ヴェネツィア支配時代の趣が色濃く残る美しい古都、スロベニアの「ピラン」

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はスロベニアの「ピラン」をご紹介します。

スロベニアの「ピラン」ってこんなところ

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piranの住所・アクセスや営業時間など

名称 piran
住所 Piran, Slovenia
営業時間・開場時間 施設による
利用料金や入場料 施設による
参考サイト http://www.piran.si/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

スロベニアの風光明媚な観光地ピランの始まり

ピランはスロベニアの南西部のアドリア海に面した三角形の半島に位置する、一大観光地です。
かつて港町として栄えた名残を残し、町全体が静かでのんびりしています。
赤い屋根が特徴的でヴェネツィア建築と地中海の雰囲気が漂う町です。

この町の始まりはローマ時代以前に、イリュリア系のヒストリ族が住んでいたといわれています。
農耕や狩猟、漁業などを営んでいました。
中には海賊となるものもいて、ローマ人の交易を混乱させアドリナ海北部で恐れられた存在だったようです。

紀元前178年にピラン半島は、ローマ帝国の版図に組み込まれました。
ピランという名もローマのピラノンという町に由来しています。
ローマ帝国に陰りが見えてきた5世紀ごろになると、アヴァールやスラヴ人などが侵入するようになりました。

塩田と都市化の始まり

7世紀ごろになると、ビザンチン(東ローマ帝国)に支配され、強固な要塞が造られ始めます。
ここから都市化が始まりました。
788年にフランク人に占領された、スラヴ人がこの地域に住むようになります。
このピランの街の特産品の一つの塩。
ピランはピラミッド型の塩の結晶といわれる、幻の「塩花」が採れることでも有名です。
アドリア海に面するピランの塩田は8世紀ごろから作られ始めました。
その後952年には神聖ローマ帝国に支配されます。
クロアチアと南側が国境で接し、アドリア海を挟んだ対岸がイタリアです。
1334年にルネサンス様式で建てられた聖ユーリ教会からイタリア方面を見ると、晴れた日にはイタリアの街並みを望めます。
この町は地形上、イタリアの影響を強く受けていることがよくわかります。
9世紀以降は、独立派しているもののヴェネツィア共和国の影響を強く受けていました。

ヴェネツィア支配時代の趣が色濃く残る、ピラン

1209年ごろの一時期はイストリアの辺境伯パトリアーシに支配されます。
ここまで独立性を維持していましたが、1274年にヴェネツィア共和国の法を受け入れ、1283年にとうとう支配下にくだりました。
この支配は1797年の英雄ナポレオンに降伏するまで続きます。
ピランの中心部にある一番の観光地とされる美しいタルティーニ広場。
ピラン出身のジュゼッペ・タルティーニからつけられました。
このタルティーニは18世紀のヴァイオリニスト&作曲家としても有名な人物です。
広場の中央には、彼の銅像が建てられています。

また、現在市役所として使われている白い建物の2階部分には有翼のライオン像も据えられており、ヴェネツィアの影響を受けていたことが伺えます。
ヴェネツィア商人が15世紀に建てたといわれる豪華な建物がヴェネツィアの館。
スロベニアで最も美しいヴェネツィアゴシックと評されている建物です。

スロベニア海域で起こった海戦

1812年にはナポレオン戦争に先駆けて、アドリア海戦の小規模な衝突が起こります。
フランス海軍はこの頃海軍補強をしていた時期で、この戦争はお試しみたいなものだったのかもしれませんが、この戦争ではヴェネツィアの港が閉鎖されイギリス軍に負けてしまいました。
この時に使われた戦列艦は、当時、ヴェネツィアで建造されたフランスのテメレール級戦列艦Rivoliです。
スロベニアの海域で起こった唯一の海戦といわれています。
この青く美しい海で戦争が行われたなんて信じられません。
後に、ピランはオーストリア=ハンガリー帝国の領土となり、第一次世界大戦後はイタリア領土となりました。
現在も公用語は、スロベニア語とイタリア語です。
この町を歩いていると、イタリアンジェラートのお店をよく目にします。
これも名残でしょうか?

アドリア海の青い海と美しい町並みを持つピラン

第二次世界大戦後は、この地の領土問題は国際的な懸案とされています。
1954年にはイタリア領土に落ち着きますが、旧ユーゴスラビアの管轄地域にあったため、ユーゴスラビア領土となります。
ここまで様々な国の支配を受けてきたピランでは、1909年のオーストラリア=ハンガリー帝国の領土だったころ、バルカン半島初のトロリーバスが走りました。
様々な国に支配され、色々な影響を受けながら運命に流されてきたピランです。
小高い丘に登るとイタリアやクロアチアを眺めることができます。
この町の美しさは、激動の時代を生き抜いてきた町だからこそ生まれたのではないでしょうか?ぜひ、訪れてみてくださいね!

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
スロベニアの「ピラン」への渡航をぜひご検討ください。
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