吸血鬼ドラキュラの伝説が残るルーマニアの「シギショアラ歴史地区」

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「シギショアラ歴史地区」をご紹介します。

シギショアラ歴史地区ってこんなところ

シギショアラ歴史地区ってこんなところ

Historic Centre of Sighişoaraの住所・アクセスや営業時間など

名称 Historic Centre of Sighişoara
住所 Sighisoara, Romania 
営業時間・開場時間 施設による
利用料金や入場料 施設による
参考サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AE%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A2%E3%83%A9%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%9C%B0%E5%8C%BA
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ルーマニアの宝石と呼ばれる街並み

ルーマニアの宝石と呼ばれる街並み
シギショアラ歴史地区はルーマニアにある世界遺産の一つで、中世の城塞都市の雰囲気をよく残している美しい街並みと、ドラキュラ伝説に彩られた街として有名です。
細かな動きのからくり時計を持つ時計塔をはじめとした敵の侵略を防ぐために数多く作られた見張り塔、現在はレストランとなっているドラキュラのモデルとして有名なヴラド3世の生家など見所もたくさんあります。
街は、シギショアラが含まれるトランシルヴァニア地方一帯が11世紀にハンガリー王国に併合されたことから始まります。
王国の防衛もかねて、この地方には ドイツからの移民が入植しました。
彼らは七つの街を造り、シギショアラも1191年にそのうちの一つとして築かれました。
当時は「六番目の要塞」という意 味のラテン語で「カストゥルム・セクス」と呼ばれていました。

モンゴル帝国の侵攻

モンゴル帝国の侵攻
街が築かれてから間もなく、東からモンゴル帝国がヨーロッパを襲いました。
1240年までには現在のロシアまでが次々と征服されてしまいます。
1241年、ハンガリー王国もモンゴル帝国の侵攻を受けます。
ハンガリー王ベーラ4世が迎え撃ちますが敗れてしまい、ハンガリー王国の全域はモンゴルの支配下に入ってしまいます。
しかし、翌年モンゴル皇帝オゴタイが急死しモンゴル軍は引き揚げてしまいます。
ハンガリーも放棄されて国土を回復しました。
シギショアラの街でも次のモンゴルの侵攻に備えるため、街の東側の丘の要塞を堅固にします。

このときモンゴル軍が引き揚げなかったら現在のヨーロッパがどうなっていたか、歴史の「たられば」を考えるのも楽しいですね。

ギルドの繁栄

ギルドの繁栄
モンゴル軍が去ったあと、街の各所に見張り塔が建てられます。
この塔の建設を担ったのが商工業者のギルドでした。
ギルドとは中世ヨーロッパにあった商人や職人の同業者の組合制度です。
シギショアラでもギルドが組まれて経済的な力をつけ、14世紀にはハンガリー王国から自治都市の権利を得ています。
各ギルドは建設の責任を負った塔に、自分達のギルドの名前を付けました。
多い時には14もの塔が建っていたといわれており、今も前述の時計塔を含む9つの塔が現存しています。
「仕立屋の塔」「鍛冶職人の塔」など、名前を聞いただけでも中世の雰囲気が味わえそうです。

15世紀になると、東ヨーロッパには新たな敵があらわれます。
イスラムの新興勢力であるオスマン・トルコ帝国です。
再び防衛の必要に迫られたシギショアラでは、街全体を城壁で囲います。
この城壁で囲われた地域が現在の街のもととなります。

ペストと大きな災害

ペストと大きな災害
自治都市として順調に発展していたシギショアラですが、17~19世紀には自然の猛威にさらされます。

当時はまだ不治の病とされていたペストの流行による人口減に始まり、1676年には街の7割を焼き尽くす大火事により中世から続く貴重な文化遺産が無くなってしまいます。
その後も火事(1736年、1788年)、洪水(1771年)、地震(1838年)と幾度となく災害に見舞われます。

また、18世紀に起こった市民革命の波により、それまでシギショアラの経済を支えていたギルドが衰えていきます。
その後の産業革命に取り残されたシギショ アラは、他の都市に比べて中世の面影を色濃く残したまま現在に至っており、中世から続く城壁の中の地域が主になって「シギショアラ歴史地区」として世界遺 産リストに登録されています。

ドラキュラの街

ドラキュラの街
アイルランドの作家ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったのは、現在のルーマニアの首都ブカレストを首都とするワラキア公国の領主ヴラド3世です。

彼は1431年にシギショアラで生まれました。
父のヴラド2世はワラキアの領地をめぐる争いで追放中の身でした。
ヴラド2世はその後領地を回復しワラキアに戻ったため、彼らがシギショアラにいた期間は数年間でした。
父の後を継いだヴラド3世は、抵抗する貴族や攻めてきたオスマン・トルコの兵などを生きたまま串刺しにして見せしめとしました。
あまりにも残虐だったため、串刺しにしたあとにその血を飲んでいるという噂がたち、これがドラキュラ伝説の元になっています。

ヴラド3世がシギショアラにいた期間はわずかですが、ドラキュラとシギショアラの古い街並みはイメージが重なりますね。
現在では、オスマン・トルコから祖国を守った英雄として評価しなおされています。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「シギショアラ歴史地区」への渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock