ポルトガルの歴史的建築物「バターリャの修道院」の美しさ&歴史をまとめました

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「バターリャの修道院」をご紹介します。

バターリャの修道院ってこんなところ

バターリャの修道院ってこんなところ

勝利に捧げられた「戦いの修道院」

勝利に捧げられた「戦いの修道院」
バターリャ修道院はポルトガルの首都リスボンの北西約120kmに位置する小さな街、バターリャにあります。
ゴシック建築の特徴である尖塔と重量を支えるための見事な控え壁、随所に見られる華やかなマヌエル様式と他の様々な建築様式が融合した世界でも珍しい建築物です。
14世紀の終わりごろ、ポルトガルでは王位の継承戦争が起こっていました。
王位を奪おうとする隣国のカスティーリャ王と、ポルトガルの王族ジョアン1世が争った結果、1385年のアルジュバロータの戦いでジョアン1世が勝利し王位を正式に継ぐこととなりました。

ジョ アン1世は勝利を記念してこの地に聖母マリアのための修道院を作り、周囲に街を作りました。
街は「戦い」を意味するバターリャと名付けられます。
修道院は 正式名を「勝利の聖マリア修道院」といいます。
街の名前に直接「戦い」と名付けるほど、その勝利はポルトガルにとって大きなものだったことがうかがえます ね。

建築様式が二転三転

建築様式が二転三転
バターリャ修道院はアルジュバロータの戦いの勝利のあと1386年から着工しますが、建設が長引いたため様々な建築様式で建設が進められることとなります。
始めに建築に携わったのはアフォンソ・ドミンゲスです。
フランスで始められた技巧的な装飾が特色のレイヨナン・ゴシックと、イギリス伝統の垂直様式を組み込み、修道院の計画をたてました。
後を継いだフュゲットは、ゴシックの一様式である炎をモチーフとしたフランボワイヤン式を採用します。
この頃に、ポルトガルの修道院では初めてステンドグラスが取り付けられています。
大航海時代の幕開けとも重なって、自分達の国にないものを取り入れようとする精神がこの後も続いていくことになります。
歴史の流れを感じながら眺めるのも楽しみのひとつですね。

7人の王と15人の建築家

7人の王と15人の建築家
その後も修道院建設が進められますが、担当した建築家によって建築様式が変わっていきます。
15世紀後半から指揮を執ったマテウス・フェルナンデスはマヌエル様式の装飾を手掛けます。
マヌエル様式は海や船をモチーフとした装飾が特徴で、国王マヌエル1世がポルトガルのすべての建築物に取り入れるよう命令を出した王室御用達の様式でした。
その後、ジョアン・デ・カスティーリョによって最先端のルネサンス様式で増築されます。
イタリアのフィレンツェで発生したルネサンス様式は幾何学的なデザインが特徴的で、王室の霊廟として建築中だった「未完の礼拝堂」と呼ばれている建物などに意匠されています。

この段階で現在みられる修道院の形が整いましたが、建設開始から2世紀が経ち、その間7人の王と15人の建築家がこの修道院建設に携わっています。
一つの建築物を作り上げる難しさを考えさせられるエピソードですね。

王の命令により建設が中断

王の命令により建設が中断
16世紀半ば、バターリャ修道院は建築工事の中断が決定します。
並行して工事していたジェロニモス修道院の建築に力をいれるための、国王ジョアン3世の判断といわれています。
これ以後、バターリャ修道院は未完成のまま歳月を過ごすことになります。
建設が中断したままバターリャ修道院でのドミニコ修道会の活動は続きます。
2世紀が経った1755年にリスボン大地震が発生し、近郊のバターリャ修道院で も被害がでます。
1810年にはフランス革命の余波がイベリア半島にも訪れます。
半島戦争と呼ばれる戦争で侵攻してきたフランス軍による略奪、破壊によって更なる被害を受 けます。
ポルトガルの王家は危険を避けてブラジルに渡っており、フランス軍の行為を止めるすべはありませんでした。

世界遺産リストへの登録

世界遺産リストへの登録
修道院としての役割は、1834年には政府による修道会解体命令でポルトガルのドミニコ会が解散したことで突如終わってしまいます。
歴史の大きな波にさらされ、守るべき修道士もいなくなり廃墟となっていたバターリャ修道院ですが、1840年に国王フェルナンド2世が修復を宣言します。

1910年に王政が倒れ、共和国となってからも20世紀前半まで修復が続けられました。
ポルトガル独立のシンボルとしてこのまま朽ちさせるわけにはいかなかったのでしょう。
1980年には博物館に転用され、建物自体が文化財として扱われるようになります。
長年の修復と保護の結果、さまざまな建築様式が国を越えて交流し複雑に組み合わされた人類の傑作として、1983年に世界遺産リストに登録されました。
長年の風雨にさらされ黄色く変色した石灰岩の壁が、ポルトガルの激動の歴史を感じさせますね。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「バターリャの修道院」への渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock