植民地時代の面影を残すシドニーの歴史

wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はオーストラリア「シドニーの歴史」をご紹介します。

オーストラリア最大の都市シドニーってこんな都市

オーストラリア最大の都市シドニーってこんな都市

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オーストラリ南東部のタスマン海に面するシドニーは、エリアごとに異なった雰囲気を感じながらの街歩きをたっぷり楽しめる魅力に溢れた都市。
世界三大都市のひとつとしても有名なシドニーは海風を感じながらゆっくり街歩きを楽しむのにピッタリです。
南半球を代表する世界都市で金融センターでもあり、陽気なムードと活気に満ちています。

再開発で生まれ変わったセレブティでオシャレなエリアのウールムールや芸術家たちに愛されるオーストラリア流行の発信地パディントン、2大世界遺産のオペラハウスやハーバー・ブリッジと開拓時代の古い町並みが魅力の海の玄関口ロックス&サーキュラー・キーなど魅力的なスポットが揃い、外国人観光客が多く集まるオーストラリア最大の都市です。
斬新なデザインで世界的に有名な白亜のオペラハウスでの観劇は一生忘れられない思い出になること間違いなし。

今回は、世界でも最も美しいとされる港湾都市シドニーの歴史について触れてみたいと思います。

4万年前から人類が住んでいたシドニーの始まり

4万年前から人類が住んでいたシドニーの始まり

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シドニーの歴史の始まりは先史時代までさかのぼります。
シドニー湾沿岸には、少なくとも第4氷河期の頃の約4万年前からアボリジニが定住していました。
世界で一番美しい港をもつシドニーですが、アボリジニが住んでいたころは、海面が現在より200mも低くアジアと陸続きだったため人類が渡ってきたといわれています。
彼らは、オーストラリア全土で狩猟や採集をして暮らしていたことが分かっています。

オーストラリアの北部ではパプア系住人やインドネシア人たちと交易が行われていました。
16~17世紀にかけて、ポルトガル人やオランダ人が大陸の一部を探検し、彼らが望んでいた香辛料や黄金がないと思い込み、興味を示さなかったといわれています。
シドニーが、なぜ、調査の対象になったかは不明です。

イギリスの植民地が始まった地シドニー

イギリスの植民地が始まった地シドニー

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シドニーの歴史はオーストラリアの歴史と言われています。
1770年4月29日に初めてシドニーのボタニーベイにイギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者だったジェームス・クック船長が上陸しました。
当時は3000人近いアボリジニが住んでいたようです。
諸説はありますが、このシドニーという名前はクック船長によってつけられました。
クック船長の支援者だった内務大臣シドニー卿トマス・タウンゼントに因んだものです。
また、特許状の締結が、シドニー卿の斡旋で交付されたことからきているともいわれています。

1787年には、オーストラリアをイギリス領地とする為に艦隊がボタニーベイに上陸しました。
ここからがシドニーの始まりです。
1788年1月18日に、アーサー・フィリップ総督率いるイギリス軍が、入植のために適した土地探しに訪れました。
その地はボタニーベイから北へ約12km行ったところにあるポート・ジャクソン湾内のシドニー・コーブでした。
1月26日にはここに上陸しイギリスの旗を立てて国内初の植民地として定める宣言をしました。
フィリップが初めて降り立った地は、イギリス植民地時代の面影を残す街として人気観光地となっているシティ市内のロックスです。

植民地として発展してゆくシドニー

植民地として発展してゆくシドニー

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1788年1月26日にシドニー・コーブで植民地開発の特許状が結ばれ、現在もこの日は建国記念日としてオーストラリアの祝日となっています。
ここは単なる植民地ではなく罪人が送られる流刑植民地とされたのです。
植民地の最初の人口は、1000人を超えるほどでした。
この大部分が囚人で占められています。
先住民族のアボリジニは、王室領不法占拠者のレッテルを張られてしまいました。
少しずつシドニーに魅力を感じる人々が入植を始め、植民地は拡大を始めます。

1808年ごろには、植民地では戦闘も度々起こり危険な場所となっていました。
1810年ごろからはマコーリー総督によって現在のシティ市が本格的に建設されました。
1822年からは既に銀行や市場ができ、道路網や警察隊を備えた町となります。
1833年ごろの町の行政は3人の行政官が行い、1840年には流刑廃止に向けて動き出しました。
その後1842年には自治体(市)が出来上がりました。
シドニーへの流刑廃止は、1868にやっと完全廃止されました。

シドニーでのカトリックの広がり

シドニーでのカトリックの広がり

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オーストラリアへの移民の多くはアイルランド人でした。
そのためカトリック教徒が多く入植し、1828年にはシドニーの人口3万5千人の内32%ほどがローマ・カトリックだったようです。
それは、イギリスの宗教政策に大きく影響しています。
イギリスは当時アイルランドを植民地としていました。
16世紀ごろのチューダー朝のヘンリー8世の後継ぎ問題からカトリックを国教とはできず、ローマ・カトリックと対立。
イギリス国教を新たに起こし、ローマ・カトリックへの宗教弾圧を行ったのです。

その宗教弾圧から逃れるためにオーストラリアへ移民した人も少なくありません。
1828年にイギリスで国教とされる宗教とローマ・カトリックの権利を同じくする「カトリック解放令」が施行されるまで、シドニーには司祭の正式な派遣はされませんでした。
しかし、1834年のロンドン政府はイギリス人のみ司祭の派遣を認めました。
1842年になってやっとローマはオーストラリアにシドニー大司教区を置く運びとなりました。

ゴールドラッシュの恩恵を受け繁栄していくシドニー

ゴールドラッシュの恩恵を受け繁栄していくシドニー

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1868年の流刑制度廃止を受け、シドニーの囚人人口は年々減っていきました。
それに反比例するように、商業が繁栄するようになり、ますますシドニーは周辺地域の中心地として活性化しました。
1850年にはオーストラリアで初めてのシドニー大学が創設され、鉄道などのインフラ整備もどんどん行われています。
1850年代に起こったゴールドラッシュで世界中から人々が集まり、オーストラリア全土で人口が増えそのお陰もありシドニーは商業でも目覚ましい発展を遂げました。

シドニーのゴールドラッシュの恩恵は商業だけではありませんでした。
工業においても急速に発展したのです。
しかし、ゴールドラッシュで沸いたメルボルンはイギリスとの航路においても好位置にあったことで、シドニーのオーストラリアでの1位の座を初めて奪いました。
2位となったもののシドニーの発展はとまらず、このころも人口は増加しています。

ニューサウスウェールズの州都となったシドニー

ニューサウスウェールズの州都となったシドニー

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1901年にイギリスの議会が6つの植民地を州とすることをイギリスが認めました。
シドニーはその一つの州ニューサウスウェールズ州の州都になります。
州が連合しオーストラリア連邦を成立させました。
当初の州都は最大都市メルボルンに置かれてしまうものの、どんどん成長していくシドニーは20世紀の初めごろには人口を追い抜き現在では国内最大の都市へと躍進しています。

第二次世界大戦では、日本の敵国でした。
日本軍の南進作戦によりオーストラリア全土が戦火に巻き込まれシドニーも焼け野原になったのです。
戦後のシドニーには、ヨーロッパの人々が移住し、1970年ごろからはアジアの移民も増えました。
1973年にはシドニーが誇るシンボルオペラハウスが完成しています。

1975年にはイギリスとカナダとワーキングホリデー制度を結び、1980年には日本とも結んでいます。
2000年にはシドニーオリンピックが開催され、日本人では高橋尚子選手が金メダルを取ったことでも記憶に新しいですね。
このオリンピックで、ますますシドニーは近代都市へと成長しました。
2020年に行われる東京オリンピックでも、シドニーのように飛躍できるよう心から願います。

世界3大美港として有名な街と自然が共存するシドニーを訪れてみませんか?

昼間の紺碧の海沿いに聳える美しい白亜のオペラハウスやハーバー・ブリッジを観光するのも素敵ですが、壮大なパノラマが広がるブルー・マウンテンズ国立公園やハンター・ベレーでワイナリー巡りも外せません。
歴史を感じながら素敵な旅を。
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