赤い町並みが独特の景観と雰囲気を体感できるボローニャってこんな歴史を持つ街なんです!

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はイタリア「ボローニャの歴史」をご紹介します。

ボロネーゼ発祥の地!ボローニャって実はこんなに魅力的

ボロネーゼ発祥の地!ボローニャって実はこんなに魅力的

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ボローニャはアペニン山脈北の麓に位置するエミリア・ロマーニャの州都で、イタリアで7番目に大きな都市です。
1088年に創立した欧州一の古い大学があり“学問の都”として知られています。
また、メタボの都ともいわれボロネーゼ発祥の地で、バルサミコ酢や生ハムなど美食に満ちた街です。
国内で最も重要な高速と鉄道が交差する地点に位置し、工業都市としての歴史もあり、現在もイタリア国内屈指の生活水準の高さを誇っています。

赤いレンガと柱廊が林立し、中世、ルネッサンス、バロックなど様々な歴史的建造物が、今も残る独特な景観が魅力的。
経済都市としての機能も持ち、絵本や靴、美容器具の国際見本市も開かれていることで有名です。
町を歩けば、昔ながらの市場や職人さんが軒下で作業をする個人商店などが賑わい、ボローニャの人々の気質にも触れることができます。
特に17世紀の趣を残すマッジョーレ通りや未完成のサン・ペトロニオ聖堂は必見です。

フィレンツェ(特別列車)から約1時間で行ける、イタリア7番目の都市「ボローニャ」の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。

アカデミックな街ボローニャの始まり

ボローニャの周辺地域では、B.C.11世紀の先史時代から人が居住していたと推定されています。
ヴィッラノーヴァ文化が起こりB.C.6世紀ごろまで続きました。
エトルリア人がウンブリ人を追い出しフェルシナという町を作ったのもB.C.6世紀ころです。
しかし、B.C.4世紀ごろにはケルト人(ガリア人)のボイイ族によって征服されてしまいます。
ボイイ族の支配は、B.C.196年にローマ人に戦いの末敗れるまで続きました。

B.C.189年ごろに、ローマ人はこの土地を植民地にし、ボノニアという名を付けました。
この植民市へは、共和政ローマ末期の軍人マリウスの死後、執政官となったルキウス・ウァレリウス・フラックス率いる、ラテン人3000世帯も含まれています。
B.C.187年ごろはエミリア街道が作られローマを目指す幹線として、交通の要衝となりこの地が繁栄する要因となったのです。

この街道は全長270kmあり、現在も市内中心部を走り「美食街道」と呼ばれています。
この街道による繁栄は、ローマ帝国衰退後、東ゴート王国、東ローマ帝国の支配下に置かれるも、5世紀まで続きました。

古代ローマ時代の繁栄ぶり

古代ローマ時代の繁栄ぶり

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B.C.88年ごろボローニャは、都市国家の中でコロニアに次ぐ大きな集落組織のムニキピウム(自治都市)を形成します。
ローマ帝国時代の都市の人口は1万2千人~3万人といわれ、最盛期にはイタリア第2の都市に成長し重要な都市の一つとされました。
このころは、神殿、公共浴場、劇場、闘技場などが作られていたようです。

その後、クラウディウス帝時代に起こった火事で町は大きく損傷しました。
悪名高きネロ皇帝の時代(B.C.1世紀ごろ)に一旦再建されています。
568年ごろに起こったロンゴバルド王国の支配時代(728年)には、軍事拠点となったのです。
いつ造られたか不明ですが周囲1750mの城壁が造られています。
この城壁は東ゴートの王テオドリクによって造られたという説が有力です。
774年にフランク王国のカール大帝に侵入を許し、ローマ教皇に寄進されてしまいました。

中世初期の未発展時代のボローニャ

中世初期の未発展時代のボローニャ

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一時期衰退していたボローニャは5世紀ごろのペトロニウスが司教を務めるころに、繁栄の兆しを見せ始めます。
ネロの側近だった彼がこのころにサント・ステファノ教会を造りました。
現在は、「聖なるエルサレムの地」のシンボルとして、11~13世紀にかけて建てられたいくつかの教会と2つの庭を持つ不思議な雰囲気の教会群の一部となっています。
ロンゴバルド、ロマネスク、ルネッサンス様式の変遷と信仰の厚さも感じられる必見の観光スポットです。

1274年の皇帝派ランベルタツィ家の追放から始まり、イタリア半島が皇帝派と教皇派に分かれた内部抗争時代には、このボローニャは教皇派の都市として有名になります。
12世紀ごろは、大繁栄を遂げていたのでその影響力は多大なものでした。

欧州初のボローニャ大学はやっぱり凄かった

欧州初のボローニャ大学はやっぱり凄かった

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コムーネ(自治都市)として再び成長を始め、11世紀末ごろから凄まじい繁栄を遂げ存在感を現します。
1088年にストゥディオと呼ばれる、ヨーロッパ最古のボローニャ大学が設立されました。
全ヨーロッパから学者や学生が集まり、文化と学問の中心として繁栄するようになったのです。
ローマ法学を学べる大学との名声が轟いたことが最大の要因でした。

1150年代に行われた皇帝フリードリヒと教授や学生の会見で「ここには勉強に役立つものが揃っている」と述べたほど素晴らしい大学だったようです。
人々が集まることによって経済も目覚ましく発展しました。
法学者イルネリウスのような有名な中世の学者もいます。
学生の中には皆さんご存知の詩人ダンテやボッカッチョなどがいました。

 

ボローニャ大学の住所・アクセスや営業時間など

名称 ボローニャ大学
名称(英語) University of Bologna
住所 Via Zamboni, 33, 40126 Bologna, Italy
営業時間・開場時間 施設による
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://www.unibo.it/en/homepage
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

12世紀から大繁栄を見せるボローニャ

12世紀から大繁栄を見せるボローニャ

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12世紀にはこの繁栄を機に拡大し、新しい城壁が必要となり、14世紀に完成しています。
また、市の中心部には有力者たちが建てた塔が約180にも及びました。
現在も主なものは2本ですが、小さいものを入れると20本ほど残っています。
有名な公共の大邸宅や教会、修道院などが建てられ驚異的なスピードで町は発展しました。

1256年には、天国法を打ち立て、公金を使いヨーロッパで始めて奴隷廃止などの新進気鋭な方法を打ち立てています。

大繁栄を遂げたボローニャの衰退

大繁栄を遂げたボローニャの衰退

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13~14世紀に最盛期を迎えたボローニャは、人口6~7万人の大都市へと発展していました。
ヨーロッパの中でも5~6位という快挙でしたが、1325年にモデナ公国によるザッポリーノの戦いで大打撃を受け衰退が始まります。
ミラノのヴィスコンティ家のものになったボローニャは、1348年のペストの大流行で3万人もの人が亡くなりました。

1360年にはローマ教皇に保護を依頼し教会領へ返還。
また、貴族政治の失敗により血なまぐさい争いが起こります。
このころ、大美術館を思わせる未完成のサン・ペトロニオ大聖堂の建設が始まりました。
この大聖堂の正面では、1530年に神聖ローマ皇帝カール5世の戴冠式が行われています。

サン・ペトロニオ大聖堂の住所・アクセスや営業時間など

名称 サン・ペトロニオ大聖堂
名称(英語) San Petronio Basilica
住所 Piazza Galvani, 5, 40124 Bologna, Italy
営業時間・開場時間 24時間
利用料金や入場料 無料
参考サイト http://www.bolognawelcome.com/en/home/discover/places/architecture-and-monuments/religious-places/basilica-di-san-petronio/
最新情報は必ずリンク先をご確認ください。

繁栄へと向かうボローニャ

繁栄へと向かうボローニャ

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15世紀ごろのルネッサンス期は、真の芸術都市として繁栄します。
才能のある女性はどんどん自由を得て職業に就くようになりました。
当時のイタリアではボローニャだけ。
一部の女性は大学で単位を得ることもできました。
さすが時代の先端を行くボローニャですね。
しかし、16世紀に再びペストの流行により人口が減ってしまいました。

人口は減ってもボローニャは、少しずつ成長を続けます。
1564年にはアルキジンナシオに沿ってネットゥーノ広場とバンキ広場を建設。
教皇領の支配下にあった時は多くの宗教施設が作られ、修道院は96もありイタリアで最高でした。
噴水の真ん中にボローニャの守護神が立つネプチューン噴水も1566年に造られています。
特に、この時期のボローニャに栄光をもたらせたのは芸術家たち。
ヨーロッパに名を知らしめ、ボローニャ派を形成させたのです。

イタリア統一以降のボローニャ

イタリア統一以降のボローニャ

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ナポレオンがボローニャへ侵入。
ナポレオンの支配下のイタリア北部に1796年に誕生した国家「チスパダーナ共和国」の首都となります。
その後、チサルピナ共和国とイタリア王国時代はミラノに次ぐ第二の都市になったのです。
その後オーストラリアの支配を経て、1859年6月12日にサルデーニャ王国への併合に賛成し、イタリア統一運動に合流しました。

町中の歩道に面した建物にはアーチが取り付けられ、アーケードのようになっています。
車道は15世紀ごろにたくさんあった運河を埋め立て造られているようです。
このころのボローニャはまるでヴェネツィアのようで、「水の都」と謳われていました。
町中を歩くと、赤茶けた建物が並び中世都市として栄えたころの風情を感じることができます。

芸術の街、学問の街、メタボの街と様々な顔を持つボローニャに訪れてみませんか?

ボローニャは、赤茶けたレンガ色に染まる優美で落ち着いた雰囲気を持つ古都です。
ヨーロッパ最古の大学を持ち、アカデミックな雰囲気も漂わせています。
ミラノやフィレンツェからも日帰り旅行できるボローニャの魅力に触れる旅をどうぞ。
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