絶景と共に振り返る「ローマ歴史地区」の歴史おさらい

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」をご紹介します。

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂ってこんなところ

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂ってこんなところ

San Paolo fuori le Muraの住所・アクセスや営業時間など

名称 San Paolo fuori le Mura
住所 Piazzale di San Paolo 1/Via Ostiense 186, Rome
営業時間・開場時間 7:00-18:30(回廊 8:00-18:15)
利用料金や入場料 回廊 4ユーロ
参考サイト http://www.abbaziasanpaolo.net/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

伝説から作られた都市ローマ

伝説から作られた都市ローマ
「ローマは一日にして成らず」や「急がば回れ」などのことわざが古代ローマ人の言葉だということはご存知でしょうか?神話からはじまったローマは地中海を中心にヨーロッパ、小アジア、中東、北アフリカまでに渡る地を支配していました。
現在も各地にその遺跡が残っています。

王位争いに巻き込まれた双子のロムルスとレムスが狼に助けられる物語は有名で、その「狼と双子の像」がコンセルヴァトーリオ博物館に展示されています。

神話では紀元前753年4月21日にパラティーノの丘に小さな国ができたのがローマのはじまり。
この丘には歴代の皇帝が住居を建てています。
初代王は狼に 育てられた双子の一人のロムルス。
街を拡大するために、逃亡奴隷や殺人犯まで受け入る開放的な都市として繁栄させました。
陽気なイタリアの基礎を築いたの かもしれませんね!

イタリア統一へと進むローマ

イタリア統一へと進むローマ
早くから近隣諸国の異文化が入ったローマは、領地拡大の成功に繋りました。
初期ローマは王政でしたが、血統貴族で作られた元老院がおかれ王は独裁者ではありませんでした。
歴代王のもと発展した王政は、「傲慢王」と称される7代目王タルクィニウス・スペルブス(在位B.C.535-509年)を最後に、共和制(B.C509~B.C.27年)へと移行します。

戦争に勝てば多くの戦利品を手にできる時代になると、平民も力を持ちB.C.449年には勝ち負けを繰り返すたびに強い国となります。
領地を広げる内にローマ軍が各地にスムーズに動けるように街道建設がはじまりました。
戦車も通った頑丈な最古のアッピア街道(B.C. 132年)は一部、現在も車道として使われています。
2000年も耐え抜く道をもうこの頃に造るなんてビックリですね。

民衆のアイドルカエサルの栄光期

民衆のアイドルカエサルの栄光期
帝国が混乱するB.C.60年頃にカエサル(在位B.C.100-44年)とポンペイウス、クラッスス(後のシリア総督)の新たなリーダーが誕生し、元老院に不満を抱いた3人が密約し三頭政治が始まります。
カエサルはガリア人と戦争で富を得たことにポンペイウスや元老院が警戒し、クラッススの戦死もあり事実上三頭政治は解散しました。

 

カエサルは「賽は投げられた」との言葉を発し敵対するイタリアへ戻りポンペイウスらをローマから排除。
ギリシアのファルサロスで戦いの後、ポンペイウスは 逃亡先のエジプトで暗殺されました。

カエサルはエジプトでプトレマイオス13世と争うクレオパトラと恋に落ち内戦に介入し、その後カエサルはエジプトも支 配します。
小アジアやアフリカ、ヒスパニアでも勝利し事実上の独裁となり反発が強まります。

カエサルが王になるかもと疑念を抱き共和制に反すると、 B.C.44年3月15日に元老院議場にて暗殺されました。
彼の最後の言葉は、「ブルータスお前もか」でした。
カエサルを愛した民衆が暴動を起こし、暗殺 者たちはローマから逃げました。

皇帝たちの栄華を誇る安定期

皇帝たちの栄華を誇る安定期
帝政時代は、このコロッセオをはじめ建設事業が盛んに行われました。
歴代皇帝にとって壮大な建物を作ることは自身の威信を世に示し、多くの人々に仕事を与える役割もあったようです。

カエサルの死後再び三頭政治となり、カエサルの相続人オクタウィアヌス(在位B.C.27-A.D.14)が内乱の後一人の支配者に。
B.C.27年に元老院からアウグストゥスとされ全ての権限をもらい、警察や消防など帝国当時の新体制の基礎を築きます。
水道や劇場など建設にも力を入れ、パルテノン神殿も建てました。

アウグストゥス帝の後はカエサル家が後継ぎとなり、名君や暴君などさまざまな皇帝が誕生しました。
暴君ネロ(在位A.D.54-68年)の悪政から反乱が生じ、ウェスパシアヌス(在位A.C.69-79年)というイタリアの将軍が新王朝を築きます。
コロッセオは彼の息子ティトゥス帝(在位A.D.79-81年)がA.D.80年に建てた物です。

帝国の滅亡とローマのその後

帝国の滅亡とローマのその後
ローマの最盛期5賢帝の時代に名を残すハドリアヌス帝(在位A.D.117-138年)は、公共事業や法整備などに力を入れ、パンテオン神殿を118年に再建し劇場を数多く造りました。

後に血統ではなく実力が全ての時代となり、城壁を設けたアウレリアヌス(在位A.D.270-275年)は一兵卒から皇帝にまで上り詰めました。
271年に蛮族の侵入に備えてローマの石工組合を集めて城壁を完成させています。
最後にはローマ帝国が東西2つに分かれ、東ローマは1453年にオスマン帝国に、西ローマは476年にゲルマン人の傭兵の手に落ち最後の皇帝が廃位となり帝国は滅亡しました。

4世紀に入るとキリスト文化が主となり、帝国崩壊後の混乱期へと入ります。
ローマ法王の権力が強くなり特別な地位を得たころから、ローマが「永遠 の都」と呼ばれるようになりました。

1450年ごろからはルネサンスの中心としてローマが復活します。
巡礼者が殺到し裕福になったローマは法王ニコラウス 5世の時代にはバチカン宮殿やサン・ピエトロ聖堂などが改築の命を下しています。
現在は、「永遠の都」ローマと呼ばれ2500年の歴史と芸術に包まれ、 人々を魅了してやまない都市となっています。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」への渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock