・経済協定につながりました。
旧市街にある修道院の一室は、ボリバルが会議の構想を練った場所で、「サロン・ボリバル」と呼ばれ、かつては「サロン・ボリバルのあるパナマの歴史地区」 という登録名で世界遺産となっていたのです。
ここから南北アメリカの連帯につながるアイデアが生まれたと思うと、ひとつの歴史が始まった場所とも考えられ ますね。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区」への渡航をぜひご検討ください。
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