かつて首都だった!?ポーランド人の心の故郷「クラクフ歴史地区」

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「クラクフ歴史地区」をご紹介します。

クラクフ歴史地区ってこんなところ

Historic Centre of Krakowの住所・アクセスや営業時間など

名称 Historic Centre of Krakow
住所 Krakow, Poland
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://whc.unesco.org/en/list/29
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

中世中欧の栄華を今に伝える古都、クラクフ

ポーランドの南部に位置する、ポーランド人の心の故郷として今も中世の街並みを残す古都、クラクフ歴史地区。
14~17世紀初頭までポーランドの首都として栄えました。
1287年にタタール人(モンゴル軍)の侵略を退け街を守ったことを喜び奪った洋服を着て街を練り歩いたことからはじまった、ライコニック祭りが毎年6月に行われています。
旧市街地には現在も馬車に乗って観光ができ、街並みは綺麗で美しいという言葉がぴったりです。
バロック式の教会も数多く見どころもたくさんあります。
第二次世界大戦で古い町並みは残さないといけないと、奇跡的に爆撃を逃れた中世の街並みを今も色濃く残すクラクフは、世界で最も素晴らしい観光地として現在も人々が集まる素敵な古都です。

ポーランド文化の中心地、首都クラクフのはじまり

クラクフの歴史は、8世紀にはもう存在したようです。
ボヘミアなどの敵対者により何度も破れるも、ハンガリーの援助で1314年までに国内の権力を確立し、独立国ポーランドの王としての認知度を確立した、ヴワディスワフ1世(在位1320-1333年)の命により、1320年にポズナンからクラクフに首都が移されました。

ヴワディスワフ1世の死後、息子のカジミェシュ3世(在位1333-1370年)に引き継がれ彼はポーランドの歴代王の中でたった一人「大王」と称されました。
彼はボヘミアとドイツ騎士団の両国間を上手く立ち回り国際的な地位も築いています。

彼の最も大きな功績は、1364年に国家建設に必要な人材を育てるためにポーランドで最初の大学「アカデミア・クラコヴィエンシス」(後のヤギェウォ大学)を設立したこと。
スラヴ人によって設立された大学はドイツ語圏最古の大学といわれ、かのコペルニクスも学生として通っています。
ポーランド大学を抜いてポーランドでトップの総合大学に選ばれることもあるようですよ。
現在はゴシック建築の講堂が博物館として公開されています。
ピャスト朝は1370年彼が死ぬと途絶えてしまいます。

栄華を誇るピャスト朝時代のクラクフ

この14世紀がクラクフの最盛期で、旧市街地の中心の中央市場広場の中央にある織物会館(16世紀に焼失後ルネサンス様式で再建)や1222年に建てられたゴシック様式の聖マリア教会が建てられました。
この聖マリア教会の2本の塔には、タタール人との戦いで襲撃を受けたラッパ兵の話が残っています。
1241年ごろヨーロッパで最も恐れられていたタタール人が攻めてきたことを知らせたラッパ兵が喉を撃ち抜かれたという悲しい話。
現在もラッパが吹かれ途中でプツッと音が消える当時の様子を再現しています。
内部のステンドグラスは美しく、祭壇の木造彫刻は12年もの歳月をかけて造られたものでヨーロッパ最大といわれています。

西欧で迫害にあった何万人ものユダヤ人を積極的に受け入れ、ユダヤ人コミュニティーや、自治権も与えられました。
カジミェシュ地区にはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が点在しています。

中欧の主要都市ヤギェウォ朝時代のクラクフ

カジミェシュ3世には子供がなく、彼の甥ハンガリー王ラヨシュ(ポーランド王在位1370-1382年)が王に呼ばれました。
彼にも息子がなく、10歳の王女ヤドヴィガが継承。
ドイツ騎士団にポーランドと共に狙われていた、リオアニアの王ヨガイラ(ポーランド王在位1399-1434年)は、11歳になった王女と結婚し、1382年にヤギェウォ朝が誕生します。
1410年にポーランドとリトアニア連合軍がタンネンベルクの戦いでドイツ騎士団を破りました。
十三年戦争にも敗れ騎士団国家は衰退し1525年に世俗化してポーランドに従属しました。

15世紀末には、トルコの侵入に備えた砦バルバカンが建設されました。
馬蹄型の砦はワルシャワやハンガリーのペーチュにも数か所残っています。
クラクフの旧市街地を約4kmの城壁は現在美しい並木道になっています。
現在は北門のフロリアンスカ門と一部の城壁が残っています。
このことからも常に外敵の侵略から身を守ることを考えていた当時の状況が見えてきます。
1572年に断絶するまで、中世後期~近世の中・東欧で最も影響力がある王朝の一つでした。

クラクフの首都時代の終わりと現在

この王朝が終わると貴族らによる身分制議会(セイム)が強くなり、王権が弱体化します。
この頃から王国の中心はワルシャワへ移行しはじめ、17世紀初頭には、クラクフからワルシャワへと遷都されました。

ヴァヴェルの丘の上に建つ11~16世紀の国王たちが住んでいたヴァヴェル城や1020年に建てられたカトリック教会のヴァヴェル大聖堂も歴代ポーランド王の戴冠式が行われた場所として人気の観光地です。
ジグムント塔からは旧市街地とヴィスワ川を一望できる絶景ポイント。
塔にある、ポーランド最大の鐘の中心を左手で触ると、再訪を約束されるといわれています。
お試しあれ!

神聖ローマ帝国の一部として栄えたボヘミアのプラハやオーストラリアのウィーンと並ぶ、中世中欧の文化や経済の中心だった都市といっても過言ではないと思います。
1989年の民主化後は商業が発展し、今ではヨーロッパ有数の観光地の一つとなり、欧米で最も人気のある観光都市となっています。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「クラクフ歴史地区」への渡航をぜひご検討ください。
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