東南アジアの熱気と歴史感じる「古都アユタヤ」の絶景&歴史まとめ

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はタイの古都アユタヤの歴史をご紹介します。

古都アユタヤってこんなところ

古都アユタヤの住所・アクセスや営業時間など

名称 古都アユタヤ
住所 Amphoe Phra Nakhon Si Ayutthaya
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A6%E3%82%BF%E3%83%A4%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%85%AC%E5%9C%92
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「平和な都」を意味する古都

古都アユタヤは、東南アジアの国タイ王国中部、首都バンコクから北に約60kmに位置するアユタヤ王朝の首都だった古代都市の遺跡群です。
チャオプラヤ川、パーサック川、ロッブリー川が合流する中州アユタヤ島を中心として、王宮やワット・プラシーサンペットをはじめとする数々の仏教寺院が点在しています。
また周辺には、顔面以外の体全体を木の根に取り込まれている仏像があることで有名なワット・マハータートや、17世紀に山田長政らが活躍したアユタヤ日本人町跡地などがあります。
「平和な都」を意味するアユタヤは、アユタヤ王朝初代国王ラーマティボデイ1世が王朝を建てた1351年には成立していたと考えられています。
アユタヤは3つの川の合流点に位置し、海にも比較的近いことから特産品の米を中心とした貿易が盛んとなり、急速に発展していきます。

周辺王朝を征服し全盛期となる

14世紀後半になるとアユタヤは周辺地域では最も大きな都市の一つになります。
ラーマティボデイ1世はその統治の晩年に、アンコールワットで有名なカンボジアのアンコール王朝を征服し、版図に加えます。
15世紀には北に広がっていたスコタイ王朝を徐々に侵略し、ついには婚姻関係を結びスコタイの領土までも併合します。
16世紀中ごろにミャンマー軍の侵略を受けて一時ビルマの属国となりますが、ナレースワン王により1600年までに独立を回復します。
ナレースワン王はアユタヤ王朝の制度を改革し国力を高めていきます。

その後、インドシナ半島の中央部を制圧した王朝の都として、アユタヤは17世紀に全盛期を迎えます。
貿易も活発で中国の明や日本などのアジア諸国だけでなく、ポルトガルやオランダといったヨーロッパ諸国とも盛んに取引をしていました。
街を歩けば様々な民族があちこちで見られた国際色豊かな都市だったのでしょうね。

日本人たちの活躍

アユタヤを語るうえで必ずと言っていいほど登場するのが山田長政をはじめとした日本人たちの活躍です。
アユタヤの日本人町は14世紀ごろからあったといわれていますが、江戸時代になって日本に戦争が無くなったため、傭兵として活躍の場を求めた人たちがアユタヤに流れ込んできました。

江戸幕府のキリシタン禁止令で国外に逃れた人たちも含めて、17世紀に迎えた最盛期には1500人を超える日本人がアユタヤ日本人町に住んでいたということです。

隣国ミャンマーや諸外国からの侵略に悩まされていたアユタヤは日本人傭兵を重用しました。
その出世頭が山田長政です。
長政は来襲したスペインを2度にわたって破ったことから王の信任を得て王朝の高官の地位を手に入れました。
しかし、そんな長政の活躍に危機感を抱いた華僑(海外に移住した漢民族)勢力によって地方に左遷されたあげくに毒殺されてしまいます。
日本人町もその後焼き討ちにあい、勢力はしぼんでしまいました。

ミャンマーによる徹底的な破壊で衰退

隣国ミャンマーでは1752年にコンバウン王朝という新しい王朝ができ、アユタヤ王朝に対する圧力を強めていました。
1759年にアユタヤはミャンマー軍に包囲されますが、このときはミャンマー王アラウンパヤーが病死したため事なきを得ました。

1766年、アユタヤの街はミャンマー王シンビューシンに再度包囲されます。
アユタヤの防御は固く長期戦になりますが、城壁の下にトンネルを掘るという作戦で防御が破られてしまいます。
アユタヤの街はミャンマー軍によって徹底的な略奪と破壊にあい、400年以上続いたアユタヤ王朝の歴史は幕を閉じます。

アユタヤ王朝の遺臣タークシンは1767年にアユタヤを奪回しますが、そのときすでにアユタヤの街は廃墟と化していたため、タークシンはアユタヤを放棄してトンブリーに新しい都を定めました。

現在残るアユタヤの遺跡を見ると、土台のみ残っている王宮跡や戦火で焼けた寺院の壁、首が折れた仏像などこの時の破壊のすさまじさが間近で感じられるようですね。

世界遺産の街として

アユタヤは1991年に世界遺産リストに登録されます。
かつてあった重要な文明の証拠を示す遺跡としての価値が認められてのことでした。
カンボジアのアンコール王朝の影響を受けた砲弾型の堂塔が特徴であるプラ・プラーン様式の寺院群など、独自の建築美で知られています。

現在は、破壊にあった仏像や、木に覆われてしまった寺院などの修復も進み始めているところです。
また、寺院の一つであるワット・ラージャブーラナの地下祭壇から発見された金で作られた財宝なども奇跡的に見つかり、博物館でその栄華をしのぶことができます。

毎年12月には世界遺産リストに登録されたことを記念する祭りが開かれていて、遺跡のライトアップや伝統的な舞踊など様々な催し物があり、訪れる観光客を楽しませています。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
「古都アユタヤ」への渡航をぜひご検討ください。
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