絵に描いたような美しい都市!エストニアの首都タリンの旧市街地

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はエストニアの「タリン歴史地区」をご紹介します。

エストニアの「タリン歴史地区」ってこんなところ

タリン歴史地区の住所・アクセスや営業時間など

名称 タリン歴史地区
住所 Old Town, Tallinn
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://www.visitestonia.com/en/why-estonia/listed-by-unesco
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

中世の街並みが残るエストニアの首都

タリン歴史地区は北ヨーロッパのバルト海に面するバルト三国の一つ、エストニアの首都タリンの旧市街地です。
フィンランド湾を隔てた北約80kmにはフィンランドの首都ヘルシンキがあり、両都市は活発な行き来で知られています。

トームペア城を中心とした丘の上の山の手とその下に広がる下町からなり、周囲は城壁で囲まれています。
ラコエヤ広場に建つ旧市庁舎は北欧で唯一中世から残る建造物で、タリンの長い歴史を感じさせます。
また、トームペア城の向かい側にはロシア風のアレクサンドル・ネフスキー聖堂が建ち、この都市の歴史の複雑さも感じさせます。

タリンの歴史は中世11世紀にはじまります。
当時リヴォニアと呼ばれていたバルト海沿岸北部にはキリスト教が正式に普及していなかったため、周辺のキリスト教国の十字軍の標的となります。
エストニア人たちは現在のトームペアの丘に木造の砦を築き対抗していきます。
1050年のことです。

最北のハンザ同盟都市

150年以上にわたり抵抗を続けていたエストニア人でしたが、1219年にデンマーク王バルデマー2世に征服されました。
砦は壊され新たな城が築かれ、現在のタリンの基礎が出来上がりますが、この頃はまだタリンという名ではなくこの地域の古い呼び名で「レヴァル」と呼ばれていました。
征服後すぐにキリスト教の聖母マリア大聖堂が建てられています。

13世紀を通じて急速に都市として発展し、1285年にはハンザ同盟に加盟します。
ハンザ同盟とは、リューベックやハンブルクなど北ドイツの諸都市を中心とした経済的な同盟のことで、タリンはハンザ同盟都市の中で最も北に位置していました。
タリンはハンザ同盟都市時代に最初の繁栄を迎えます。
現在の歴史地区の街並みもこの時代がもとになっています。

1346年、デンマーク王国はレヴァルを含む一帯をカトリックのドイツ騎士団に13000マルクで売却します。
テッラ・マリアナと呼ばれたバルト海沿岸北部のドイツ騎士団領は、この後650年にわたって次々と支配者が変わっていきます。

次々に代わる支配者

1561年に起きたリヴォニア戦争でドイツ騎士団は敗北し、テッラ・マリアナは解体します。
エストニア地域は17世紀前半までにスウェーデン領エストラント公国として再編され、レヴァルはその中心都市となります。
スウェーデン時代は本国からの干渉もあまりなく、「古き良き時代」と呼ばれています。

18世紀にタリンの歴史は大きく動きます。
1700年に起きたスウェーデンと対スウェーデン連合による大北方戦争の結果、スウェーデンは敗れてしまいます。
エストニアはロシア帝国の領土となり、レヴァルは一地方の県の中心都市となります。

18世紀後半の女帝エカテリーナ2世の時代になると、トームペア城は知事公館として改築され現在みるような姿になっています。

首都「タリン」の誕生

ロシア帝国は領土経営のため、金銭的援助を必要としていたため、リヴォニアに土着したドイツ人貴族を優遇しそれ以外の領民から搾取しました。
19世紀には帝国の政策によりロシア化が進められ、レヴァルにも多数のロシア人が居住するようになっていきます。

ロシア人支配はエストニア人に拭い去りがたい苦い記憶をとどめています。
ロシア帝国の搾取で疲弊していたエストニア人でしたが、20世紀になると転機が訪れます。
1918年に起きたロシア革命によって、ロシア帝国が崩壊してしまいます。
エストニア人は この混乱に乗じて独立を宣言し、新しく首都と決めたレヴァルをタリンと改称します。

タリンとはエストニア語で「デーン人(デンマーク人)の城」という意味です。
デンマーク領だったハンザ同盟都市時代の繁栄をふたたび、という気持ちが込められた強い思いが感じられますね。

暗黒時代から再びの独立へ

1918年の独立戦争を戦って勝ち得たエストニアの独立でしたが、長くは続きませんでした。
1940年、ロシア帝国のあとを受けて成立したソビエト連邦によりエストニア全土が占領されてしまいます。

1941年から1944年まで、タリンはヒトラー率いるナチス・ドイツの占領下に置かれ、1945年の終戦後は再びソ連を構成するエストニア共和国の首都となります。
ソ連の統治下では強制労働のため、また政治犯の追放のために多数の市民がシベリアに連行される恐怖政治の時代が続きました。

1991年にソ連が崩壊するとエストニアは再び独立し、タリンも引き続き首都となります。
タリンは支配者が代わる度に幾度も戦禍に見舞われましたが、カラフルな外壁と特徴的な破風が連なるラコエヤ広場周辺とその周りを囲う城壁は中世ハンザ同盟都市の面影を色濃く保っています。
1997年には現在まで残る希少な中世都市の価値が認められ、世界遺産リストに登録されています。

また、近年は「バルト海のシリコンバレー」と呼ばれ、IT化が進み町中どこでも公衆無線LANが使える先進的な都市の一面もあります。
携帯端末を片手に中世の世界に迷い込んでみてはいかがでしょうか。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
エストニアの「タリン歴史地区」への渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock
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