ため息が出るほど美しいオーストリア「ザルツブルク市街」の絶景&歴史まとめ

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「ザルツブルク市街」をご紹介します。

ザルツブルク市街ってこんなところ

ザルツブルク市街ってこんなところ

ザルツブルク市の住所・アクセスや営業時間など

名称 ザルツブルク市
住所 Stadt Salzburg
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

「塩の町」との名を持つザルツブルク

「塩の町」との名を持つザルツブルク
「北のローマ」と称される宗教都市国家として知られるオーストリア・ザルツブルク。
モーツアルトが7歳まで育った街として知られ、美しい彫刻やレリーフが素敵な祝祭大劇場では、毎年夏に「ザルツブルグ音楽祭」が開かれるクラシック音楽ファン憧れの町です。

また、ヘルブルン宮殿内の噴水にはさまざまな仕掛けが施され、水の悪戯に心癒されるひとときも過ごせる遊び心がたくさんある街です。

B.C.1800年以前から人類が住んでいたとされるザルツブルク。
鉄器時代には岩塩の採掘を行い、高度な文明が開かれていたようです。
B.C.14年にはローマ軍がアルプスを越えて侵入し、クラウディウス帝(在位41-54年)の時代に各地に都市ができました。
このころに、ローマ文化の 影響を受けたザルツブルクの町の原型ができています。

西ローマ帝国の支配から都市の始まり

西ローマ帝国の支配から都市の始まり
ローマ人は476年に侵入してきた東ゴート族によって撤退を余儀なくされ、この地は西ローマ帝国に占領されました。

古来より塩の交易で栄えた都市は、696年にバイエルン大公テオド二世がライン・フランケン地方の司教だった聖ルーペルトにカトリック布教のため、西はキームゼーから南はザルツァッハ川上流の土地を寄進したのがこの都市の始まりです。
ドイツ語圏で最も古いとされる、ロマネスク様式の聖ペーター僧院教会が建てられ、ルーペルトが教区の領主となります。

774年には前期ロマネスク建築の大聖堂が創設されました。
現在は1181年に5つの身廊を持つバシリカ式とドイツ皇帝聖堂の混合形式となっています。
798年に大司教座がおかれカトリックの中心と地となり、塩とタウエルンの金採掘による富を独占し土地や財産の寄与を受けて大司教は大領主となります。
中 世カトリック教会は聖職者の腐敗が進み、聖職売買が行わるようになってしまったのです。

新ローマ皇帝が起こした争いと大事件

新ローマ皇帝が起こした争いと大事件
このような聖職の腐敗を重く見た教皇グレゴリウス7世(在位1073-1085年)は、11世紀後半に聖職売買の禁止と協会による聖職叙任権の独占を旨に改革をはじめました。
皇帝が任命した司教を利用し諸国に影響を及ぼしていた、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世(在位1084-1105年)が反発。

1076年にハインリヒは対抗したため、即座に教皇に破門されました。
帝国内諸侯は動揺し教皇側につき、新皇帝擁立へと向かいます。
慌てたハインリヒは教皇に1077年にカノッサ城を訪れ雪の中3日間赦しを請い続け、破門を解かれました。
これが“カノッサの屈辱”です。

しかし、対立は収まらず、皇帝の報復に備え、教皇の隠れ家となるホーエンザルツブルク城を建てました。
15世紀末まで歴代の大司教が増築を行い強固な城塞になりました。
現在は、町の人々の誇り、街のシンボルとして威風堂々たる姿を見せています。

建設ラッシュに沸き立つザルツブルク

建設ラッシュに沸き立つザルツブルク
近世のザルツブルクは「小ローマ化」を目指して発展していました。
大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウ(在位:1587-1612年)は、イタリアのメディチ家と縁戚関係にあり、独占政治を推し進めていました。
町の美女のために1606年にアルテナウ古城(ビラベル宮殿)を造り、15人の子供を授かっています。
1612年に製塩権を巡りバイエルン公マクシミリアンの争いに敗れ退位させられます。
この時期歴代の大司教たちは建築熱に侵され、三位一体教会、 コレーギエン教会、ウルスリーヌ修道会教会などが建設されています。
1731~1733年には、凄惨な迫害で新教徒21475人を追放しました。
人口が 減ったザルツブルクに対し、半数以上を受け入れたプロイセンは大国として飛躍します。

フランス革命からのザルツブルク衰退期

フランス革命からのザルツブルク衰退期
1789年より本格化したフランス革命は、ザルツブルクの運命を大きく変えます。
1797年にはカンポ・フォルミオ条約の秘密条約において、大司教領をハンブルク家に譲ります。
オーストリアといえばハンブルク家の名前は外せません!1800年にオーストラリア軍が敗北し、1803年3月にフェルナンド3世(在位12171-1252年)がザルツブルク選帝侯に選ばれました。
この地を牛耳っていた大司教ヒエロニュムス・フォン・コロレドは、統治権を持たない大司教になり大司教支配は終焉します。
その後は、オーストラリ ア帝国の支配下に入り、バイエルン王国に編入され、最後には1816年、ウィーン会議の議決によりオーストリアに併合されました。

この町を歩く と、大司教が暮らす町として栄え、音楽以外にも古い歴史にも魅力があることを感じます。
いかにカトリックがヨーロッパ社会で甚大な影響力を誇示していたか を印象づけられるようです。
映画「サンドオブミュージック」のストーリーに登場するスポットなど、魅力あふれる都市ザルツブルクを心ゆくまで満喫してくだ さい。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「ザルツブルク市街」への渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock