イタリアにある、火山で消滅した都市「ポンペイ」の歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」をご紹介します。

ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域ってこんなところ

ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域ってこんなところ

Scavi di Pompeiの住所・アクセスや営業時間など

名称 Scavi di Pompei
住所 Porta Marina Superiore (Via Villa dei Misteri) | Piazza Immacolata, Piazza Porta Marina inf., 80045 Pompeii, Italy
営業時間・開場時間 月 – 金 現地時間9:00 – 19:30 土 – 日 現地時間8:30 – 19:30
利用料金や入場料 13ユーロ
参考サイト http://www.pompeiisites.org/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

古代ローマの華やかさをそのまま今に伝えるポンペイ遺跡

古代ローマの華やかさをそのまま今に伝えるポンペイ遺跡
ポンペイは、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。
西暦79年に一瞬にして灰に埋もれた都市として有名です。
このポンペイの悲劇は、『バイオハザード』シリーズで有名なアクションを得意とする、ポール・W・S・アンダーソン監督が映画化したことでも有名です。
B.C.80年以来古代ローマの商業都市として栄えました。
優雅で活気に満ちたポンペイの町は、西暦79年に起きたヴェスヴィオ山の噴火で一瞬にして6mもの灰の下に埋まりました。
現在も1世紀当時の古代都市にタイムスリップしたような姿を残しています。
人型を石膏に移し再現した亡くなる直前のカップルや家族など、1000人の姿は涙を誘うものばかり。
華やかだった古代ローマ人の日常に突然の起こった悲劇は、人生の儚さを語っているようです。

彩り豊かな都市ポンペイの始まり

彩り豊かな都市ポンペイの始まり
古代都市ポンペイは、B.C.8世紀に、カンパニア州の原住民オスク人が町を築いたといわれています。
B.C.7世紀は、勢力的に植民活動を行っていたギリシア人に、海上交易に最適な地として注目されました。
B.C.526年ごろエトルリア人の支配下にあったポンペイは、B.C.474年にギリシア人と同盟を組み、クマエの海戦で勝利しエトルリア人の支配から逃れました。
その後、イタリア中南部の覇権を握ったギリシア人の支配下に入り、ギリシアのもと商業活動が盛んになりました。
しかしB.C.424年には山岳民族サムニ ウム人に征服されてしまいます。
この頃やっとポンペイの町に城壁が完成し、1大都市としての基礎となる配置が決まったようです。

栄華を極めたポンペイの繁栄時代

栄華を極めたポンペイの繁栄時代
B.C.343~290年サムニテス戦争でローマ帝国が勝利してからは、その支配下にくだります。
その後、一世紀まで繁栄したポンペイは都市建築と芸術活動に力を注いでいたようです。
自由な商業活動も認められており、羊毛加工やオリーブワインとなどの製造と交易で豊かになりました。
4世紀末頃にはスタビアーネ浴場、紀元前3~2世紀には大劇場なども造られています。
特に2世紀ごろは公共施設や広場、ヘレニズム様式の壁面装飾を施した 私邸が数多く建設され、B.C.90年ごろに市民権回復闘争(同盟市戦争)が勃発しました。
ローマのスッラ将軍(B.C.138-78年)によってローマ の同盟都市という形で市民権が認められています。
この頃のポンペイの役割は、港へ着いたローマへの荷物をローマ最古のアッピア街道に運ぶための要衝となり 商業都市として栄えました。

都市生活を優雅に楽しむポンペイ市民の様子

都市生活を優雅に楽しむポンペイ市民の様子
B.C.87年に自治市、B.C.80年には植民市へと昇格し、ローマの覇権のもとで裕福で安定した暮らしを送りました。
ポンペイの南東端には円形闘技場も設立され、2万人もの人々が生死をかけた剣闘士たちの対決を、大声を挙げて観戦しました。
公共事業も活発だった街は、車道と歩道に分かれ、一段低い車道はゴミを流す下水を兼ねていました。
アウグストゥス帝(在位B.C.27~A.D.14年)のころには上水道も整備されています。

このころの人口は1万人以上に達し活気に溢れていました。
通りにはさまざまな店があり、カウンターのある居酒屋には、ゲームを楽しむ姿が描かれた壁画、ワインやスープで満たされていた壷、パン屋さんの焼き釜なども残されています。

海産物や農産物が豊富で地中海貿易の中継地として経済的に恵まれたポンペイの邸宅には大きなパティオがあり、邸宅を守る犬のモザイクも残っています。
美食は地位の象徴、浪費は美徳とされ、毎晩遅くまで饗宴が繰り広げられていたようです。

大自然の脅威にさらされるポンペイ

大自然の脅威にさらされるポンペイ
公共広場や市庁舎、野外劇場、公共浴場が設置され、給水設備や街路な都市機能が充実していた都市でした。
優雅な都市生活を贈っていたポンペイに、自然の脅威が襲い掛かります。
A.D.62年2月15日にポンペイやカンパニア諸都市が大規模な大地震に見舞われ再建が行われました。
しかし、再建の半ばでXデーがやってきます。
悪夢の日A.D.72年8月24日の午後13時ごろに、ヴェスヴィオ火山が大噴火しました。
灰が降り積もる中12時間後には火砕流が発生し一瞬にして地中に埋まったのです。
ここでポンペイの時は止まり、1700年の長い眠りに就きます。
この時の死者は約2000人にも及びました。
再び陽の目を見たのは1592年です。
本格的な発掘が始まったのはスペイン統一後の19世紀後半からのことでした。
アポロ神殿や公衆浴場なども 残っていますが、この遺跡の見どころは1200もの市民の住宅。
昨日までここで生活していたかのような光景はここだけの宝物です。
働くのは午前中だけ。
午 後からは娯楽の時間で、サウナや浴場で疲れを癒し、劇場や闘技場に繰り出しました。
この地を訪れると優雅なポンペイの都市風景が蘇ってくるようです。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」への渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock