世界最小の国バチカン市国。その歴史は壮大だった

東京ディズニーランドよりも小さな「バチカン市国」。いまでは神々しく穏やかな雰囲気に包まれているイメージですが、ドロドロとした歴史や疫病による人口激減、さらには一時期盗賊がはびこり教会は家畜小屋になった時代もあったほど!近代には「ローマ問題」が発生し揺れに揺れたことは、世界史で習った方もいるでしょう。旅行の前に知っておきたい「バチカン市国」の歴史をまとめてみました。

バチカン市国ってこんなところ

バチカン市国ってこんなところ

バチカン市国の始まり

バチカン市国の始まり
国の3分の1が庭園という美しい国で、その眺めはうっとりしてしまうほど…世界最大級の教会「サン・ピエトロ大聖堂」という大聖堂を中心とした、カトリック教会(キリスト教の伝統的な教派)の総本山です。


バチカン市国の歴史を簡単にまとめると、まず4世紀に「サン・ピエトロ大聖堂」が建立されたのがはじまり。
イエス・キリストの弟子であった聖ペトロの墓の上に大聖堂を建てたそうな。8世紀に教皇に土地が与えられ、19世紀まで教皇の領地と共に栄えたということですから、カトリックとは切り離せない深い歴史を持つ国といえますね。
1929年にイタリアの国家統一がなされた時に、領土問題で対立。
教皇領を手放す代わりに独立国家となり、今日のバチカン市国に至ります。

さて、バチカン市国の歴史を順を追ってみていきましょう。
この小さな国家に秘められた大きな歴史は、仰天すること間違い無し。
ぜひ読み進めてください。

イエスキリストの弟子ペテロの墓の上に建立したのがはじまり


いまバチカン市国がある場所は、古代ローマにおいては郊外にあったため、人は住んでいなかったようです。そこに、324年にローマ皇帝の「コンスタンティヌス1世」が、イエスキリストの弟子「ペテロ」の墓が建つ丘に、「サン・ピエトロ大聖堂」を建てたのが始まりです。
「コンスタンティヌス1世」は、ローマ皇帝としては初のキリスト教徒ということでしたので、思い入れもあったのでしょう。

ここからバチカン市国はカトリック教会の本拠地として発展していきます。

バチカン市国の一時衰退期

バチカン市国の一時衰退期
756年にはフランク王国カロリング朝ピピンが、ラヴェンナなどの都市を法王に寄進し、そこに法王領を持つようになりました。
法王権が最盛期に達した12~13世紀には、ローマ各地から巡礼が集まり繁栄しました。しかし、1307年に教皇庁が南仏のアヴィニヨンに移されると、教皇が不在となり豪族たちの紛争が起こったのです。
1348年に疫病であるペストが大流行してしまい、市民の人口はなんと2万人以下に減ってしまいました。

1378~1417年の間には、ローマとアヴィニョンにそれぞれローマ教皇をおき、カトリック教会の大分離が起こります。
1420年に新任の第206代ローマ教皇マルティヌス5世(在位1417-1431年)がローマ入りした時のローマの荒れようは予想以上。
盗賊がはびこり教会は家畜小屋というありさまでした。

バチカンへの法王権の復活

バチカンへの法王権の復活
1450年の聖年に巡礼がローマにきたことでローマは富を得ました。
当時の第208代教皇ニコラウス5世(在位1447-1455年)は、バチカン宮殿やサン・ピエトロ聖堂の改築を命令しました。1471年ごろ第212代教皇シクストゥス4世(在位1471-1484年)の教会国家強化へ向けて活動し、ローマを大国へと導きました。
バチカン図書館を充実させシスティーナ礼拝堂も建立しています。
第216代教皇ユリウス2世(在位1503-1513年)に教会国家強化政治が引き継がれ、絶対君主として教皇の立場を強固にしました。
戦争を好む教皇はフィレンツェからルネサンスを奪いました。
1508~1512年にシスティーナ礼拝堂の天井画を彫刻家のミケランジェロが描きました。
教皇とミケランジェロの芸術史に残る葛藤が繰り広げられました。
ミケランジェロの華麗な天井フラスコ画は、教皇はもちろん現在も人々を魅了しています。

宗教とルネサンスが融合したバチカン

宗教とルネサンスが融合したバチカン
ユリウス2世の後は、フィレンツェの名門メディチ家出身の第217代教皇レオ10世(在位1513-1521年)が継ぎラファエロと共にルネサンスは頂点を極めます。
大聖堂などの改築には建築の資材を得るために古代遺跡を壊しました。
これを見たバチカンの2大芸術家の一人のラファエロは、パトロンのレオ10世への報告書の中で古代遺跡の保存を訴えたようです。1527年に第219代教皇クレメンス7世(在位1523-1534年)の時代に、ルター派の神聖ローマ皇帝カール5世(在位1519-1556年)の略奪にあいローマは壊滅状態。
教皇はサンタンジェロ城へ難を逃れました。
ローマの人口は9万人から3万人へ激減し、ルネサンスは終焉しました。

しかし、1534年に第220代教に皇就任したパウルス3世(在位1534-1549年)によってすぐに回復。
パウルス3世はミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」の作成とサン・ピエトロ教会の建築責任者を依頼しました。

ローマ問題からの脱出

ローマ問題からの脱出
19世紀半ばまで、教皇領を保持していましたが、イタリア統一運動の活性化に伴い1860年にイタリア王国が誕生し、領地を巡り教皇庁と王国政府は断絶状態になります。1870年に普仏戦争では教皇領の守備を担ったフランス軍が撤退してしまい教皇領は全て王国のものになりました。
1871年に第255代ピウス9世(在位1846-1878年)はバチカンの囚人と称してバチカンに引きこもり、これは後にローマ問題と呼ばれ50年にもわたり断絶状態が続きます。


1929年にようやく第259代教皇ピウス11世(在位1922-1939年)と全権代理ガスパッリ枢機卿とベニート・ムッソリーニ首相の間で話し合いが 成立し、ラテラノ条約が締結された。
これによりバチカンは独立国家となったのです。
1984年に信教の自由を考慮し修正が加えられています。カトリックの総本山の深い歴史と独自の文化を持つ国バチカンは、国自体がユネスコ世界遺産になっています。
ミケランジェロやラファエロの天才芸術家の魅力に触れることのできる小さな国です。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「バチカン市国」への渡航をぜひご検討ください。