ジブリの舞台としても有名なクロアチア「ドブロヴニク旧市街」の絶景&歴史まとめ

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ドブロヴニク旧市街」をご紹介します。

ドブロヴニク旧市街ってこんなところ

ドブロヴニク旧市街ってこんなところ

ドブロヴニク旧市街の住所・アクセスや営業時間など

名称 ドブロヴニク旧市街
住所 Ragusa
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%83%8B%E3%82%AF
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自由と独立を守り続けた千年の都ドブロヴニクの起源

自由と独立を守り続けた千年の都ドブロヴニクの起源
「アドリア海の真珠」と称されるクロアチアの港町。
ジブリ映画の「紅の豚」や「魔女の宅急便」の舞台として知られています。
オレンジ色で統一された屋根が美しい旧市街地は、要塞を備えた強固な市壁が続き特異な歴史とその景観が人々を魅了する街です。
そんなドブロヴニクが誕生したのは614年。
667年にドブロヴニクはラグーサ共和国と命名されました。
近郊のエピダウルス(現在のツァヴァト)から小島 に渡ってきた人々によって築かれたのが起源です。
西ローマ帝国の崩壊により当初この町は、ローマ人の避難場所になりました。
スラヴ人は旧市街地の北側に、 ローマ人の末裔は南側に住みその間には水路があり、12世紀には南北に分けていた水路を埋め立て合併しています。
現在は華やかなメインストリートで観光名 所のプラツァ通りとなっています。

ヴェネツィア共和国の支配時代

ヴェネツィア共和国の支配時代
旧市街地の市壁は、7~8世紀に建設が始まり15世紀に完成。
領地拡大と共に拡張し四隅には要塞も造られました。
866~867年にかけてはビザンチン帝国(ローマの後継国家)の支配下に下りますが、帝国はこの都市に執着を持たず名目上の支配下という位置にすぎませんでした。
ラグーサにとっては、自由を守れてよかったといったところでしょう。

大理石を使った祭壇や「聖母被昇天」が見どころの大聖堂は、英国のリチャード王が1192年に建てと伝わっています。

1203年にヴェネツィア艦隊の第4回十字軍の遠征隊が、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノーブル(現在のイスタンブール)を陥落します。
同時にラ グーサは、この時代アドリア海周辺で勢力を持ったヴェネツィアの実効支配を受けました。
旧市街地を歩くと土産物屋さんには多くの仮面が売られています。
こ の頃の影響でしょうか?

1358年にはヴェネツィアとハンガリーの間で結ばれたザダル条約により、ハンガリーの庇護のもと自治を回復しました。

オスマン朝による地中海貿易繁栄時代

オスマン朝による地中海貿易繁栄時代
1389年に近隣とセルビアの間でキリスト教とイスラム教の戦争が起こりました。
イスラム教国オスマン朝が勝ち、ラグーサはハンガリーに加えてオスマン朝にも献金を納めるようになります。
しかし、これはオスマン朝との交易を意味し、ラグーサにとって吉報でもありました。
地中海貿易が始まり、急速な発展を遂げます。

市壁は堅牢なものに造りかえられています。
ビザンツ帝国、ヴェネツィア、ハンガリー王国、オスマン朝から自らを守り、自治国家として自由を得るためには必要でした。
オスマン朝の豊富な物品はラグーサを経由して地中海へと運ばれるようになり、これが17世紀まで続く黄金時代始まりです。

1444年に建てられた、町のランドマーク的な存在の時計塔と鐘楼はこの時期に建てられました。
ブロンズの鐘を叩く人が印象的な建物です。

ラグーサの最盛期時代

ラグーサの最盛期時代
14~16世紀は地中海の都市と商業取引が始まりました。
商人たちは富を得て、その力は強力な船隊を開発するほどで、200隻以上のアルゴジーと呼ばれる商船をもち、船乗りは4000人とも!なんとすごい数でしょう。

1418年には世界に先駆けて奴隷貿易を廃止しました。
当時の奴隷は重要な貿易品で、ヴェネツィアは奴隷貿易の中心地として繁栄していきます。
奴隷貿易で知られるイギリスのリヴァプールは400年後の18世紀から奴隷貿易で栄えたのだから、先見の目があったというべきでしょうか?

 

15世紀ごろはアメリカ大陸やインドなどとも通商を行い成功しています。
アメリカ合衆国を初めて国家承認したのはラグーサでした!1516年に創建の造幣局や関税として使われたスポンザ宮殿。
17世紀には知識人が集う文化サロンとなった宮殿です。

悲しい大地震とラグーサの消滅

悲しい大地震とラグーサの消滅
15世紀から自由都市として栄えていましたが、1667年4月6日に大地震がラグーサを突然襲いました。
美しい宮殿をはじめとする歴史建造物などほぼ壊滅状態。
5000人が犠牲になり、国力を揺るがすほどでした。

その後旧市街地は復旧しましたが、全面的な修復には至りませんでした。
1808年ナポレオンによって占領され、フランス帝国に服従したことで都市は完全崩壊しました。
近隣諸国などから度重なる侵略を受け危機にさらされるも、自由と独立を回復し続けた都市は市民の手で修復がされ美しい姿を見せています。

大地震にもほとんど被害を受けなかった市壁をはじめ、後期ゴシックやルネサンスの両様式の歴史建造物が点在しています。
一旦はユネスコの危機遺産リストに 載ってしまいましたが、内戦で傷ついた自由と自治の象徴ローラン像や聖ヴラホ教会など市民の手で修復され、現在は中世の街並みを取り戻しています。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「ドブロヴニク旧市街」への渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock