今はリゾート地として人気、戦火では激戦地だった「パラオ」の歴史をやさしく解説!

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は「パラオ」をご紹介します。

パラオってこんなところ

パラオってこんなところ

紺碧の海に散らばる緑の島々の絶景が人々を魅了するパラオ

紺碧の海に散らばる緑の島々の絶景が人々を魅了するパラオ
日本から南へ約3000kmの位置にあるパラオ共和国は、珊瑚礁に囲まれた586もの島々からなるミクロネシアにある小さな国です。
エメラルドグリーンの海とマングローブが生い茂る森で自然を満喫しながら、様々なアクティビティが楽しめる南の楽園。
また、世界屈指のダイビング王国としても知られています。

世界遺産エリアにあるウルクターブル島の入江には、パラオの透明度が高い海の中でも一味違う乳白色のミルキーウェイがあり、青く美しい神秘的な入江では泥にまみれて美しさを手に入れようと観光客がひっきりなしに訪れています。

また、日本統治時代の名残を残すパラオでは、日本語を話す人もいて、国旗も日本に似せて、太平洋に浮かぶ月をイメージした青地に黄色い丸で作られています。
そんな、日本人に好意的な国、パラオの歴史について少しだけ触れてみたいと思います。

まさに秘境!自然豊かな美しい南国の楽園パラオのはじまり

まさに秘境!自然豊かな美しい南国の楽園パラオのはじまり
パラオの詳しい起源については、未だ詳しくは分かっていません。
紀元前1500年ごろにインドネシア方面から来た、モンゴロイドだという説が有力です。
文化や言語からインドネシアやマレーシアに多く類似しているといわれ、古来からパラオに伝わる集会所のバイにはマレーシアやインドネシアで見つかっている建築様式と似ていることからも証明されるようです。

切妻の三角屋根と外側と内側にある象形文字のような装飾がされています。
また、釘やネジなどを全く使わない建築法で、手の込んだ装飾は素晴らしいものばかり。
しかし、昔のものはなく現在建っているのは、政府が伝統文化財を残そうと再建したものです。

他にも謎に包まれた不思議な形をした山が点在しています。
パラオの代表的な謎の遺跡「ケズ」です。
現在30以上はあるといわれ、7段のピラミッド型をしている大きなものも発見されました。
インドネシアの世界遺産「ボロブドゥール」に類似しているといわれています。
古代歴史ロマンの謎に包まれた遺跡はとても興味深いものですね!

スペインやドイツによる統治時代

スペインやドイツによる統治時代
ヨーロッパの歴史に初めて登場したのは1579年。
イギリス人ドレイクが現れて交易を行ったのが、最初といわれています。
1783年7月9日には嵐にあい座礁した英国船「アンテロープ」号は、ウーロン島へ辿り着きました。
現在パラオの中心都市となっているコロール島の大酋長らが彼らを助け、一緒に船を造り無事に帰国させたことから本格的な交流が始まったようです。

1885年には他のミクロネシアの島々と同じくスペインの植民地に下ります。
天然痘の流行や内戦などで膨大な死者を出し、人口は90%も減少しました。
西米戦争で敗れたスペインは、ドイツへ売却しパラオはドイツの植民地となりました。

ドイツはココナッツ、タピオカの栽培、鉱石採掘など産業振興を行っています。
特に1909年に始まったアンガウル島でリン鉱石採掘は、日本統治時代を通じて、パラオの主要産品となりました。
ドイツ時代も産業により富を得ましたが、パラオには何の恩恵もなかったのです。
スペインや日本統治時代の遺構や遺跡は残っていますが、ドイツ時代の物はほとんどありません。

悲劇の激戦地となった世界大戦時代のパラオ

悲劇の激戦地となった世界大戦時代のパラオ
1914年の第一次世界大戦の時代には、ミクロネシアのドイツ領を日本が占領しました。
戦後は国際連盟により、日本の委任統治領となりました。
移民による殖産興業と住民の教育を充実させ、特にパラオは南洋群島全体を管轄する南朝庁本庁がおかれ南洋統治の中心地として繁栄し、日本人の多くがパラオに移民しました。
パラオの子供たちが日本語教育を受けたことやインフラ整備などを行ったことにより、パラオは日本の影響を強く受けています。

第二次世界大戦では、パラオも犠牲になりました。
今では美しいビーチがありダイビングのメッカといわれるペリリュー島はかなりの激戦地でした。
日本軍は島民をパラオ本島に避難させ、日本軍と米軍のみで戦ったのです。
戦力の差は目に見えて大きく、日本軍は全員戦死。
島を破壊したことを怒る人はおらず、現在もたくさんの慰霊碑を現地の人々が供養し続けています。

また、オレンジ・ビーチと呼ばれる美しいビーチがこの島にあります。
1944年9月15日に始まったアメリカ兵侵略では初の上陸地点でした。
待ち構えていた日本軍は、米軍を一斉射撃しこの海は米兵の血でオレンジに染まりました。
この光景からオレンジ・ビーチと名付けられ、今では正式名称となっています。

太平洋に浮かぶ自然の宝庫パラオの戦後

太平洋に浮かぶ自然の宝庫パラオの戦後
国際連合の委託によりアメリカはパラオを信託統治下に置きました。
1960年からは動物園や教育、福祉や医療には力を入れるも、経済開発や産業振興は行いませんでした。
1969年からは信託統治終了による交渉が開始されました。
1978年にパラオは住民投票で、ミクロネシア地域の統一国家から離脱し、1981年にパラオ憲法を施行し自治政府を発足させ、「パラオ共和国」が始まりました。

1982年にパラオはアメリカ連合盟約に署名しました。
アメリカの軍事戦略と「非核条項」を持ったパラオ憲法の調整に難航しました。
非核条項の棚上げにより1994年10月1日に自由連合国として独立しました。
現在でも、昔の日本統治の時代が一番良かったと語るパラオは、国会でも日系の政治家が強い影響力を持ち、日本との密接なつながりを持っています。

こんなに美しいパラオが悲劇的な歴史を抱えている事実には、正直驚かされました。
太平洋に浮かぶ自然の宝庫として人気の観光地となっているパラオですが、ゼロ戦が眠る海など戦争を偲ぶ観光地もたくさん残されています。
旅の合間に慰霊碑などを訪れて、パラオの歴史に少しだけ触れてみてはいかがでしょう。

壮大な歴史を感じて旅をしよう

いかがでしたか。
ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。
パラオへの渡航をぜひご検討ください。
photo by iStock